総合的・俯瞰的なるものとして3者の考えが掲載されていましたのでメモしておきます。
「政府の使い方 突然正反対」
学術会議の元会長は、自身が就任した時に行政改革の対象となっていたことを語っています。
科学全体の振興という視点の弱さと、各分野を横断して協力する意識の低さ。
そんな現状をどうするかを議論することで、社会の課題に対して学術全体を俯瞰して助言するという方向性を出したのだと。
その自己改革案は、2004年の法改正で日本学術会議法に盛り込まれる。
学術会議では法改正に先んじて組織内に「俯瞰型研究プロジェクト」を立ち上げる。
会議自体がよりよい組織の在り方を論じて改革して来たもの…。
重みがあると思うけどね。
ガースーさんは知ってるんだろうか。
2つめはこれ。
「おごり表す稚拙な言い訳」
政策コンサルタントの方は、任命拒否理由の説明に、総合的・俯瞰的と説明するのは、過去に例が無いと言えるほど稚拙な言い訳だと。
政治家が「総合的に」との表現を使うケースはよくあるってのは、言葉に含みを持たせるため。それはワタクシにもわかりますわ。
でも総合的と俯瞰的を並べているのは日本語としても変だと。
似ているようで全く違う意味だから。
俯瞰して判断するとは言わないのだとか。確かになぁ。
でも官邸界隈じゃ流行っているのでしょ。
そもそも正当な根拠も無く、対外的に説明出来ないから、こんな稚拙な日本語を事後的に持ち出したのでは無いかとも語っています。
3つめは大学4年生の若者の政治参加を促す団体の代表理事。
「政治・報道と私たちの溝」と題しての文は、わかりやすいです。
ニュースを見ていて何となくモヤモヤしていたものが、スーッとしたから。
世の中の一般人には、政治もマスコミにもズレというか距離があるのだと。
説明にならない言葉を繰り返す首相、それを批判するばかりのマスコミ。
お互いにそれしか言わんのかいって、突っ込みを入れたくなる。
そうだな。
任命拒否が私たちの生活や社会にどんな影響を与えるのか、報道の先に何が見えて来るのか、メディアはそんなビジョンを示さないと世間はついて来ないのだと。
そして政治家の空虚な言葉とメディアの空回りが繰り返されるだけでは、政治からまた人が離れてしまう。
ううーん、大学4年生はいいところ突いてる。
でもね、マスコミは空回りしているんじゃない。そんな政府に協力しているんだから。
世の中、正義が必ず勝つとは限らない。
それもまた現実。
何が本当なのかを見抜く力も兼ね備えたい。