日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 佳き佳き・・を残してくれた母の財産・・ *

2022年10月31日 | 雑感


母亡き後そして年が明けるとコロナ禍三年となるが、昨日・・姉、すぐ下の妹、一番下の妹が実家に帰省した。
お墓参り、そしてお姉さんへ母をお世話頂いたお礼と感謝を伝えに馳せ参じ、形見分けの時間を持った。

ワクチンが打てない実家のお姉さん、姉が娘夫婦に連れられ「お墓参り帰れるかなぁ」「全然OKです」と許可が下りた。
それならばと、千葉の妹夫婦も合流の帰省である。 

あれだけ帰省を拒んでいたお姉さん、それは感染者の多い大阪、千葉、京都 何とも! ひたすらに感染しないようにと
母を守るためであったこと、そう思いつつも葬儀にも帰れなかったことには多少の悔いを感じていたけれど、
日が経つにつれ、母をお姉さんファミリーと地元の妹夫婦で見送れたことは、結果的に良かったと思ったし、
母と過ごした18年間は余りに短く、お姉さんが母と過ごした46年間はあまりに長くそして厚い。 完全に惨敗である。

母が万一感染したら・・恐らく100歳が届く年齢、助からないかも、そして悲しい見送り方になるかも知れないの懸念。
そんなこともあって、コロナ禍は田舎でもあるし周囲の目もあり、「帰らないで欲しい」帰省はずっと拒まれた。
思えば私たちには悪いと思いつつも、大切に母を思えばこそのお姉さんの母への愛と行動には、感謝しかない。

私は大阪だから、感染者数もまだ多い、でも誰もみっちゃんも帰っておいでが無かったのは少し寂しかったが、地元の
妹が、母が亡くなる三日前、退院したばかりの夫と長女とで母を見舞うことが出来たし、実家や夫の実家のお墓参り出来たし、
義兄夫婦にも会えたそんな事柄と、病院で会ったお姉さんは、退院した夫より私の方が悪そうでずっと気にして下さっていて、
日を改めて・・と逆に無理をして帰省するのを案じて、私を気遣い声がかけられなかったそうよと妹から聞いて納得。
そこまで思いを馳せて下さっていたのだと、有難く申し訳ない気持ちになった。

夜、妹から電話があった。 賑やかにみんなの声が聞こえていた。 いわゆる形見分けである。 女5人想像がつく。
四姉妹の送った母の日、誕生日や敬老の日、それに帰省の時など皆から送られてきた洋服やら・・着てないものも多々。
そして母の手芸作品の数々、皆さんでお好きなものをと、お姉さんが。 「みっちゃんこれどう?」写真を送ってくれる。
孫の結婚式に母が着た上等な総レースの上着、これは私にとお姉さんの方から少し前言ってもらっていた。
そんな心遣いすごい。
賑やかな声が聞こえた。 本当に楽しそうだった。 千葉は夜は尾道のホテル、姉と下の妹はお姉さんのはからいで
実家に泊まった。 遅くまで語らい姉たちもまた、遅くまで・・。 それを聞いただけで私も楽しかった。

天国の母の笑顔が浮かぶ。 お姉さんの優しさ、姉妹たちとの仲・・佳き佳き。 
亡き父も、母も、必ず最後口にする言葉。「兄弟仲ように・・」今思えば遺言のような言葉。
守られるように育ててくれた母、帰省しやすいように46年をかけお姉さんを讃えつつ、私たちを戒めながら生きた
母の佳き心の財産だと私は思っている。

守られているよ、お父さん・・お母さん。 それはこれからもずっとね。



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