ちょっと前の記事になりましたが長崎原爆の日のこと。
投下されたのは1945年8月9日の午前11時2分。
広島はその3日前の8月6日、午前8時15分のこと。
現実的な取り組みを進めることが日本の使命…。
キシダさんはそう言ったようですがね。
それが具体的にはどのようなことを指すのでしょう。
今年の長崎平和宣言は「長崎を最後の被爆地にするために、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けてたゆむことなく行動し続けること。」を宣言するもの。
以下は長崎市のホームページ「ながさきの平和・11時2分」から。
爆発と同時に空中の一点に摂氏数千万度にもなる火球が発生し、体積が急速に膨張する。
爆発から一万分の一秒という超ミクロの瞬間に、その直径は約30メートル、温度は摂氏30万度にもなり、さらに火球は百分の一秒から一秒の間に直径100~280メートルに達する。
火球から放射された熱線は、爆発直後から約3秒間にわたって外部に強い影響を与えたと考えられ、特に人体に熱傷を与えたのは、爆発後の0.3秒から3秒までの赤外線。
一説では、地上物質の表面温度が原爆直下では3~4,000度にも達したと推定。
爆発に伴って生じた強力な気圧変化は、爆発直後異常な速さで衝撃波となり、物を破壊し押し潰す。
それと同時に強い爆風が起こり大被害が発生。
その時に生きていたワケではありませんが、何が起こったのか、どれほど恐ろしいものだったのかをしっかりと覚えておきたいと思うのです。
そしてもうひとつの被爆地・広島。
人類史上初めて多くの市民が暮らす場所に、原子爆弾を投下するという判断がされたもの。
今年の広島平和宣言では「世界の為政者に、広島を訪れ市民社会の思いを共有し、被爆の実相を理解、被爆者が思う平和への願いを受け止め、核兵器廃絶へのゆるぎない決意を発信して欲しい。」と宣言する。
原爆による被害の特質は、大量の破壊と殺りくが瞬時に、かつ無差別に引き起こされたことであり、放射線による障害がその後も長期間に渡り、人々を苦しめたことにある。
核弾頭の保有国は、アメリカをはじめロシア、フランス、イギリス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の9つでしたか。
他国を牽制するため保持し続けるだけだと思っていたら、使いそうな国が現れたり。
随分長くなりましたがもう少し。
終戦の日が近付くと戦争で被害を受けた話ばかりが語られるけど、他国へ攻め込んだ時はどうだったのか。
戦争をしないとする市民の声はうねりにならなかったのか。
今がもしそうだったとしたら自分は声を出せているのだろうか。