4月14日の夜9時半前。
自宅で夕食を食べていたとき、突然スマートフォンがけたたましく鳴り出しました。気持ちをざわつかせるような甲高いブザー音。九州で強い地震が発生したことを知らせる警報でした。
そのすぐあとに、自宅であるアパートがグラグラと揺れ始めました。宮崎市では長らく感じることのなかった大きな揺れ。気持ちは動揺しました。
揺れが収まったあと、NHKのニュースが伝えていた地震の情報に目と耳を疑いました。
「熊本で震度7」
一瞬、伝えられていることの意味を理解しかね、混乱しました。えっ!それってどういうこと?一体何が起こってるの?
自分の住んでいる宮崎の隣である、同じ九州の熊本でそんな大地震が起きたということを、容易に信じることができませんでした。宮崎市での震度は3でしたが、熊本に近い県の山間部にある椎葉村では震度5弱を観測したとのことで、それにも驚かされました。
その夜のうちにテレビのニュースでは、熊本における被害の状況を断片的に伝えはじめました。震度7を観測した益城町では住宅が倒壊し、火災も発生していました。また、九州新幹線は脱線し、車両にズレが生じていました。
余震が幾度か続けて起こりました。就寝しようとした0時過ぎにも大きめの揺れが。新たな揺れへの不安と、熊本がどうなっているのかという心配から容易に眠りにつくことができず、横になってからも枕元のラジオから伝えられる地震関連のニュースにずっと耳を傾け続けました。
翌日。熊本における被害の実態が明らかになってきました。益城町を中心に、倒壊した家屋の下敷きになって亡くなった方がおられました。熊本城の石垣や瓦は崩れ、道路にもひび割れが。これは大変なことになったと、胸の痛む思いがいたしました。
その夜。眠りについてしばらくたっていた未明の1時半ごろに、またもスマホの地震警報がけたたましく鳴り出しました。そのすぐあとに大きな揺れが。熊本で震度6強を観測し、のちにこちらが「本震」だと認定されることになるマグニチュード7.3の大地震でした。
真夜中に襲ってきた地震に気持ちは大きく動揺し、またも眠れない夜を過ごすことになりました。
そして朝。ニュースでは、さらに信じがたい被害の実態が報じられていました。
益城町や熊本市では、さらに多くの建物が倒壊。南阿蘇村では大規模な土砂崩れが発生してアパートが倒壊し、阿蘇大橋も崩落していました。加えて、大分県を震源とする地震も発生して、別府市や由布市でも大きな揺れがあった、と。毎年出かけている大好きな場所である別府がどうなっているのかも、すごく気掛かりになりました。
余震も異常なほどに頻発し続けました。宮崎県でも、高千穂町や美郷町、椎葉村といった山間部の町村で、県内では初めてとなった震度5強を観測し、重軽傷を負った方がおられました。
このブログを綴っている4月17日現在、一連の地震で亡くなった方が41人。そして熊本と大分を中心に19万人近い方々が、不自由で不安な避難生活を余儀なくされておられます。本当にひどいことになってしまったと、胸が締め付けられる思いがいたします。
亡くなられた方々のご冥福と、そのご家族にお悔やみを申し上げます。そして、現在避難生活を強いられている方々が、一日も早く元の暮らしに戻ることができるよう、強く願っております。
熊本地震の甚大な被害の実態を知ってのショックに、宮崎市をも襲った深夜の揺れに直面しての寝不足が重なり、昨日(16日)のわたしは精神的な心労で神経が参ってしまい、気持ちは安定せず塞ぎがちでした。
大きな被害があったわけでもない宮崎市に住むわたしですらそうなのですから、甚大な被害に直面した熊本や、大きな揺れに襲われた大分の方々のつらさはどれほど大きなものなのか。そして、5年前の東日本大震災とそれに続く余震にさらされ続けた東北の方々の心痛がどれほど大きかったのか。想像せずにはいられません。
ここでちょっと、美味しいものを食べて気分を変えなければと、昨日はお昼に仕事を終えたあと帰りがけにお寿司を買い(とはいっても、スーパーのパック入りのものでしたが)、昼食かたがた明るいうちから一杯飲みました。
飲んだのはお寿司といっしょに買ってきた熊本県人吉市の米焼酎「白岳」。そう、本当にささやかではありますが、熊本への応援の意味を込めたつもりです。
いま、九州が大きな試練にさらされています。ここは九州人が一体となって、仲間である熊本(さらに、やはり地震に見舞われた大分)を、力を合わせて支えなければ、と強く思います。
すでに各自治体をはじめ、日本赤十字社や共同募金会などによる義援金の受け付けも始まりました。物資やボランティアの受け付けも、地震が落ち着いた段階から順次始まっていくことでしょう。自分のできることで、可能な限りの協力と支援をさせていただきたいと考えております。
宮崎県によるお知らせ「県民の皆様からの被災者支援について(義援金・救援物資・ボランティア等)」
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/kiki-kikikanri/kurashi/bosai/20160416191744.html(下のほうには義援金や、社会福祉協議会によるボランティア関連のリンク集もあります)
全国共同募金会「平成28年熊本地震 災害義援金の募集について」
http://www.akaihane.or.jp/topics/detail/id/399/
日本赤十字社「平成28年熊本地震災害義援金」
http://www.jrc.or.jp/contribute/help/28/
また、多くの方々が困難に直面している中で、悪質なデマを流したり拡散したりするような手合いがまたぞろ出てきております。こんな連中は一切相手にせず、しっかりした信頼できる情報の発信やシェアをしていだだくことを願います。あと、余計なことでしかない政治的主張(左右問わず)も控えていただけたらと思います。
熊本はほんの一時期ですが、住んでいたことのある場所でもあります。それだけに少しでもお役に立てることで、熊本の応援や支援をしたいという気持ちが強くあります。
これからは、熊本の産品をいろいろと買って、食べて、飲んでいこうと思っております。そして、秋に予定していた東京行きを変更して、熊本を訪ねることに決めました。かなり久しぶりに熊本へ行くことができる日を、今から待ち遠しく思っております。
そのときに、熊本がいくらかでも、地震から立ち直っていることを、ただただ願うばかりです。
自宅で夕食を食べていたとき、突然スマートフォンがけたたましく鳴り出しました。気持ちをざわつかせるような甲高いブザー音。九州で強い地震が発生したことを知らせる警報でした。
そのすぐあとに、自宅であるアパートがグラグラと揺れ始めました。宮崎市では長らく感じることのなかった大きな揺れ。気持ちは動揺しました。
揺れが収まったあと、NHKのニュースが伝えていた地震の情報に目と耳を疑いました。
「熊本で震度7」
一瞬、伝えられていることの意味を理解しかね、混乱しました。えっ!それってどういうこと?一体何が起こってるの?
自分の住んでいる宮崎の隣である、同じ九州の熊本でそんな大地震が起きたということを、容易に信じることができませんでした。宮崎市での震度は3でしたが、熊本に近い県の山間部にある椎葉村では震度5弱を観測したとのことで、それにも驚かされました。
その夜のうちにテレビのニュースでは、熊本における被害の状況を断片的に伝えはじめました。震度7を観測した益城町では住宅が倒壊し、火災も発生していました。また、九州新幹線は脱線し、車両にズレが生じていました。
余震が幾度か続けて起こりました。就寝しようとした0時過ぎにも大きめの揺れが。新たな揺れへの不安と、熊本がどうなっているのかという心配から容易に眠りにつくことができず、横になってからも枕元のラジオから伝えられる地震関連のニュースにずっと耳を傾け続けました。
翌日。熊本における被害の実態が明らかになってきました。益城町を中心に、倒壊した家屋の下敷きになって亡くなった方がおられました。熊本城の石垣や瓦は崩れ、道路にもひび割れが。これは大変なことになったと、胸の痛む思いがいたしました。
その夜。眠りについてしばらくたっていた未明の1時半ごろに、またもスマホの地震警報がけたたましく鳴り出しました。そのすぐあとに大きな揺れが。熊本で震度6強を観測し、のちにこちらが「本震」だと認定されることになるマグニチュード7.3の大地震でした。
真夜中に襲ってきた地震に気持ちは大きく動揺し、またも眠れない夜を過ごすことになりました。
そして朝。ニュースでは、さらに信じがたい被害の実態が報じられていました。
益城町や熊本市では、さらに多くの建物が倒壊。南阿蘇村では大規模な土砂崩れが発生してアパートが倒壊し、阿蘇大橋も崩落していました。加えて、大分県を震源とする地震も発生して、別府市や由布市でも大きな揺れがあった、と。毎年出かけている大好きな場所である別府がどうなっているのかも、すごく気掛かりになりました。
余震も異常なほどに頻発し続けました。宮崎県でも、高千穂町や美郷町、椎葉村といった山間部の町村で、県内では初めてとなった震度5強を観測し、重軽傷を負った方がおられました。
このブログを綴っている4月17日現在、一連の地震で亡くなった方が41人。そして熊本と大分を中心に19万人近い方々が、不自由で不安な避難生活を余儀なくされておられます。本当にひどいことになってしまったと、胸が締め付けられる思いがいたします。
亡くなられた方々のご冥福と、そのご家族にお悔やみを申し上げます。そして、現在避難生活を強いられている方々が、一日も早く元の暮らしに戻ることができるよう、強く願っております。
熊本地震の甚大な被害の実態を知ってのショックに、宮崎市をも襲った深夜の揺れに直面しての寝不足が重なり、昨日(16日)のわたしは精神的な心労で神経が参ってしまい、気持ちは安定せず塞ぎがちでした。
大きな被害があったわけでもない宮崎市に住むわたしですらそうなのですから、甚大な被害に直面した熊本や、大きな揺れに襲われた大分の方々のつらさはどれほど大きなものなのか。そして、5年前の東日本大震災とそれに続く余震にさらされ続けた東北の方々の心痛がどれほど大きかったのか。想像せずにはいられません。
ここでちょっと、美味しいものを食べて気分を変えなければと、昨日はお昼に仕事を終えたあと帰りがけにお寿司を買い(とはいっても、スーパーのパック入りのものでしたが)、昼食かたがた明るいうちから一杯飲みました。
飲んだのはお寿司といっしょに買ってきた熊本県人吉市の米焼酎「白岳」。そう、本当にささやかではありますが、熊本への応援の意味を込めたつもりです。
いま、九州が大きな試練にさらされています。ここは九州人が一体となって、仲間である熊本(さらに、やはり地震に見舞われた大分)を、力を合わせて支えなければ、と強く思います。
すでに各自治体をはじめ、日本赤十字社や共同募金会などによる義援金の受け付けも始まりました。物資やボランティアの受け付けも、地震が落ち着いた段階から順次始まっていくことでしょう。自分のできることで、可能な限りの協力と支援をさせていただきたいと考えております。
宮崎県によるお知らせ「県民の皆様からの被災者支援について(義援金・救援物資・ボランティア等)」
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/kiki-kikikanri/kurashi/bosai/20160416191744.html(下のほうには義援金や、社会福祉協議会によるボランティア関連のリンク集もあります)
全国共同募金会「平成28年熊本地震 災害義援金の募集について」
http://www.akaihane.or.jp/topics/detail/id/399/
日本赤十字社「平成28年熊本地震災害義援金」
http://www.jrc.or.jp/contribute/help/28/
また、多くの方々が困難に直面している中で、悪質なデマを流したり拡散したりするような手合いがまたぞろ出てきております。こんな連中は一切相手にせず、しっかりした信頼できる情報の発信やシェアをしていだだくことを願います。あと、余計なことでしかない政治的主張(左右問わず)も控えていただけたらと思います。
熊本はほんの一時期ですが、住んでいたことのある場所でもあります。それだけに少しでもお役に立てることで、熊本の応援や支援をしたいという気持ちが強くあります。
これからは、熊本の産品をいろいろと買って、食べて、飲んでいこうと思っております。そして、秋に予定していた東京行きを変更して、熊本を訪ねることに決めました。かなり久しぶりに熊本へ行くことができる日を、今から待ち遠しく思っております。
そのときに、熊本がいくらかでも、地震から立ち直っていることを、ただただ願うばかりです。
こちらでは新聞やテレビでしか様子がわかりませんが、現地はもっとひどい状況なのではないかと思っています。
東日本大震災のときのことを思い出し、停電状態がずっと続くことの不安と恐怖を熊本地震で被害に遭われた方たちも抱いているのだと。今も避難所や車の中で過ごしている方がたくさんいることや、不幸にも亡くなられた方がいること、倒壊してしまった家屋や道路など、これから先を思うとどんなにか不安だろうと思います。
自分が今手にしているお茶も白いご飯も、ようやくあるいはまだ口にできない方がいるかもしれないのですね。
今朝のテレビで東京の熊本アンテナショップに多くの方が地元の商品を買うことで何か応援になればと集まっている様子が映っていました。地元に飛んで手助けすることはできませんが、熊本で作られている品物などを買うことで少しでも応援の形にならないかなと思っているところです。
早く地震が収まってほしいと願うばかりです。
閑古堂さんも気をつけてお過ごしください。
わが宮崎市のほうでは揺れこそあったものの、これといった被害はございませんでした。むしろ(わたしの周囲の人もそうでしたが)熊本の被害を知ってのショックや、いつまで余震が続くのかといった不安などからくる心労のほうが大きかったように思います。ここ数日はなんとか落ち着いてきました。
とはいえ、この返信を記している現在も、余震が続いていつ終わるのかわからない状況や、熊本を中心に多くの方々が辛い避難生活を強いられている状況に変わりはありません。であれば、被災しているわけでもないわたしたちは、気持ちをしっかりと持って日常の暮らしや仕事、楽しみを大切にして、その中から自分のできることで被災した地域と人たちを支援し応援することにしなければ、と強く思うのです。
昨日は、わずかではありますが日赤に義援金を振り込んできました。これからも折りを見て義援金に協力させていただくほか、熊本や大分の産品をどんどん買って、その良さを伝えていきたいと考えております。
九州人は決して負けませんよ。この危機を乗り越え、また復活するべく一体となって支え合いたいと思っております。
けいさん、どうか見守っていてくださいね!