母は行事ごとを大切にする人だった(現在98歳今は兄嫁さんのお世話になっているので) 昔の人は皆そうだったと思うけれど。
お正月、節分、ひな祭り、端午の節句・・等など、四季折々、思えば決して裕福でもない時代に、手まめなそれらは最高の幸せだった。
祖母がいて、両親、5人の子供達。 行事ごとのご馳走は子供にとったらもうそれは・・きらきらと目が輝いていて最高だった。
美味しいものがいつでも食べられる、今の時代の子供達の嬉しい・・とは大きな違いがあると思う、有難さが違う。
私は、家族を繋いでいたものは、ちゃぶ台を囲んでいた頃からの行事ごとと、日常での食であったろうと思う。
皆が一堂に会して「いただきます」 ご飯粒を残したら目がつぶれる、食べてすぐ横になったら牛になる・・目がつぶれた人いないし、
牛になった人はいないのに、子供心に親の言う事には説得力があり、そうなったら嫌だと、言いつけを守ったものである。
それに母はなぜかいつも「家族の和が大事」を日常から口にしていた。 そんな信念と食の歴史が我が家を作ったのかな。
身内やご近所の大きな子供たちは、親子や嫁姑、夫婦・・喧嘩して「おばちゃん・・」と言って、駆け込み寺的な我が家だった。
ひな祭り、小さな段飾りのお雛様は、値打を知らない子供たちの格好のおもちゃで遊ばれ、私は妹たちと赤い毛氈敷いてひな段を作り、
家にあるありったけの人形で段飾りのお雛様を作り楽しんだものである。 昭和のおままごと? それでも充分に楽しかった。
母はひな祭りもバラ寿司を作り家族で祝った。 昔、我が家のエンゲル係数は間違いなく高かったと思う。
ひな祭りだから、思い出して書くことが出来た。ブログ再開しなければ、思い出の引き出しを開けることは無かったかも知れない。
70歳を過ぎた頃から色々あったことも加え、もう過去を懐かしむ時間はない?
それよりもこれからを如何に生きるかを考え暮らすことが大切、そう思っていたから、でも書くことは母への感謝になるかも知れない。
親がしてくれた事柄は、見よう見まねで出来るものである、だから節分には必ず巻き寿司を沢山巻くし、柊に鰯の頭も刺して玄関に。
ひな祭りは・・やはり皆で寄って祝う、出来る限り。
都会仕様のケースの雛飾り、部屋が狭くなった分今年は出さなかった。 今時ちらし寿司も孫たちはもひとつらしい。
でも、私も一応女の子だしお寿司大好きだし、今は大阪組は女の子4人、欠かすわけにはいかないし・・作った。 雰囲気雰囲気。
過去のような勢いはないけど。
コロナ禍故に受験生に気遣い、長女は仕事帰りにお寿司のお持ち帰り。
私が結婚して四季を通じて行事をこなしてきたのは、娘が2人いたからで、お嫁に行った先でこうして欲しいと言う願いからだった。
けれど娘達は、みな近くに住まいして事あるごとに我が家に集合し、楽にも私の手作りを楽しんでくれている。
そんな今日のお昼時、ひな祭りに色を添えてくれた贈り物が京都より届いた、私宛に。
2月の間ブログのトップを飾ってくれた金閣寺、寒い雪の中を写真撮りに行って下さった夫の大切な友人である。
包みを開いて思わず・・なんて可愛い!! *ほろよい お雛様*
小さなお菓子には甘酒が・・ 娘時代5年間京都で過ごした私である、俵屋吉富さん、あの大好きな雲龍で有名な京菓子の老舗のお菓子。
酒器・梅の花、そしてお内裏様とお雛様である。 食べるのがもったいないくらい。 京都らしい・・美の遊び心が溢れている。
あかりをつけましょぼんぼりに おはなをあげましょ もものはな・・・ きょうはたのしい ひなまつり
お洒落なはからいに・・私はちょっとほろよい
たのしみは やはりお寿司の ひな祭り ほっこり食する 笑顔を見る時