日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 日々雑感  (13日~20日) *

2008年10月30日 | 雑感

   ブログをお休みしてしまいもう半月以上経ってしまった。 
   書かなければと思いつつ、この間の様々な出来事の流れを振り返りながら、
   ”苦難は幸福の門””ピンチはチャンス”何かと言うと、母が言う、言い続けてくれたこれらの言葉を
   (本当にそうやね)と思いながらの日々である。
   母のプラス思考的生き方、全ての出来事もこのくらいで良かった・・たとえ不幸と思う出来事でも、
   感謝に置き換える、それはすごい。 そんな感謝の積み重ねは、物事を好転へ導く大切な礎である。
   そんな母の生き方を、教えられつつ学べる自分は幸せだとつくづく思う。
   と同時に、私はどんな生き方を子供たちに残しているのだろうかと、そんなことも思ってしまう。

   福岡のぷりんちゃんから飛んできたミニの八房朝顔が、まだ毎日咲き続けている。 
   11月頃まで楽しめるそうだが、夫が珍しく起きて眺めるほど、そして水をやったりする異変は、
   品のいい、この花の魅力・・にほかならない。


13日月・祝

   12日はお隣のご主人の通夜に夫と参列、家族葬と言う事で、椅子の空席が寂しげだった。 
   葬儀は市議さんたち、区や町内会の役職ある方も出席、多くのお見送りで少しほっとした。
   まるで眠っているような棺のご主人の胸には、熱烈ファンふさわしくタイガースのタオルがかけてあった。

   義父の葬儀で始めて知ったが、出棺を告げるクラクションと同時に本人が使っていたお茶碗を割る。
   迷って帰ってこないように、この世との縁を断ち切る為に割る、ガシャン!と言う音に涙が溢れた。

   昨年まで毎年体育の日は、御堂筋パレードだった。
   橋下大阪府知事赤字削減の為、今年から廃止となり、代わりに御堂筋かっ歩・・
   銀杏並木の御堂筋を歩行者天国に開放。 今日はなし。
   イベント好きな夫ではあるが、昨日は夕方まで夫は釣りだったし私は娘夫婦たちと6人で
   スカイマークスタジアムの阪神戦へ行くべしだったが、通夜でやむなく私は取りやめた。
   偶然にも船に乗っていた夫は通夜に間に合うように帰れた。
   私が午前から出かけていたら通夜も知らず終い、出かける前に連絡をもらえて、
   通夜に夫婦で参列することが出来た、不思議にも。

   悲しみの葬儀から帰るなり夫が「御堂筋今日も絶対なんかやってるで。 自転車で行こう」
   きっと夫は、家に居ると湿っぽく、何か振り切るために言ったのかと思えた。 
   
   中之島市役所、中之島公園界隈では色々なイベントや出店で大勢の老若男女が入り乱れている。
   中央公会堂の前では、中高生の吹奏楽、姉妹都市のクウィーンズランド州の楽団の演奏あり、
   最後まで聞いた、演奏の間に夫が出店で広島風お好み焼きを買ってきてくれた
   (遅い~!)
   やっと・・お昼、2時半。 半袖でもいいくらいのお天気、多くの人たちが演奏を楽しんだ。



   私たちの前に、老夫婦・・男性の背格好がお隣のご主人に似ていて、
   (こんなご夫婦の姿がもう見られない)そう思うと何かしら胸が熱くなる。


   帰る頃には、ドームの向こうに夕日が沈みかけていた。 




14日(火) 

   秋雨がしとしと降っている、お隣のお葬儀今日でなくて良かった・・と思った。
   お隣の奥さまが早々に挨拶に見えた。 通夜で私たち姿を見て初めてぽろぽろ涙が出たそうだ。
   「やっぱりあんたたちを頼っていたんやね」 ご主人が逝かれた悲しみをいっぱい話して帰られた。
   親には、年に1、2度しか会えないけれど、人を思うことは、遠くの母たちもきっと
   大切に思ってもらっているのだと、そう思っている。

   悲しみの背、お隣のいつもは華やかに見えるコスモスも、私には寂しげに見えてしまう。




15日(水)

   11時37分「母さん、出血して・・今から帰る」パートに行っている次女から電話が入った。
   診察に間に合うので、かかりつけの病院へ。 安静を言われた、仕事はもってのほか、
   まだ4ヶ月に入ったばかりだし、流産しますよと言われた。
   「赤ちゃんが、ママもう仕事やめてって教えてるのよ」 「先輩も同じこと言ってたわ」
   暮れまではがんばって働くと言っていた娘だが、最初の子のときはつわりま全くと言っていいほどなかった。
   今回は結構きている。 可愛そうだが私は、それくらいでもいいかも知れないと思っている。 
   初産のとき、胎盤早期剥離でかかりつけの病院から、うちでは母子ともに助けられないと判断され
   急きょ総合病院へ救急車で搬送されて母子ともに後30分と言うところで一命を取り留めた。 
   出産は病気ではないが軽んじてはいけない。 
   出産は一回一回違う、ましてやなつめがいるから動きもはじめてよりは違うし。 
   つわりもそんな娘へ、いい意味で「私がいるよ」と赤ちゃんの声だと思っている。 
   仕事は辞めざるをえなくなったし、心配はしたが安静さえ解ければいいことに繋がったと思っている。




16日(木)

   娘は安静中につき、子守り&家事。 ママはおなかが痛い、そんなことっをなんとなく感じ取っている。
   関西TV初めて開いたHPで試写会の応募をしたら、難波東映シネマズでの「ホームレス中学生」当選。
   次女といくつもりだったが安静中なので、セイ君の送迎で長女と行く。 きっと舞台挨拶あるよ、
   予想的中、主演の小池徹平君、作者の麒麟の田村さんが舞台挨拶に朝一番に東宝シネマズなんばで
   朝一番チケットを交換した 長女のお陰で前から3列で徹平君他・・を間じかに見ることが出来た。 
   が、3列目はちと見づらい、映像によっては酔いそうになる。 
   原作は読んでいないが、ホームレスの実情、母をなくし父親の破産から助け合って生きる兄弟愛、
   そんな兄弟を愛情を持って援助する隣人愛を深く感じさせられた。 
   しかし感想の資格なし、半分近く寝てしまったのだから。 若い人ばかり、展君の名前で応募して正解。
   小池徹平君の主人公はあまりに可愛すぎるが、彼でなかったら映画館まで足を運ばないだろうなぁ。




10月17日(金)


   展君は先日会社の野球チームが初めて優勝、今年は50周年と言う大きな節目。
   その祝勝会で幹事役のはずが、「今から帰る」名誉の負傷・・病院から車でそれも松葉杖姿で帰る。 
   仕事中、飛び降りたところに物があり重度の捻挫で腫れあがった左足。
   次女の後は展君・・夫婦仲良く? 母はがんばらないと!

   展君でにぎわっている夜、ふるさとの友人から電話があった。 還暦同窓会の準備委員会の最中。
   お正月実家のそばの神社でお参り、その前に全員の記念写真撮影をお願いしたいと言うのである。
   (スナップ写真は撮るつもりだったが、そんな大事な写真のお役怖いなあ、三脚忘れないように!)
   電話の向こうにみんながいる、懐かしいみんなが・・。 わ~、あと・・77日?

 


18日(土) 

   ひろとの二度目の運動会である。 夫は会社、昨年もそう。 誰よりも行きたいに違いないのに。
   息子夫婦はもちろん長女夫婦、座っているだけだからと次女も松葉杖の展君もなつめ総勢8名、
   ビデオ2台、カメラ3台がひろとを追う。 ちょっとしたスター並み。
   敬老会は今ひとつ元気がなくて、ちょっと冷や汗、運動会はどうかなと思っていたが、
   広い運動場、しっかりお遊戯も競技もやっていた。 ずっこける余裕もあった息子の幼い頃そっくり。
   普通ならこんな日、一緒に午後を過ごしたいところだが、娘も婿も安静状態なので解散となる。
   しかしこれだけの大人たちの前で、ちゃんとやれる根性たるやあっぱれ。 先生方には感謝!




19日() 

   夫は卓球の試合に。  展君は階段の上がり降りが辛いので、台所へ布団しいて寝起き。
   次女は安静を強いられているし、私はいつもよりはがんばっている。 二人ですべきことをするのだから。
   夜は夫がご飯いらないから楽~! と言っているところへ早々に帰宅、(な~んや!)
   企画者の友人は団体戦のメンバー、優勝候補に当たってしまったからばつが悪い。 
   別にどうってことないんだけど、夫の夕食が要らないというとほんと気が楽なんだけど。
   「なんでもええよ」と言うくせに、料理に関してはあれこれ細かいこと言う人だからね~。
   私は時にむっとしたり、ぶつぶつ言いながらすることがあるが、次女は明るく夫の意向をやってのける。
    こうありたいものだと娘を見ながら、反省しているのだが。




20日(月) 

   次女が診察に行き安静がとける、あ~良かった。 大きく胸をなでおろす。
   しかしなつめを出産した日、病院へ治療に行って帰宅中の私に「お母さん、出血してんねん」
   あの時の不安そうな声がまだ耳に残っている。 とっさに時計を見た、11時37分と書き留めている。 
   先日同じように電話してきた時の携帯の着信履歴を見たら、11時37分だった。
   何かしら一瞬背筋が・・、何を教えているのだろう。 どう言う縁・・なつめも無事元気に育っているから
   おなかの子もきっと大丈夫、元気で生まれて来てくれるそんな縁かもしれない。 
   
   病気ではないが、普段は健康そのものの娘だ、しかし過信しないで、行動をとって欲しいと思う。 
   私がいてやれるからまだしも、私の時は親が近くにいるわけでなく、夫は麻雀の毎日だったし
   そんな環境の中で、3人産んでよう育てて来たなぁ。 まぁ昔はみんなこうだったんだけど。                 


   クライマックス、阪神が中日のさよならで敗れた。 首位独走、ゲーム差13優勝は間違いないと思っていた。
   岡田阪神が終った。 しかし夢を見させてくれた、胴上げ選手との労いの監督との涙にもらい泣きした。
   京セラドーム、セイ君招待でセイ君、セイ君のお母さんと夫と長女4人で観戦。
   赤べことか、甘美さん(藤山)とか言ったりしたけど、リーグ優勝のとき甲子園球場で胴上げを
   監督が宙に舞うところを見せてもらった。 監督ありがとうございました。


* キンモクセイ・・一喜一憂 *

2008年10月12日 | 雑感


   釣りに行く夫と朝五時に起きたとき、お隣の台所の電気がはやついていた。
   お隣に乗用車が止まり、間もなく出て行った。 ん? お隣のご主人が入院されたのかしら・・。 

   お昼前、班長さんからご主人が亡くなられたことを聞かされた。 驚いて血の気が引く思いだった。
   車椅子だったので外でお会いすることなく、家で寝ておられると思っていたのに。
   「家族葬だそうです」と、今晩の通夜明日の告別式次第が書かれた用紙をいただいた。
   奥さまと娘さんと二人だ、お隣にすぐにでも行きたかった。 急なことで、お力落としだろうと。
   こんな時、一番大事な時、行っていいのか、行かない方がいいのか相手がどう思うだろうか迷う。

   夕方洗濯物を取り入れる為に屋上へ行く。   
   高く広がった空にはうろこ雲・・風に切り離されるように流れて行く、どんどんとそれは。
   悲しみが増すように。 

   * 隣人の主  死に急ぎたるや  
         悲しみ暮れる中に  やさしき顔の浮かぶ  雲の間に間に *

   毎年欠かさずそっと自転車の籠に置いて下さっている、奥さまのさりげなき思いやりキンモクセイの一枝。
   私が嫁ぐ日、式場へと歩く道すがら匂っていたその花は思い出、と喜んで話しでいたのに。
   キンモクセイが、奥さまには悲しいご主人を見送る思い出花となった。  
   5日前は、まだ咲ききっていなかったのに。 
   お隣の玄関のキンモクセイが今、満開の花をつけている。  


* 子守り・・夫・じぃじ・・ *

2008年10月11日 | 雑感

 

   まだ昨夜の感激の余韻とともに、いい香りの漂う朝。 
   もらった花束は、ラッピングがとても素敵だったので、せめてひと晩はとリボンをとかずにいた。
   大きい花瓶や、一輪挿しや3つに小分けて挿した。 
   とりわけカサブランカは匂いが強くて、薔薇と香りを競い合っているようだ。

   愛ちゃんが仕事なので、ひろとを迎えに行きがてら会社まで送って行く。
   帰りにうつぼ公園へ下車。 雨上がり、あちこちと咲いた薔薇が雫いっぱい溜めて太陽を浴び始めている。
   しまった! 私にしては珍しい、カメラ不携帯! ひろとと薔薇、薔薇の雫・・あ~ぁ悔しい!
   この公園は犬の散歩者が多く、ここへ来るたび夫はひろとをなんとか犬になじませようとするのだが。

   今日は夫に孫2人の子守りをお願いし、様子を見つつ私は家事、家事、主婦、主婦。 
   孫が出来ると変わるなぁ、変わった。 ライバル意識満々な2人をうまい具合に遊んでやる器用。
   いや、孫が生まれる前から、買い物に行っても幼児を見るとあやす目になっていたのは以外。
   子守り上手な夫を見ながら思う、我が子の幼児期にはこんなに遊んでやることなかったのにね。
   目に入れても痛くないのは、孫だって? なんじゃいって感じ。 いい所取りで可愛がれるから? 
   そんなひろとの2度目の運動会は18日土曜、またしても夫は仕事なのだ、可愛そう!
   「別に・・」って夫は言うけれど。


* 結婚記念日・・幸せ編 *

2008年10月10日 | 雑感


                         セイ君より

   千葉の妹が「旦那さんがTVに出るかも・・」前日メールがあったものだから5時に台所へ降りた。
   サイドボードの上に! 夫と私の似顔絵の額とピンクと水色の封筒が並べておいてあった。
   ピンクは次女から、水色は展君からの手紙だった。

   次女からは、末っ子で甘えたで小さい時から家族のみんなに助けられて育ったけれど、
   なつめが生まれてからやっと自分に自信が持てたように思う、今も色々助けてもらっているけれど、
   その中でもっともっと妻らしく母らしく強くなれるようにがんばるから見といて欲しい。 
   いつかはお母さんのように・・。 40周年50周年と、みんながお祝いできるように元気でいて欲しい。
   もし二人がよぼよぼになっても、歩くことが出来なくなっても、家族みんなで支えて行くから安心して。
   お母さんが頑張って3人産んでくれたお陰で、力強い家族が沢山増えたから。
   最後は、これからもおやじとお母さんにいっぱい幸せが訪れますように・・と結んであった。

   水色の便箋には展君から
   ”父さんへ”いつも元気で、スポーツ好きな父さん、健康には十分気をつけて、特に腰は大切にしてください。 
   ”母さんへ”いつも美味しい料理となつめの面倒を見て下さりありがとうございます。
    体調に気をつけてあまり無理をしないで下さいね。  これからもずっと仲のいい夫婦でいて下さい。 
   これからもずっと孫たちの元気なじぃじ、やさしいばぁばでいて下さい。
   
   涙をふきながら読んだ。 
   私たち夫婦の似顔絵だって事前に頼んでいた訳、いつそんな企画をしていたんだろう・・。

   妹も今日が結婚記念日、お互いにおめでとうのメールを交わした。
   姉からもメールがあり、そして母からは電話が入った。 
   「幸せで迎えられたのも、お母さんのお陰よ」言うと、「何もしてやれなかったのに、母さんも幸せよ」
   お互いに褒めあって感謝しあって段々涙声になって行く・・最近の傾向。

   娘がパートに行っている間、なつめの子守をしながら、コトコトおでんを煮た。 みんなに食べさせたくて。
   夕方愛ちゃんとひろとを迎えに行き、セイ君宅へお邪魔する。
   何やらひろとが紙袋を持って長女に渡す、愛ちゃんもこそこそ・・。

   部屋に入るなり、またいつの間に・・35周年 おめでとう・・そんなボードで主賓席が出来ている。
   セイ君が有名なお店の中華料理を用意してくれていて、おでん色に大きな彩を添えてくれた。
   展君は仕事で遅れるし、息子はいつもの如く仕事で参加できないそんな状態の中お祝いが始まった。
   30周年は、私と夫、娘2人の4人で丹後の日浦温泉一泊、車で出かけた楽しい記念の旅だった。
   
   5年の間に、長男、次女、長女と子供たちが結婚、長男と次女のところに子供が出来てもう2歳。
   しかしこの5年間、喜びごとの間には、悲しく辛い事柄もあった、書けないような事がらがいくつも。
   けれど長女夫婦を筆頭にみんなして考え、みんなして対処し、なんとか乗り越えることが出来た。

   孫たちへの教育とは・・夫婦が、親子が、兄弟が・・家族みんなが仲良くすること、これが一番。
   そんな姿を見ながら育つ孫たちの、心の中にはよどみは生まれ無いと思うから、みんながんばろう。

   おなかいっぱいになった後には、お待ちかね愛ちゃんご自慢の手づくりケーキ。 
   今日が仕事のお休みだったのに、ひろとはお休みにせず保育所へあずけて作ってくれた。
   ひろと、せっかくのママとの楽しい1日をとってごめんね。


セイ君より

     孫たちの楽しみもあって、ろうそくをふー・・ 40周年も50周年もお祝いが出来ますように。 

    こんなお祝い事の度に、家族はパティシエ愛ちゃんのケーキ、どれだけ味わったことだろう。 


セイ君より

   ケーキを切り分けたところで、サプライズ! ひろとが花束と・・長女が丁重に包まれた風呂敷き、
   目録(もしや・・)「お母さんが想像しているようなものではありませんから!」セイ君が言うとみんな大笑い。
   記念にみんなで旅行でも・・なんて以前から話していたが一泊は息子は無理。
   だから(私たちに温泉でも・・)なんて思った訳。 
   中味を開いて・・絶句・・最後まで読めなかった。 泣けた、読んだ夫も男泣きした。
   息子が10年勤めている法善寺横丁のお店へ招待・・VIPカーでの送迎つき(セイ君の愛車Golf!)
   最後に子供、孫も参加させていただきますのでご了承下さい・・と、子供や孫の認印つき。
   こう言うことの堪能な長女作成である。 泣けた・・なんと言う私たちは幸せ者なのだろう。
   息子がお世話になり育てていただいて10年、お礼に伺わせていただくのが当たり前なのだろうが、
   敷居も何もかも高くて・・1泊するくらいは・・、親の心いっぱいにみんなで考えてくれて有難い・・。
   愛ちゃんのお父さんとの顔合わせで、家族みんなして始めて寄せていただいてから2度目になる。
   料理人、息子の働く姿も見ることが出来る訳で、私たちには最高のプレゼントである。

   母が広島県中ではおこがましいので、「生口島中で一番の幸せ者じゃ」と、ことあるごとに言うが、
   私はまねして「大阪市中で一番の幸せ者やわ」って言おう。 

   もう胸がいっぱいで幸せに包まれた夜。 子供たち・・生まれて来てくれてありがとう。
   いえ、母は物よりも何よりも、知らないところでみんながそれぞれにふさわしい事がらを持ち寄り、
   こそこそ考えて企画しているその、こそこそ・・が何よりも嬉しいのである。
   夫はあまりの嬉しさに、最初で最後と言いながら自分のブログに家族写真を載せた、よほどなんだろう。 
   気づくのが遅かったが、夜中一番下の妹からもおめでとうのメールが入っていた。
   みんなが誕生日や記念日に電話する、こんな習慣は母から継承された我が家の大切な宝物。
   35周年は珊瑚婚式だそうである。  ここまでくると、もう大丈夫かな・・。


* 拝啓、まゆ殿・・ *

2008年10月09日 | 雑感

   早いのか遅いのか、また季節がめぐって屋上のユリオプスデージーが花を咲かせた夕暮れ。
   夜、緒形拳さんの遺作となった『風のガーデン』を見てお風呂に入った。 私がドラマを1時間見る等滅多と無い。
   拳さんの言葉じりが、役柄の演技なのか身体に添った言葉なのか・・普通なら気にしないはずなのに。
   まだ初七日さえ経っていないのに健在(そうな)彼、30日にはおられたのに・・明日さえ分からない人生。

   お風呂上りに洗面台の鏡を見る、眉の薄い自分がいる、それってちょっと”あほ”っぽい。
   (”あほ”は関西人なので抵抗無いが、これを関東なら”馬鹿っぽい”と言うのか?それには抵抗があるなあ)
   もう寝るだけなのに、これはいかんと思い鏡に向かうとき、面白い話を思い出すのである。

   何年か前、日本画家の浜田泰介氏が描かれた京都の東寺の観智院と醍醐寺の三宝院の障壁画の
   特別公開があると奥さまのメールで知り、5月の休日早朝から夫と京都に行き障壁画の素晴らしさを
   堪能したことがあった。 奥さまの浜田幹子さんが出版された『三分間の幸福』と言う詩・エッセイ本を
   注文したことから、何度かメール交換させていただいていのである。 
   その本の1/3は片面に詩が、反対側にはご主人の水彩画が描かれていて実に見事だった。
   年を重ねられたご夫婦の姿がまるで融合されているようで、ご主人様の障壁画集とともに、
   一生涯手元に置いておきたい本の一冊になっている。

   2/3ほどはエッセイ、その中の1節に阪神淡路大震災の時の事が詳細且つユーモラスに書いてある。
   (当時ならユーモラスは不謹慎なのだけど)私は読むたびに笑ってしまう、類似点に。
   たまたまパーティー出席の為30人位で、神戸のポートピアホテルにご夫婦で宿泊されていて震災に遭遇。
   とっても美人な奥さまはいつも着物で、ご主人の展示会に付き添われておられる。
   たまたまパーティーなので珍しく洋服だったそうで、朝震災でロビーへあわてて避難されるとき、
   スーツに着替えながら暗い部屋でご主人がそんなもんと言うところを、ブラジャーブラジャーと
   探し回られたことや、身の回りの物をスーツケースに詰めたご主人に対し、書籍何冊かだったこと、
   それをご主人に言ったら叱られそうだから言えなかったこと等。 
   そして記事を引用させていただくなら・・、

   ”暗いホテルのロビーにいるとき、大きなライトが近づいてきて・・テレビかしら、でも早すぎる、
   そんなはずはない、もしテレビならどうしよう、毛布を被った難民姿で撮られたくない、それよりも何よりも
   素っぴんだ。 自慢じゃないが、私は素顔と化粧した顔が別人のように違う。 
   自称「別人28号」と古いギャグでごまかしてはいるが、出来ることなら家族以外にさらしたくない。 
   愛情あるいは慣れを持って見ないと、その落差に耐えられないからだ”(三分間の幸福より転載)

   大きなライトは、TVカメラ、数ヶ月前新潟でご主人を番組を放映した時のスタッフだったそうだ。
   震源地の真っ只中に地面に座っていたが、何もすることはないけど、ここで化粧を始めるのはいかがなものか。
   明るくなっていく中でこれ以上素っぴんでいることは耐え難い、向こうのおばさんが化粧を始めたので、
   夫の許可を得て簡単に白粉と口紅と眉墨だけを使ったと言う、14ページの中のひとこま。
   想像するだけで、幹子夫人の心情が面白いくらいに分かる。

   そんな時は滅多と無いし、幹子夫人のように有名な画家の奥さんでも無いが
私も時々ふと、
   もし夜中に地震があったら、急を要し救急車ででも走るようなことがあったとしたら・・と。
   素っぴんはいいとしても、救急車を待つ間私はそこだけ冷静に眉を描く人間かも知れない。
   薄かったらちょっとあほっぽい、それって少し恥ずかしい、昼間ならなお更、世間に迷惑をかけると言うもの。
   やはり私も一応女であるし、自尊心だってあるから。 

   仕事をやめるまでは多分お風呂上りもいざまさかの為にも、眉
を描いていたと思われる。
   それに夫が帰宅する時間の前にも、少しでもこましな妻でいたいから結婚何十年かは薄化粧さえした。
   外には美しい女性がわんさといる、夫はそんな中で一日そして往復過ごすわけで、
   仕事を終え家に帰って素っぴん、しかも眉の薄い妻が迎えたらどうよ。 夫婦でも礼儀ではとさえ思っていた。
   そんな私が3年前仕事をやめてから、あれよあれよと言う間に・・私、変わった。 
   いつの間にか素っぴんが平気になり、洗顔のままで眉さえ描かないことがあるから慣れと言うのは怖い。

   50代の夫婦は忍耐、60代夫婦はあきらめ・・と言う。 その大台に来年は突入するのだ。
   昨日夫を見送った後、エプロンを裏返しに着ていたことに気が着いた。
   (わ~ひどい、夫も・・娘も・・娘婿も・・なつめは仕方ないけど、誰も気がついてくれなかった!)
   私が眉を描こうがどうしようが・・もう夫はあきらめの境地か? いや、でも私は嫌だ。
   眉を描く、描いたら、うん・・変わる。 ”あほ”もそれなりにちょっとはましなんだから!  
   鏡の中の私、これでよし。 拝啓眉殿これからも描くよ、せめて。 私が女であるために・・おやすみなさい。