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しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「占領下の日本人」

2019年02月05日 | 昭和21年~25年
「昭和史9占領下の日本」研修出版より転記

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昭和昭和史対談「占領下の日本人」
藤本義一
会田雄次


進駐軍と子供たち
藤本・・東京裁判は昭和21年にはじまりました。
会田・・陸海軍の将官などは敗戦の責めを負ってみんな自決しているだろうなあと思い込んでいました。
藤本・・全員が死刑にされたっておかしくない、当たり前だったんですね。
会田・・私だけでなく、一般の受け取り方だって、そんなに強烈じゃあなかった。
    もう、食うことが先決で。
会田・・今の人はテレビなどで、当時のさまを悲痛な思いで見ていますけど、そうゆうものではなかったんですよ。
藤本・・終戦になって人間天皇の宣言をしましたね。これには困りましたよ。
    写真に天皇とマッカーサ―がいっしょに写っている。これも困った。
    僕の中学の校庭の奉安殿は、学校へ行ったらまず、その神殿に向かって最敬礼するわけです。
    一日はそれから始まったんですよ。
    ところが終戦を境にして最敬礼は必要なくなった。
    それまでの習慣がぷつんとなくなったんです。

    遠いところだった大坂城が、焼け野原で一挙に近くなったんです。
    それまでもっていた信念みたいなものが全部一挙に崩壊して逆になった。
    そこへアメリカ軍がジープ・トラックでやってきた。
藤本・・「出てこい!ニミッツ マッカーサー 出てくりゃ地獄へ逆落とし」だったのが、もう何も恨みは無し。
    「天皇陛下」も言わなくなる。
    そしてアメリア人が近づくとニコニコしようと努力する。
    屈辱が無いのか、あの時の憎悪は、いったいどこへ行ってしまったのか・・・そのへんのところがわかりませんね。

会田・・それは日本人が劣等意識民族で権威と権力に極端に弱いという性格をもっている。
    それと、世界史的にこんなひどい負け方は初めてだということなんですね。
    ヨーロッパの民族は、戦争をしなれているから負け方を知っている。サッと降参する。
    ところが日本は昭和20年になってからはほとんど抵抗力もないのに、それから6ヶ月も7ヶ月も抗戦を続ける。

    B29に対抗する力もなかった。
    音だけさして逃げて帰ってくる。
    されているだけですよ。
    アメリカにとっては演習に近い状態ですよ。
    そんな虚脱状態で終戦になり、
    アメリカ兵などは相当に暗殺などでやられると思っていたところが逆に歓迎ばかり。気持ちが悪かったでしょうね。


会田・・大阪や東京の兵隊はこんなバカな戦争早くやめてくれと言ってました。
    18年頃になると、敵も何も見えないのに弾が飛んできて死んだり、食べ物がなくて餓死するだけ。
    現役兵は戦闘心をもっていた。
    召集兵はバカバカしくって仕方がない。
    三次も四次も召集されて、帰ってみると家はぺんぺん草、そんな経験だけです。
    病床にいた私の妹は「マッカーサーは神様です」と言ったのにギョッとしました。
    「日本の軍人は何も何もくれなかったのに、マッカサ―は食糧をくれた」と言うんです。
    「鬼畜米英」はわずか三か月くらいで鬼から神様に思えるんですから。日本人は情けないものだと思いました。

コメント
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