夜PCを開く前に、少し仮眠・・と 横になった途端に、ドスン!鈍い音がした。
「何か落ちた音やぞ!」 夫が階段を駆け降りた。
二階の廊下の壁は我が家の小さな写真館と称して、額やボードに記念の写真が貼られている。
長女が成人式を控えた正月帰省した時、母や義姉が着付けして着物を着せてくれ写真を撮ったのだ。
それが写真館に飾られていたのを、母がお願いして譲ってもらったのである。
その大きな額が落ちてその下の魚拓の額も落ち、辺りはガラスの破片が散乱していた。
「縁起が悪いわ」 「電話してみ」 ちょうど長女にメールをしていた次女が無事な返信を確認。
(それよりそうやってくれたおばあちゃんが大丈夫か、電話して見て)と言われ朝母に電話をした。
「毎日暑いねぇ」が開口一番のお互いの挨拶、しかしとても元気そうな声だった。
話は孫のこと、次女のおなかのこと、そして家族みんなを気遣う会話。
話は嫁姑の話し世間話へと展開した。 結構色々な気苦労で大変な家が多いようだ。
「生まれも育ちも考え方も違う同士が一緒になるんじゃもの、そんなに簡単にうまく行く訳は無いわね。
自分の手だって裏も表もあるんじゃもん大変よ。 それを仲良うにやって行く努力して行くんよ」
「私はお母さんの姿を見てきたから、有難い。 うまくやっていけるようにがんばるね」
「ははは・・。 お母さんを見て、ええと思うことはやったらええし、いかんと思うことはやらんことじゃね。
まぁあんたなら大丈夫じゃわ」 「そう? 努力するね。 自分の可愛い息子や娘やもんね、
そのお嫁さんやお婿さんやから大事にしないとね、って昔お母さんが言ってた!」
「そうじゃったかね」 「そのおかげさんよ、感謝してます」
その後、兄嫁さんに代わってもらって日頃のお礼と近況報告、あとは世間話延々。
母は誇り、いまだに私の前を歩いている、包容力のある姑の型見本を見せながら。
お昼に愛ちゃんから写メールがあった。
「昨日はありがとうございました さっき二回目の寝返りをしました ゆっくりと左側に」と。
ひろと三ヶ月。
* 紫陽花今日の一枚 *
大変です、誰もが。
みんなが相手の気持ちになって接することが出来るといいですが、
自分の思いで人を見てしまう、自分のものさしでね。
自分が元気ならまだいいですが、世話になったりされてりすると、
また大変なんですよね。
母親がいつまでたっても娘を導ける、幸せなことですね。
いい家族関係を作って下さい。
見ているものにも努力する力になりますから。
嫁姑・・本当に色々な話を聞きますね。
母から三十年間一度もお嫁さんの陰口を聞いた事がありません。
素晴らしい事だと思います。
私には人に自慢するものは何もありませんが、母のこのことが唯一の自慢です。
80歳を過ぎても、私を導いてくれる、母の生き様が私の手本です。
私が娘たちに、何を見本とできるか・・情けない限りです。
しかしお嫁さんやお婿さんを大切に仲良くしていくこと・・せめてそんな足跡を残して行きたいと努力していくつもりです。
感心します。
今も尚ご健在でなお娘さんから尊敬されるお母さんは何と素晴らしい方でしょう。私は母が71歳で亡くなりましてやはり私も母に愛され育ち今思いましても母のようにはできないとしみじみ思うのです。
戦後困難を切り抜け子どもたちを育ててくれた母。
みくさんの母娘関係を読ましていただき亡き母を思い出しています。
でも昨今親の事でもお荷物のように思う人があり、そのような話を聞くと世の中いろいろの人があるなあとつくづく思うのです。
お嫁さん、お婿さんに対する考え頭が下がります。中々分かっていても出来ないことなんですね。
嫁姑の関係は難しいと聞きます。私は娘二人ですので・・・・・幸い婿は実に良い人で
娘は幸せ、ひいては私も幸せ(^人^)感謝♪
しています。
みくさんのブログを読ましていただき心が温まりました
いつもすみません、遅くなって!
松阪まで用事で行って、十時過ぎ帰宅。ちょっとばててます
途中花火やっているところがありました。
宇田の方かな・・・、PLや淀川のを見ているのでしょぼかったですが。
母には本当に頭が下がります。
姑の見本のような人です。 大抵はお嫁さんのことでもひとつやふたつありますでしょうけれど、
感謝の心ばかり、有難い・・のひと言ばかり。
お陰で、私も少しでも近づけるように・・実際は足元にも及ばないのですがね、
でもまねは少しできます。
お嫁さんやお婿さんには、母が言うように大事に育てられた娘さんや息子さんなのですから、
こちらも大事にしないとご両親に申し訳ないですよね。
母からいっぱい教えて見せてもらっているので努力・・また娘たちにも見せて教えて行く使命があるとも思い。
順送りですものね。
人生の大先輩のララリ~さん、また色々教えて下さいね。