七夕の日の夜、雨が降っていることは結構あった。 「織姫様と彦星様は会えないね・・」なんて、寂しい雨。
今年はバッチリ晴れ予想的中、殊の外嬉しい。
7月7日と言うと、我が家では恒例の七夕飾りの行事で嬉しく楽しいイメージ・・だったのだけれど、変わった。
20018年7月7日だった。 西日本に雨による豪雨災害が起こったのだ。
実家に安否の電話をすると、因島の甥っ子家族が駐車場に土砂、ご近所には浸水の所もあり、因島大橋が渡れる間に・・と、
実家に避難してきたとの事だった。
広島県でも大きな被害に見舞われた。 身内や島の友人たちも、水の出ない自衛隊さんの給水車のお世話になり、不自由な
食やお風呂など、大変な生活が続き辛い思いをされた年である。
私には衝撃な印象になってしまった七夕の日、この頃雨が降ると(今年は大丈夫かなぁ・・)と、思いだしてしまう。
長女が生まれて二年、あの頃は七夕前になると幼稚園児や小学生がいる家の軒には大抵小さな七夕飾りが飾られていた。
”星に願いを・・(わたしもしよ!) その年からお花屋さんで笹を買ってきて飾るようになった。
子供の成長に応じて、字を覚え飾りを作るようになり・・そして孫も加わり、賑やかな・・それは楽しい行事だった。
子供たちも我が家では、当たり前の行事として皆で楽しんできた。
三人の子供が結婚して二人になった時「どうする?」と言ったが、止めると言う選択肢はなく、皆車で20分程の距離、
集まって短冊を書いたり、来れない時は届けていた短冊を取りに行き、みんなの願いを飾った。
子供が小さい頃はまだ川や海に流しに行くことが出来て趣もあったが、ある時から禁止になり味気ない七夕流し。
過去のアルバムより、昭和55年7月に三人が誕生日を迎える2週間前、長女四歳、長男二歳、次女十一ケ月の時の七夕の写真があった。
最初の家の時、第三子・・この日初めて「歩いた~!」 今は、この娘家族と同居生活をしている。
46年の時の流れ・・
年々決まった願い事もあれば、その年の社会や家庭事情が願いになったり、それは家族の変化であったり子供や孫達の成長のあかし。
今年も七夕前夜、夕食後みんなで短冊を書いた。
みんなしてテーブルを囲み書いている光景を見た時、(これが家族・・)少し胸がジーンとしたと言うか嬉しかった。
実は二人しかいない昼間、夫は一番に短冊を書いていた。 昨年”家内安全”を”家内案全”と書いて皆から大笑いされたので
短冊の漢字を一つひとつスマホでチェックしていたのである。 なんか微笑ましい?
孫娘の ”全国大会で みんなのいい笑顔がみれますように” が現実的で健気だった。
コロナになり帰省できていない私たち ”早く田舎に帰れるように” ”そのうちに80台一発!(ゴルフ)” お決まり以外の夫の二枚。
来れない長女の家庭、鹿児島の長男家族のは代筆で書いた。
”それぞれの家族が 健康で明るく楽しい生活が送れます様に・・”
「明日は一日晴れやから願い届くよ、いっぱい書こう」と言ったので、短冊だらけの今までで一番地味な七夕飾りになった。
孫娘が「明日はお寿司やね!」 そうか忘れてた! 七夕の日はちらし寿司やおそうめん、夏野菜で暑さを乗り切ろうだった。
私も年をとった・・細かいことに気配りが出きなくなった。 検索の達人、孫娘に感謝。
46年間、誰ももういいんじゃない・・と言う者はいなかった。
ご近所やあちこち見渡しても飾っている家は我が家だけのようだ。
いつまでできるだろうか・・できればずっと、夫と一緒に楽しめます様に・。
(8日の突然の出来事に更新をためらい、今に至りました)