今日の午前中、お客さまがお越しでした。
同級生。
元気そうでしたね。
スイカのお土産をいただきました。
黄色のようなオレンジのような…、珍しいヤツ。
ありがとうございます。
冷蔵庫で冷やしていただきましょう。
そして五島軒のポルボローネも。
初めて見るお菓子でしたわ。
サクサク、と言うか少しフワッと感もあるかなー。
口どけが早いです。
んまい。
ごちそうさまでした。
今日の午前中、お客さまがお越しでした。
同級生。
元気そうでしたね。
スイカのお土産をいただきました。
黄色のようなオレンジのような…、珍しいヤツ。
ありがとうございます。
冷蔵庫で冷やしていただきましょう。
そして五島軒のポルボローネも。
初めて見るお菓子でしたわ。
サクサク、と言うか少しフワッと感もあるかなー。
口どけが早いです。
んまい。
ごちそうさまでした。
我が家の畑で収穫されたピーマン。
肉詰めは食べたけど、今回は青椒肉絲。
いいねぇ。
一杯飲みたくなっちゃいます。
春雨入りにしたキュウリなます。
辛子漬け。
キュウリ尽くし。
そろそろトマトも食べれるかなー。
楽しみです。
一畑薬師を後にしたワタクシども。
ここから一気に…。
2日目の最終目的地、広島市内を目指します。
「ばたでん」の線路を横断。
この先は出雲大社へと続くんだったかな。
思えば大社前駅は、カラーガラスがはめ込まれたモダンな洋風建築。
そこも大事なチェックポイントだったのに、見ないまま出雲を去ることになってしまいました。
大社の参道商店街を歩いた時、近いところまで行ってたのになぁ。
カメラオヤジを名乗るワタクシ、少々貪欲さが欠けてしまったのは年のせいなのか…。
そうそう、見逃したと言えば出雲空港の「縁結び空港」って大きな看板も撮り忘れてしまいました。
近付いたら撮れるかなと…、少し寄り道だけど空港を目指します。
空港と滑走路を挟んだ反対側に停車。
そりゃ滑走路を挟んでいますからねー、結構遠かったです。
このどこにそんな文字があったのか…。
後で考えたら正面にだって何かしら掲げられていたハズなのに。
そちらならすぐそばに停めて撮れたのかも知れません。
でも。
ワタクシのコンパクトデジカメじゃズーム力が弱くて全然わからず。
後から撮った画像を拡大して何とかわかる程度でしたわ。
2基あるボーディングブリッジの間辺り。
車を停めた周辺はこんな感じ。
麦ですかね。
青々としたのが伸びています。
そんな畑の横にレンタカーを停め、滑走路のフェンスまで近付いてカメラを構える。
すると暫くして黄色い車が柵の内側をスス―ッと近付いて来て、そのまま通り過ぎて行きましたわ。
あら、ワタクシったら不審人物と思われたかなぁ。
出雲からの脱出直前。
最後のスイーツは大社前の福乃和で買った「おふく焼き」。
笑って食べれば福招き、願って食べれば縁結び。
それは福乃和のホームページから。
いいキャッチだわー、形もかわいらしい。
小豆は北海道産を使用。
ありがとうございます。
甘過ぎない餡子がビッシリ。
んまいなぁ。
それではホントに出雲にお別れ…、広島までの移動は自動車等の乗継ぎです。
その前にもうひとつ。
薔薇パン食べるの忘れてました。
結構走ってから思い出し探すものの、出雲周辺でしか買えないとか。
それもまた次回のお楽しみになりました。
代わりに買った「どじょう掬いまんじゅう」。
どこの道の駅でしたか。
自動車道をわざわざ下りて立ち寄ったのに。
空港から松江自動車道を南下。
移動距離は160キロあまり。
午後6時半頃には、三次東から中国自動車道へと乗り換え。
後は一路広島まで。
市内入りは7時半過ぎでした。
ホテルに到着は8時近くになりましたか。
初めての広島。
頼むよー、ナビ。
緊張しながらホテルを目指します。
回転寿司の旬楽。
せっかくだからいろんなものを食べたいと思うけど、マグロ好きなワタクシ。
サバガリ巻きの後は、これで気持ちを…、いやお腹を落ち着かせますってこと。
まずは3皿を一気食い。
家族は何を注文したのか…。
鉄火巻きも注文していました。
これはネギトロか…。
マゴ君はイクラ。
それも2枚。
に、イモモチ。
ジジはサッパリしたところの新香巻きをお願いします。
みんなはもうデザートに移っています。
いろいろと注文したハズですが、なかなか来ないの。
もういいかー、と一旦立ち上がり会計をお願いしたワタクシだけど。
注文伝票を確認したのでしょうね。
残っていたものが次々と運ばれて来ました。
アジ、赤貝。
イワシ。
タコ足。
ううーん、満腹だったのになぁ。
それらを一気に頬張ったので、超がつくほど満腹になってしまいます。
もっと味わって食べたかった。
次は忘れずにお願い致します。
大きな災害が起こるたびに思うことがあるのです。
市町村任せの支援見直し。
被害調査と避難所の受け入れ、食事の提供、生活相談。
危険家屋の撤去もありますなー。
住民の生活に直結するところは市町村の役目だもの。
国や県が管理する幹線道以外もまた市町村。
水道もそうですか。
記事では日本とほぼ同じ面積のイタリアの支援事例が紹介してされていました。
発災48時間以内にテントやシャワー、トイレを国が開設するとか。
各市町村に備蓄を求める日本とは違います。
そもそも被災する地域で支援体制を整えること自体、無理があると思うんだけど…。
全ては自己責任の国だから仕方が無いかー。
市町村職員もまた被災者。
一生のうちに経験するかどうかの災害を各自の力で乗り越える。
だけどそれは1度きりのものがほとんどで、次に活かせるかどうは別の話。
学びたいマチは自助努力で体制を整えるだけ。
被災した時には助けてもらう側でもいいのではないですか。
国はいつも市町村や住民のやるべきことを示すけど、本当に整備しなきゃならないことは他にあるんじゃないかなぁ。