仕事は与えられたことだけをやればいいのではなく、自分で作るもの。
”働く”と言うのは、傍を楽にすること、そう教えられてきた。
私が働いていた何年間か、そう思いながら仕事をしていた。 いかにすれば、短時間で効率よく出来るか、
時間が過ぎればいい、そんな人も多かったが、創意工夫をする日々、時間が楽しかった
夫にはそれは正社員がすることで、パートがそこまでせんでもいいと言われていた。 私の性格を知るがゆえに。
”仕事は自分から作るもの” それは今の日常でも同じだけれど。
マニュアル通り。
雨の日コンビニへ入ったお客さんが入り口で滑って転んだ。
あのに・・ 「いらっしゃいませ、こんにちは!」
そう言った、お粗末極まりないおバカ店員がいた話は珍しくないであろう。
2ヶ月に一度くらいバスに乗る。 難波か大阪駅行き。
ガイド任せの殆どしゃべらない運転手さんもいれば、歌手などがハンドマイクでなく身体につけるマイク、
あれなんて言うのか・・それをつけて音声ガイドで停留所名を言った後復唱して「お降りの方ございませんか」
「ありがとうございます」 「お気をつけて」などを丁寧に言われる運転手さんがいたり。
初めてだったので、「初めてでしたこんなの、気持ち良かったです」 そう言って降りたことがあった。
今日は一日中雨である。
デパートへ行く為に、難波行きのバスに乗った。
停留所名も自分でいい、乗った後も座ったか後ろを向いて確認しながら「では発車します、気をつけて下さい」
降りる人にもきちんと「ありがとうございました」を繰り返し、「滑らないように足元に気をつけて下さい」
ソフトなその声は、和んでとても気持ちが良かった。 そう感じた人は私だけではないはず。
かと思うと、大阪駅からの帰りのバス。
「では発車します」 その声は低音でかっこつけてゆっくり過ぎる位な口調、おまけに聞こえにくい。
この場に及んで、観光バスじゃないんだから・・停留所も強弱つけて自分で楽しんでいるみたい、分かりにくいし。
(こんなんあかんやろう・・) 運転手さんの名前を携帯でメモした。 (私はクレイマーか!)
給料もらい過ぎ高額な手当て大阪市バス運転手さん、新市長さんのお陰で、多分下ったと思う、当然だ。
マニュアル通り、口を開けば損をするみたいに喋らない運転手さんもいるが、これが普通。
仕事は十人十色、もらい過ぎでにらまれている分、サービスに徹し信頼回復をお願いしたい。
終点難波に着いた。 私は一番後ろの席だったので降りるのは最後と思っていた。
マイクから英語で話す声が聞こえた。
「~~~~~~」 「~~~~~~」 外人さんと運転手さんが会話している。
意外だった。 外人さんが何かを訪ねていて、その答えを英語で答えたのだろう。
外人さんは嬉しそうに「サンキュー」 サンキューと答えた運転手さんはそのあと、何か言葉を付け加えていた。
外人さんは「~~~~~~」英語で、さっぱり分からないが。
かっこいい! もともとしゃべれる人なんだろうか。
それとも外人さんもいるし、習ったんだろうか。 そんな奇特な人がいてもいい。 おざなりでなくて、自分のスキルの為に。
帰るなり夫に話した。 「すごいなぁ」 「喋れてた人かなぁ、それとも勉強したのかなぁ」
言われたことだけをやったらいいのではない、もっと出来ることはないか・・仕事は自分で作るもの。
それを考えるだけでもわくわく。
家庭でも同じだ。 昨日と同じ今日、今日と同じ明日 そんなに過ぎる日々ではなんだか満たされない。
何か少しほんの少しでも、違う日を送りたいと思っている。