帰省すると言ってあったのに、帰阪後報告の電話を入れていなかったので姉や妹から次々と電話をもらった。
元気だった母のこと、兄夫婦のこと、甥っ子夫婦のこと、いっぱい話した。
帰省のとき、親友に3人組のもう1人にお土産を渡してと頼んでいたが、もらったよとお礼の電話があった。
両親の介護、自分自身の身体、毎日見ている大変さを思うと聞くのも辛い。
彼女の父親は私の父ととても仲のいい同級生で、生前良く行ききしていた。
父も生きていたら94歳になるのだ。
彼女の話を聞きながら、父が生きられなかったおじさんとの34年も違う人生を、今更ながら残念に思う。
京都の姪っ子から荷物が届いていた。
昨年4月、姉が膝関節の手術をして1年になる。
京菓子に、2枚の便せんぎっしりと丁寧に書いた手紙が添えてあった。
手術の日や8月の2度目の手術、長い入院生活の時何度も姉妹代表で足を運んだりした。
毎日父親の食事の世話から、病院のことまで自転車移動で頑張った。
姪っ子の家に行って、2人で色んな話をして聞いて涙をふいた日もあった。
こんなに話し合えたのは、始めてのことだった。
「乗り越えられたのはおばちゃんのお陰」なんて、書いてあった。
姉のこともあるし、嫁ぎ先の両親のこともある、春運転免許を取得した。 パートにも出るようになった。
姉も、結婚してここ2年随分と成長したよと話していたが、若い人の吸収、変貌は素晴らしい。
それは素直が基本だからであろう。
夕方、生協の品物をマンションへ届けたら、ゆいちゃんが「ばぁば、見て見て!」
保育園で作った鯉のぼりを抱えて飛んできた。
そうだ五月なのだ。 おだやかな・・おだやかな一日だった。