雨上がりの土曜日、夫と長居公園に行った時に撮りたかったくちなしの花はもう咲き終えていた。
この時期になると思い出す。 くちなしの白い花が香るような梅雨の季節になると。
そう、それは2003年、そして6月12日。 非告知派の夫が、自ら咽頭癌の宣告を受けて帰った日。
長く治らない咳、かすれて来る声、近所の医者から大きな病院へ行き、二ヶ月の入院と言われた。
「癌でっか?」「そうです」今はそんなに簡単に直接本人に言うのだろうかと疑問を感じたけれど。
夫の顔は見れないと、一晩中泣き明かした娘達。 心配はしながら、お店の大将の顔で色々と情報に手を尽くす息子。 私は夫に何をしてあげれば、どうする事が一番夫が嬉しいだろうか、悩んだ日々。 18日に入院、21日手術だった。 初めての入院、そして私も始めて主のいない家で過ごす夜。 声が出なくなるほどにさせたのは私かも知れない。 言いたい事も言わせない、強い私の精かもと消灯前にごめんなさいと、そうメールした。 前の年の夫の誕生日に贈った私と色違いの携帯。 こんな時に役にたとうとは思いもしなかった。
会社の人達も、もう復帰は無理かも位に案じ、辛そうな友人のお見舞い。 絶対癌なんて死ぬまで言わないでくれと言っていた位の夫。 どんな思いで過ごしたことであろう。
普段会わない息子がとても逞しく思え、仕事の合間毎日通い、まるで病人ではないように、娘達は夫のベッドで戯れる。 夫の心を少しでも軽くしようとの精いっぱいの心使い。
三人の子供達のいじらしいような懺悔、償いだと言う心遣い。 子供を持った最高の感謝だった。
家族に病む人がいると言う事、それはその事柄で家族の心を一つにする為の、見えない神の采配なのではないかと聞く事がある。 そんな我が家では無かったと思うけれど、この事で今まで以上にそれぞれが家族一人ひとりの大切さや有難さを感じたのではないであろうかと。
入院して10日、婦長さんが「癌ではありませんでした、単なる咽頭縁ですね、腫瘍も四箇所きれいにとれました」 だれもが信じられなかった。 手術の前にも本当に癌なのか私達も確認したのに。
「おやじかっこ悪~!」「癌保険おりひんやん!」「お見舞い返さなあかんやん」一揆に明るい病室。
後になって思えば、誤診と言うことで家族をはじめ廻りがどれだけの精神的負担を感じた事か。
誰よりも非告知派の夫が。 病院へ訴える事も出来たであろうけれど、癌で無かった、もうその事だけで嬉しくて、誰もそんな事思ったものはいなかった。 覚悟して、開き直ってひげを伸ばしていた夫。 どんな思いの16日間であったろうか。
宣告を受けてから16日間、家族には長い長い16日間だった。 病院の駐車場から玄関へ向かう道の脇には、くちなしの花がいっぱい香りを漂わせて咲いていた。 短い花の命なのになぜと思った。 その花を見ると思い出す、その時の事を。 その年の告知を受けた12日を我が家では「健康記念日」にしようと決めた。 12日日曜が三度目の「健康記念日」だった。
友人の誘いで急きょ甲子園入りの夫。 私は一人TV観戦しながらあの時の事を思い出していた。 オレンジシートに目をやりながら夫へと思いを馳せながら。 胸がいっぱいになって来て一人涙をこぼしていた。
土曜日の展開のつもりでいたであろうタイガース、せっかくだったのに残念ながら負けの試合になった。 しかし元気でいてくれる三度目の「健康記念日」私は心の中でばんざいと叫んだ。
HP「みくの部屋」 エッセイ:《 祈り 》
この時期になると思い出す。 くちなしの白い花が香るような梅雨の季節になると。
そう、それは2003年、そして6月12日。 非告知派の夫が、自ら咽頭癌の宣告を受けて帰った日。
長く治らない咳、かすれて来る声、近所の医者から大きな病院へ行き、二ヶ月の入院と言われた。
「癌でっか?」「そうです」今はそんなに簡単に直接本人に言うのだろうかと疑問を感じたけれど。
夫の顔は見れないと、一晩中泣き明かした娘達。 心配はしながら、お店の大将の顔で色々と情報に手を尽くす息子。 私は夫に何をしてあげれば、どうする事が一番夫が嬉しいだろうか、悩んだ日々。 18日に入院、21日手術だった。 初めての入院、そして私も始めて主のいない家で過ごす夜。 声が出なくなるほどにさせたのは私かも知れない。 言いたい事も言わせない、強い私の精かもと消灯前にごめんなさいと、そうメールした。 前の年の夫の誕生日に贈った私と色違いの携帯。 こんな時に役にたとうとは思いもしなかった。
会社の人達も、もう復帰は無理かも位に案じ、辛そうな友人のお見舞い。 絶対癌なんて死ぬまで言わないでくれと言っていた位の夫。 どんな思いで過ごしたことであろう。
普段会わない息子がとても逞しく思え、仕事の合間毎日通い、まるで病人ではないように、娘達は夫のベッドで戯れる。 夫の心を少しでも軽くしようとの精いっぱいの心使い。
三人の子供達のいじらしいような懺悔、償いだと言う心遣い。 子供を持った最高の感謝だった。
家族に病む人がいると言う事、それはその事柄で家族の心を一つにする為の、見えない神の采配なのではないかと聞く事がある。 そんな我が家では無かったと思うけれど、この事で今まで以上にそれぞれが家族一人ひとりの大切さや有難さを感じたのではないであろうかと。
入院して10日、婦長さんが「癌ではありませんでした、単なる咽頭縁ですね、腫瘍も四箇所きれいにとれました」 だれもが信じられなかった。 手術の前にも本当に癌なのか私達も確認したのに。
「おやじかっこ悪~!」「癌保険おりひんやん!」「お見舞い返さなあかんやん」一揆に明るい病室。
後になって思えば、誤診と言うことで家族をはじめ廻りがどれだけの精神的負担を感じた事か。
誰よりも非告知派の夫が。 病院へ訴える事も出来たであろうけれど、癌で無かった、もうその事だけで嬉しくて、誰もそんな事思ったものはいなかった。 覚悟して、開き直ってひげを伸ばしていた夫。 どんな思いの16日間であったろうか。
宣告を受けてから16日間、家族には長い長い16日間だった。 病院の駐車場から玄関へ向かう道の脇には、くちなしの花がいっぱい香りを漂わせて咲いていた。 短い花の命なのになぜと思った。 その花を見ると思い出す、その時の事を。 その年の告知を受けた12日を我が家では「健康記念日」にしようと決めた。 12日日曜が三度目の「健康記念日」だった。
友人の誘いで急きょ甲子園入りの夫。 私は一人TV観戦しながらあの時の事を思い出していた。 オレンジシートに目をやりながら夫へと思いを馳せながら。 胸がいっぱいになって来て一人涙をこぼしていた。
土曜日の展開のつもりでいたであろうタイガース、せっかくだったのに残念ながら負けの試合になった。 しかし元気でいてくれる三度目の「健康記念日」私は心の中でばんざいと叫んだ。
HP「みくの部屋」 エッセイ:《 祈り 》
とってもホンワカ暖かい良い内容の話ですね。
写真も良いですし、梅雨の時期にぴったりな写真です。hideより
色々な方の写真を見ておりまして、立ち寄らせて頂いたhideさんのブログ。
素敵な写真の数々に魅せられました。
同県って言うこともやはり・・?
また楽しませて下さい。 学ぶは真似るに通じる。
しかしやっぱり一眼レフ・・すごいですね~。
今年のお盆は仕事なので、私だけ帰省出来ないんですよ。
そんな時に、私の生まれ育った島の写真、とても嬉しく思いました。
阪神ファンの方のお陰で?まるでタイガース応援サイトのように(笑)
hideさんはやはりカープ・・ですよね! 私も昔はもちろんカープでしたよ。
昨日はご返事ありがとうございました。
チロリアンランプは冬だけのハンドルネームです。
とっても可愛くて強い花ですよね。
憧れなんです。自分と正反対で・・・。
陰と陽。陽のチロリアンランプが
私の心を支えてくれます。
「もう駄目」と思う心を「まだまだ頑張れる」に
変えてくれるのがチロリアンランプなんです。
だからこの記事を読んでじ~んと来ました。
6月12日をひっくり返したら
みくさんのお誕生日です。
だから縁起がいい日なんですよ。
古い記事を読んでいただき恐縮です。
冬だけのHNなんですか、本当に強くて可愛い。
>陽のチロリアンランプが私の心を支えてくれます・・
本当に、花の姿や生きかたが自分を支えてくれる・・
そんな風に思いますね。
写真を撮るようになってよけいにそう感じたりしますね。
>「もう駄目」と思う心を「まだまだ頑張れる」に
変えてくれる・・
素晴らしいことです、そんな自立自助の心が今は欠けてきているかも・・。
今でも、この記事や長ったらしいエッセイを読むと涙が出ます。
感じていただけてとても嬉しく思います。
また良ろしかったらチロリアンランプさんのサイト紹介して下さい。
6月12日、ひっくり返したら私の誕生日・・??
!!すごいですね、本当にそうですね! 嬉しいですね!
気がつきませんでしたよ、一生忘れられませんね。
ありがとうございます。 感謝です。