みのハイキングクラブ

友と山に登り、自然に親しみ、心身を健やかに、親睦を深めます。

網掛山

2017-11-20 | クラブ山行

  クラブ報告

2017年11月19日(日)   天候 晴れ後曇り     参加者 33名

   
                             2.5万図 伊那駒場   3等三角点

CL 高桑さん
  7:00身震いするような寒さの関市役所。今日の山、南信州の「東山道・網掛山」に思いをはせ、心が躍りテンションを高めます。
阿智セブンサミットの一つ、古代東山道、網掛峠、何かロマンがあったに違いない、そしてキノコがあるに違いないと確信しながらビニール袋をポケットに忍ばせ・・・。
 朝焼けのまぶしい太陽に向かい、1.2.3.4.7号車の5台が、24名を乗せて富加関ICからMAGロードを走ります。恵那峡SAで5.6号車の2台と合流、総勢33名、中高年のワクワクする遠足の始まりです。7台の車が一斉に南信州に向かいます。車窓からは南アルプスの雪を被った山を仰ぎ見、恵那山トンネルの明るさに驚愕し。
 あっという間に園原ICを降り、昼神温泉を通過、分岐を右折して程なく行くとひなびた集落に上がり、大平神社の登山口に到着。駐車場狭く二手に分かれます。驚いたことに近くの田んぼの畦にウエストン碑があり、そこから見える南アルプスの絶景の見とれたとの文言あり。
 9:15昭和の原風景を横目に歩き始めます。商売繁盛の大明神(狐の置物が20匹程鎮座)、曰くありげな枯れ枯れの姥桜を通過し、林道歩きが2/3終えたところで本格的な山登り。
体がほてったところで網掛峠が現れる。この峠には「蛇瘤杉」という切り倒された杉の大木があり、次の伝説がある。
 「近江の国の琵琶湖の村の若い男女が、村人の妬みから村を追い出され、旅を重ねてこの峠まで来た時、疲れと飢えの為に産んだばかりの赤子と共に絶命した。村人は哀れんで3人をここで葬り、墓しるしに杉の木を植えたところ杉の木はたちまち成長して、幹が3つに分かれ数個の瘤をもつ大樹となった。そのころ琵琶湖が荒れて魚がとれなくなった。そこで占ってもらうと信濃路の山深い峠で恨み死んだたたりであると言われ、そこでこの地を訪ねてきて、3人の霊を祀ったところ湖はもとの静けさを取り戻したという。若者夫婦の持って来た綱が木にかけられていたことから網掛峠といわれるようになる。」
                     ・・・・聞くも涙語るも涙の物語・・・・
 すぐ上に吹きっさらしのこうぞう小屋があり、眺望を試みるが谷からの風がゴーゴーと吹き上げ寒いのなんの。青空が見えてはいるが今日は冬型の気圧配置、寒さが身にしみます。
 10:40頂上に着き、古代文字  の看板。初めて目にします。象形文字に似ています。総勢33名でぐっつぐっつの集合写真を撮り、風の当たらないところで少し早いがランチタイム。じっとしていると首元から冷気がそして手がかじかんで来た。低体温症になりそうで早々下山開始。
 11:30枯れ葉に埋もれたジグザグの道を一列になり、それぞれが思い思いにふけりながら歩きます。1/3程下ったところに又、吹きっさらしのこうぞう小屋(東峰展望台)が出現。南アルプス、昼神温泉街、くねった中央道を眼下に、ドローンで撮影したような風景が広がっていた。今回の見処です。下りて下りて集落が見える頃には、どんよりとした空から小雪が舞い始め、予定より早く12:30登山口に到着。そしてそこで解散となりました。

  “晩秋 南信州の里山 染まったモミジが風に揺れ さらっていく木枯らしのカラカラという音に 己の短かった人生を振り返る 山旅”であった。

  ☆CL.SLの方々お役目ご苦労さまでございました。ランチタイムにCL手作りの美味しいバナナケーキをいただき、ケーキ分1.4キロを担いで登られました。敬服いたします。
                             
(記録担当 上松さんの報告より)

  コースタイム
関7:00=富加関IC7:10=恵那峡SA7:45=園原IC=大平神社8:40~9:15・・・網掛峠10:10・・・網掛山10:40~11:30(昼食)・・・東峰展望台11:40・・・大平神社12:30解散=関14:30

 

      
                                    (写真提供 須田Kさん)

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