昨日神戸の夫人の携帯から、夫へ電話があった。
夫は「こっちからかけるって言うて」って言うから、そう言って切った。 電話代がかかるので。
夫が携帯から電話をする・・ 「1回、2回、3回・・・7回、8回・・出んぞ・・」 「携帯へかけてる?」夫は返事をせずに
「14・・15・・出た!」 「おかん、なんですぐに出えへんねん」 「家の電話にかかってるさかいに」 「え?そうやった?」
(だから言うたやん、そうや思うたわ) 「すまん、おかん! もう一回かけなおすわ」 なんのこっちゃ。
別に用事はなかったのだが、つい押した・・と言う。 そう言えば、少し電話をしていなかった、気になりながら。
83歳にして先月携帯を持ったが、日が経つと忘れてしまうと言う。(当然、夫だって履歴から登録まだ出来ない)
マニュアルを作ってあげる為に写真を撮りに行って、作って先月末に持って行って練習した。
人に言うために夫人の番号や、色々A4サイズで表裏に5枚分作成した。
今はエコの為、小冊子でなく使い方はネットで検索、何ページにも渡って詳しく書かれてあり初めてみた。
同じソフトバンクのお隣さんも呼んで、何度もやったりしたんだけど、そりゃ仕方ないわ、私だってすぐ忘れる。
「電話持ったこと後悔してるわ」本心ではないのが、言葉のニュアンスで分かる。
公衆電話のない今、いざというとき持っていいと一人なんだし、よけいに必要なのであるが。
夫人にしてみれば、そばに置いている鳴らない電話は持っていても返って寂しいのだろう。
私が上の階で用事をしているとき、電話があったそうだ。 普段でも自分からかけてくることなど殆どないのに。
つい押してしまったと言ったらしい。 短縮ダイヤルも本来なら1番は身内だろうが、1は夫に、2は私に、
3は一番近しいお隣のお友達。 親兄弟はなく一人いる弟のお嫁さんも高齢で、もう何もしてあげられないから
電話をしてもらっても・・と言われているらしい。
1を押した・・昨日に続いてまた今日も。 なんか胸が・・痛い。
「おかん、土曜日半ドンやからお昼から行くわ。 ええとこ連れて行ったる」思わず夫はそう言ったらしい。
2日も「つい押してしまった」夫人の心情を思うと、言わずにおれなかった夫の気持ちが良く分かる。
震災後は神戸市北区のひよどり台の仮設住宅にいた。
その時は共に被災した同士、何度も訪ねていた私たちは本来なら前途を思うと
暗くても当然なのに
皆さんの顔は明るかった。 助け合いながらはつらつと生きていた。 神戸の方たちの地域柄、人柄を見たようだった。
あの頃の夫人は何にでも興味を持っていて、積極的に吹奏楽の演奏を聴きに行ったり、帆船を見に行ったり、
講習会があると聞きに行く、プールへも水中を歩くんだと通っていた。
会ったときの会話は明るくて、消極的な私は見習わなければいけないと思うほど、お年のわりに実に快活であった。
仮設の撤去から、一般の住宅、現在の新しい復興住宅に移り住むようになって、次第に心が萎えて行くのを感じた。
仮設の時の沢山の友達とも離れ離れになり、あるいは亡くなられたり・・それに無二の親友も亡くなり、
謡いの友達も先月山口へ引っ越した。 本当に寂しくなられた。
何をする気力もなくなっている。 まるで老いにも加速がついたように・・。
何の血の繋がりもないが、会社で定年まで夫と働いていたと言うことで結婚前からずっと続いている縁。
家庭を持たなかった夫人への思いやり、夫ならばこそである、まるで息子のように。
だから私も、息子のお嫁さんよろしくお付き合いをさせていただいて今に至っている。
寂しいのであろう、多分。 伺ったときも、周りはどんどん発展していくのにエレベーターでもあまり人に合わない。
復興住宅故に高齢で一人住まいの方が多いからである。
足もおぼつかないので歩き回ることなく、お隣さんがいなければ、一日一言も言葉を発しないかも知れない。
周りにも、このような方はいくらでもいるが、なんとも言えない気持ちになる。
前にかかりつけの病院のヘルパーさんが、会話をしないと記憶力の低下が早い、特に一人暮らしの方はと言われた。
夫人だって同じだ、外へ出なければ人が来なければ電話でもしなければ一日言葉を発することがない。
だから電話で話すとき、「頭が悪うて、悪うて」を繰り返す。 今何をしているか分からなくなる時があると言う。
そんなことは私も日常茶飯事(なにをしにこの部屋へ来たんだろう)思いだすために部屋へ引き返したりする。
夫人も記憶がおぼつかなくなっているのだきっと、日増しに。
今記事を書いているのは24日朝、実は昨日もお昼夫にかかっていたが、会社では受信不能、
昨夜かけたらいつ来るって言っていたか分からなくなって、聞こうと思ってかけたのだそうである。
「おかん、土曜日やで印しとき」夫は何度も言った。 電話を切った後私たちは少し無言だった。
自分たちに出来ることを・・と思いながらも、つい我が生活で忘れる日さえある。
夫や私の母は実家の兄嫁さんたちに手厚く面倒をみてもらっている、核家族で申し訳く思うからせめて
日々夫人に心を通わせようと、そう思いながらも日常生活に埋もれてしまったりしている。
土曜日何を作っていこうかと、娘とそんな話をしたりしているのだけれど。
「これから大変やね、本当に分からなくなってきたら・・」 「なりゆき上しゃぁないな」 がんばろうか・・。