日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 二月の終わり・・草稿中だった記事より *

2023年02月28日 | 雑感


3月になったけれど、2月の締めをしていない。 草稿中だった記事投稿。

27日の月曜は整形だった。 11時予約で2時間はゆうにかかるからと娘に言っていたので、
お昼を食べに帰る娘に夫の食事を頼んでおいた。
珍しく少し早く終わったけれど、お昼は頼んでいるからまいっか・・。

自転車なので病院近くの市岡元町公園に寄った。 まだ咲いているかなぁと気になっていて。
山茶花を知った時こんな公園が近くにあるなんてと嬉しく思った。
大阪マラソンの折り返し地点のそば。 
あの時の往来を走る人応援の人賑わい、何事もなかったような景色が何か不思議な気がした。。

やはり花はほとんど終わっていて、10枚くらい花びらの綺麗なのを撮った、つもりだった。 
載せたのは最初の1枚だけ。 後は、ブログにも載せている過去写真。
山茶花か椿か八重は見分けがつかなくなった。 



陽ざしが暖かくて、自販機で暖かいカフェオレを買ってベンチに座った。
さぁ、私。 2月をどんな色に染めようか、しっかりしないと逃げるぞ、2月、と
1年前の記事を引用して意気込んだけれど、2月は本当に早々と逃げるように終わった。 

気持ちの上で焦らない・・深呼吸。 「自分が思うほど人は思ってない、気にしてないぞ、
なんかいつも焦っている」と夫に言われ、本当にそう思い反省した。 少し楽になった。



同居から2年8ケ月になる。 なんとかいいペースで1日を過ごせるようになった。
自分さえ(パソコンに向かう時間が欲しい!)と叫びたいこともあるが、まぁまぁ。
私だってストレス全くないと言えば嘘になる、コントロールしているだけで。

家が暗くなるのは嫌と、気持ちをすぐ転換して明るい娘から教えられることも多い。
2人暮らしなら世の移ろい、考えも古いままで暮らしていたかも知れないし、
時代の変化にも、変えてはいけない部分、変えていかなければいけない部分がある。

有難いなぁと思う、特に娘達がいると。 そんな時代の変化を教え、見せられるから。
それでも思いや考えが違うことがある。  言えば簡単だが、気まずい思いはしたくない
穏やかに行こうと思えば、「そうやね」こちらが受け入れることである。 
老いては子に従え。 どうあってもお世話になる身、介護は行く道であるから。

夫に言わせれば、「黙っとけ、いつか分かるときがくる」 そう信じて言い聞かせている。

 

この気持ちになれるのは、母のお陰である。

46年間兄嫁さんの愚痴を言ったことが無かった。 言えば小姑4人、お姉さんへの見方が変わる。
お姉さんにはいつも有難いと、感謝の言葉ばかりを私達に言った母の作戦。 すごいと思う。
そんな母の思いをお姉さんも感じとり、娘にも出来ないくらい愛情いっぱいで細やかに
母に尽くしてくれた。 まさに待つ、見守り、寄り添ってきた母だろうと思う。
私は夫に聞いてもらえるが、58歳で逝った父、母は言える人がいなかった、54歳の母には。

元総理の小泉さんではないが、姉妹4人 母とお姉さんには「感動した!」




娘はお嫁さんとは違う、その点やりやすい、ツーカー(古い?)の仲でもある、そこは親子である。
娘にもあるだろうが、私も言いたいことがある、時がある。 しかし母を思い出すのだ。
(全部・・受け入れて来たんだろうなぁ、葛藤もあっただろうに)そう思うと越えられる。

結婚した時「私はお姉さんのお世話になる、女4人いてもいざとなったら役に立たない。
だからお嫁さんを大事にする、陰で悪口言ったら承知しないよ」と釘をさされた。
やられた、母に。 
私だって言いたくなる時がある、そんな時は母を思う。 黙って受け入れて来た母を。
自分の思いを言わずに「有難い、感謝」どれだけ口にしてきた事だろう。 

夫が言った。 「どんな事でも感謝感謝だった、お陰さん、有難い、そんな毎日の積み重ねで
お母さんは年とるほど幸せな人生を送れたんやなぁ」
亡くなる1年半前認知症が増して施設に入り、尽くしてくれた優しい息子夫婦も仲の良い
5人兄弟さえも分からなくなった、お義母さん。
やりきれない測り知れない寂しさと無念、羨ましくも母を讃えてくれたのだろう。

2月は1月よりも、焦らない・・のお陰で、少し変われたかな、よしとしよう。
さぁ3月も! 


* 祝日 今日は何の日・・ *

2023年02月23日 | 雑感

 
23日、今日は紛れもなく天皇誕生日である。 ニュースを見た。 
皇后さまとの50年・・と語られるとき胸が詰まって話されるお姿に私も泣きそうになった。 
令和になってはや5年になる。 想像もしないコロナによるパンデミックその3年を含めて。
測り知ることも出来ないが、そのご苦労に胸がいっぱいになった。 国民の祝日、孫も知っているだろうが。

そんな朝、起きてきた孫娘に開口一番「おはよう、今日は富士山の日よ」と言ったら「昨日聞いた」と言われた。 
しまった! 昨夜晩ご飯の時、わいわい言っている中で「今日はにゃんにゃんにゃん、猫の日、のあとに
明日は富士山の日、2月23日ふじさん、ブログの人が書いて知ったわ」と言ったのだった。
先に、天皇誕生日って言えば良かった。 なんか非国民みたいな私、申し訳ない。

12月の私の誕生日の翌日、長女運転で私達夫婦と千葉の妹夫婦と静岡で合流した。
コロナ以前妹夫婦は毎月の様に夫婦で旅行していた。 昨年、母が亡きあと、少しづつ県外へ出るようになった。

コロナ前妹夫婦が私と長女を招待、4人で日本平ホテルに泊まった時、広い庭から少しの間清水港を望む富士を見た。 
2人は何度か静岡に来たそうだが、雨風が強かったり雲が出ていたりで、富士山をまともに見たことが無いと言う。
そのくらい富士山ってやすやすと見えるとは限らないんだと実感した。
日本平の夢テラスでは読売TV,ピンクの洋服の阿佐ヶ谷姉妹さんがロケをしていた。 バッチリの富士山で幸運。
ブラタモリでさえ三保の松原の時、富士山は全く見えなかったと放映された。 リベンジしないんだ、タモリさんでも。
阿佐ヶ谷姉妹さんは、お正月何日だったか・・ヒルナンデスのバスツアーでやっていた。 
言われる前に撮影風景撮ったけれど、スタッフさんが撮らないで下さいと言われてたのでアップは出来ない。 


初日は日本平から朝霧高原へ。 ここでも富士山は私たちを喜ばせた。

お泊まりの駅近のホテルは3度目だが、申し分なく朝食のバイキングがとても美味しく多彩で充実、
コロナ禍出来たばかりで行ったとき、ホテルの方に感想を直接言わずにはおれなかったので言った。
しかしホテルの朝食バイキング、なんで朝からこれだけ食べられるものだろうかといつも思う。
上げ膳据え膳、主婦には最高。

富士山の日がどう言う意味合いで名付けられたのか調べてはないが、富士山はもう文句なしの誰もがその雄姿には
言う事なしである。 癒されるし気持ちが落ち着き・・なんだかまっとうな姿を見たらすごく幸せな気がする。
生きる力をもらえる幸せ・・本当に幸せは自分のこころが決める・・みつをさんの言う通りである。
富士山は簡単に語れないなぁ・・言えない。 世界遺産、言うと軽い気がして。

3人目の次女が生まれた時夫は、「この子が5歳になったら、みんなで富士山へ登ろう」そう言ったのに。
一度もそんなこと口にしなかった「登ろう」と言う言葉を。 なんでやねん

                                                                                                                    

2日目は本栖湖、もうここはいつ来ても雄姿が見えている。 観光バスのお客さんが先客である、高齢者の。
ライダーさんも次々と車を止めて、ここは撮影のスポットである。 ここは千円札の裏にも描かれた本栖湖。  

遅くなったお昼は、浜名湖を眺めながら食べる鰻の美味しいお店を、長女が予約しておいてくれた。 
3時前だった。 すごく風が吹いていたのにそれでも浜名湖のロープウェイは動いている。
「あと鰻4匹なんですよ」せっかくなので、それを5人用に男性2人は鰻重、女性3人は鰻丼。 
めっちゃふわふわで美味しい! お店の方の対応が明るく丁寧だし、笑顔と明るい声のおもてなし良かった。  

帰路は妹婦も一緒に大阪へ。 車中も皆がずっとしゃべりっぱなし。 3年分の。
妹夫婦は富士山を2日ともバッチリ見えた事柄で、大満足だった。
令和4年の師走、コロナや母が亡くなったり色々あったが、終わりよければすべて良し・・と行きたいところ。 
新しい年は心新たにいいスタートが切れると思いきや、それぞれの家に色々身体的精進のいることが出来て、
今、頑張って乗り越えている最中である。

この旅、時は師走、写真をアップする間が無かった。”富士山の日”のお陰で載せることが出来た。


* 立春とは名ばかりで・・ *

2023年02月06日 | 雑感


この時期便りを書くとき、決まりの書き出しがある、立春とは名ばかりで・・。 
節分の翌日は立春・・中々寒中お見舞いが出せなかった方たちに今書いている。 
厳しい寒さのなかではあるが、梅やそして芽吹く季節・・その先には桜が・・そんな楽しみもあるはず。

この頃掃除したり用事をしているときご機嫌が良ければ、いえご機嫌にと言い聞かせる時にも必ず
と言っていいくらい、鼻歌交じりに出る歌がある、早春賦である。 
言葉の響きがとにかくいい、なんとなく古めかしく感じる文字も素敵。早春賦、背筋が伸びる、気がする。 
そして歌いながら迷うのが、春は名のみの~風の寒さ・・や? よ? 検索! ・・である、毎年検索している

1升の後悔、4日は恵方巻き朝昼晩食べた。 私も主人同様大好きで、「もう1つで最後!」を何度か繰り返す。
いっぱい食べたし、夫の一病息災・・願いは届くかも。
妹も10本巻いておうじょうしたようだ、常々炭水・・控えているのに。

そんな折、特定検診の催促状届いていた。 健診の時一緒に人間ドックも受けるのだが、まだ受診していなかった!
少しでも体重を減らしたい・・乙女、いえおばば心。 
終わった後、大仕事したご褒美みたいに美味しいものいっぱい買って帰り食べるのに、なんのこっちゃない。

同居して4キロだったっけ体重落ちて喜んでいたのに、みんなでの暮らし、慣れて気持ちが楽になったのかな。
体重減ったわと喜んで、安心して食べると言うていたらく、いけんいけん!

日曜日、みんながいない何時間かがあった、もうそれは私には最高の時間、至福の時である。 
2月は逃げると言いながら、やっていなくて気になっていることもある。
毎日が日曜じゃん、と言うが、いや・・そんなもんじゃない、主婦は。 
過去ブログに、落ち着かない私にミキメリーさん【気になる事は 今日のうちに】と書いて下さっていた。
そうよね、はい。 
それがね・・2人暮らしの時は、何時間でもPCの前に座っていたのに、今や8時過ぎたら何度も居眠り
デスクから転げ落ちそうになる(落ちたことがある) 何度背後で笑っているだろう、夫は。 

芽吹く春もいいが、春を待つ冬枯れの景色もいい。 写真撮りに行きたいなぁ・・過去写真に頼っているし。
読みたい本も届いた。 それにしても日が経つのが早すぎる、でもまだ22日もある!

今年は心がけている、せっかちな私。 物事をするとき、大きく息を吸いふぅっと吐く、何度かする。 
そして心の中で(落ち着け・・落ち着け)呪文を唱える。 それでもいい加減、良い加減は春より遠い。

                                    


* 逃げる2月 如月は・・ *

2023年02月01日 | 雑感


如月・・響きが好きだ。
1年中で一番寒い時期、それだけになんだか身が引き締まる思いになる。 気がする。
2月を制するものは 1年を制するとか言われた。

若い時は、逃げる2月は追われずに追っかけて! がんばる~とか気負って言っていた。
今・・思いはあるが、そこまでの気力はない、体力的にも自信がない。
12月生まれで、夏は汗かきだし大の苦手だった分、冬は・・寒いのはどうってことなかったのに、
寒いものは寒い、弱くなった。 2人分でない同居の家事の動きの多さが有難いかも、大変は大変だけど。
自分のペースで無理をせず、きっちり行こう、出来れば上機嫌で、今日一日を。

何年もまえ、小雑誌に『2月はバレンタイン・レッドで 心身の風邪を吹きとばしたい月 
アドレナリンの分泌をうながし興奮を高める赤色を身に着けると 意外なほど元気が出る』
等と書いたメモが残っている。

さぁ、私。 2月をどんな色に染めようか、しっかりしないと逃げるぞ、2月、と1年前の今日書いていた。

スタートは・・・

久能山東照宮になった。


* 一月の終わりの日に・・ *

2023年01月31日 | 雑感


友人から河村幹雄さんの面白川柳の動画が送られてきた。 笑った笑った。

いくら家族で毎日を楽しく暮らしていると言っても、いつもいつも心がまっとうで過ごせている訳ではない。
時には誰もいない所で、大声で叫んでみたい気持ちになる事も無くはない
娘と言えども・・合わないこともある、時代を感じて言えないこともある、けど愚痴は気まずく家を暗くする。
年輪差はあっても、料理やなんやかやでささやかなプライドあったりして、時に見えない戦いも感じなくはない。

お嫁さんと違うので、ごめんなさいともし言えなくても、尾を引かないし自分の心は切り替えられる、今は。
それを教えてくれたのは、娘である。 子供にものごとの良し悪し、ここと言う時は厳しく注意する、怒る
(そこまで厳しく言わなくても・・)と孫を援護しようとするが・・。 見守っている。

子供って大きくなればそうはいかないが、怒られてもすぐに「ねぇママ・・?」と近づいてくる、純粋に笑顔で。
孫がそうだ、小さい時から怒られてもいつまでも沈んでいない。 反省してないようで内心私も(何?)と思うが。
高校生になってもそれは変わらないし、娘もころっと心切り替えて接している。 偉いと思う、拍手!
親の笑顔に救われているはず、さっき言い合いしていたのに、もう笑顔でEXILEの話、コンサートに行く話とかする。
子供の心に入っている。 そんな親子を見て私は過去を反省する。 
言いよられても私はまだ腹立ったことが収まっていなくて、「反省してんの?!」尾を引いていた。
子供たちには申し訳なかったと思う。

同居して娘がこんなに明るいと思わなかった。 「偉いね」「家の中が暗くなるのいやなんだもん」笑いながら言う。
小さい時から婿はすぐに手が出た。 パチキをしたりした。 それがとても嫌だった。
こんなに明るい・・には、見えない努力をしていると思う。
娘はお年寄りが好き、子供が好き、人が好き、争うのが嫌い。 中1の孫息子がそっくりそのまま受け継いでいる。

私は教えられた。 母が46年間、お嫁さんの悪口を言ったことが無くて、それは全てを受け入れていたんだと思う。
だからそんな母をお嫁さんも受け入れ、尽くして下さった。 細やかに愛情いっぱい尽くして下さった。
母の晩年、電話で言った言葉。 「晴れの日もある、曇りの日も、雨の日もある、それが人生よ」と。 
私は今でも、雨の日もある・・が特にその時の母の声を思い出し、今も書きながら涙がふわっとこみあげてくる。
あの言葉は・・最初で最後の娘への愚痴だったんだなぁと。 母の胸の中にいっぱい溜めたことがあったんだなぁと。

お嫁さんと同じ趣味の人形作り、一緒に生地を買いに行ったり2人で手芸やそれを本当に楽しんだ人生の後半だった。
瀬戸田パーキングのお店にまだ母やお姉さんの手芸が残っているかなぁ。 
そんな母だから、私は母の様にはいかないが、受け入れていけばいいんだと言い聞かせることが出来る。
母は早くに父を亡くし愚痴の一つも言う人はいなかったが私には夫がいる、有難い聞き役の夫が。 
「まぁ、後でわかる・・いつか分かるときがくる」と私をたしなめる。 

母の背に教えられ・・負うた子に教えられ・・大切にこの事を自分にプラスにしよう。

4姉妹のグループライン初場所は姉が好きだと言うのでみんなが応援した宇良、毎日ラインは盛り上がった。
夫は障害者支援で週2,3卓球の補助、土曜日は麻雀、月1ゴルフ、闘病ながら楽しみも持っている。
友だちとのランチ、グループライン、コロナ禍でも繋がる心 スタンプ1つにも癒される日々。
もちろんブログで猫ちゃんに癒されたり、思えば色んな事柄に日々を助けてもらっている私である。

相田みつをさんの言葉は永遠。   しあわせはいつも自分の心がきめる  と。


河村幹雄さんを検索したら、いくつもあった、またゆっくり拝見、タイムリーな世代動画。
その笑いで 往ぬる1月を無事に終えようとする感謝。 今日も・・がんばろう、私。

 いびきより 静かな方が 気にかかり 

懐メロが 私のあるある 倍加して 笑うに笑えぬ 涙のありき