場所・高知県南国市前浜 南国市史跡「前浜掩体群」
訪問日・2018年3月24日
高知空港、今スターアライアンスの飛行機が着陸する。
その手前に掩体壕が見える、
それが前浜掩体壕の3号。
県道のすぐそば。

(前浜公民館から見る、高知空港と3号掩体壕)
「続しらべる戦争遺跡の事典」 柏書房 2003年発行
高知海軍航空隊
現在の高知空港とその周辺には、アジア太平洋戦争当時、
高知海軍航空隊が置かれていた。
「高知空港史」によると、飛行場建設は1941年1月、用地買収と同時に開始され、45年の敗戦まで続いていいる。
用地買収・家屋移転は高知県、
建設工事は内務省神戸土木事務所、
重要施設は海軍設営隊によって進められた。
飛行場建設には兵隊の他に、各地域からの勤労奉仕や中学校生徒や女学校生徒、朝鮮人、さらには受刑者までが動員されたのである。
1944年3月15日に開隊。
偵察搭乗員の養成を主要任務とし、4月から練習機白菊を用いての実技教育が実施された。
主として甲飛13期予科練卒業生の飛練生であった。
1945年3月頃より飛行場への空襲が激しくなり、飛行機や兵舎がその他の施設が破壊され、周辺の民家学校も被害を受けた。
沖縄戦が激しくなると、神風特別攻撃隊菊水部隊が「白菊」隊が編成され、
高知から鹿児島県鹿屋を経て沖縄へ、
「白菊」練習機に250kg爆弾を二個付て26機が出撃し、52名が戦死した。
5号掩体は、「5号掩体公園」。
唯一公園で自由に見学できる。


大きな4号、
幅44m、奥行き23m、高さ8.5m。

南国市は平和学習教材として史跡に指定して保存管理を行っている。
この看板↓は前浜公民館に建っていて、公民館に駐車場もある。

7号掩体壕。南国の田植え準備は早い。

前浜掩体壕群
戦後飛行場は民間の空港として残され、兵舎は高知大学農学部となった。
滑走路南側の用地と誘導路は元の農家に返還された。
しかし50cmもの厚さのカマボコ型の巨大な掩体は引き取り手がなく、前浜村に返還された。
9基のうち2基は壊され、現在は7基が残っている。
訪問日・2018年3月24日
高知空港、今スターアライアンスの飛行機が着陸する。
その手前に掩体壕が見える、
それが前浜掩体壕の3号。
県道のすぐそば。

(前浜公民館から見る、高知空港と3号掩体壕)
「続しらべる戦争遺跡の事典」 柏書房 2003年発行
高知海軍航空隊
現在の高知空港とその周辺には、アジア太平洋戦争当時、
高知海軍航空隊が置かれていた。
「高知空港史」によると、飛行場建設は1941年1月、用地買収と同時に開始され、45年の敗戦まで続いていいる。
用地買収・家屋移転は高知県、
建設工事は内務省神戸土木事務所、
重要施設は海軍設営隊によって進められた。
飛行場建設には兵隊の他に、各地域からの勤労奉仕や中学校生徒や女学校生徒、朝鮮人、さらには受刑者までが動員されたのである。
1944年3月15日に開隊。
偵察搭乗員の養成を主要任務とし、4月から練習機白菊を用いての実技教育が実施された。
主として甲飛13期予科練卒業生の飛練生であった。
1945年3月頃より飛行場への空襲が激しくなり、飛行機や兵舎がその他の施設が破壊され、周辺の民家学校も被害を受けた。
沖縄戦が激しくなると、神風特別攻撃隊菊水部隊が「白菊」隊が編成され、
高知から鹿児島県鹿屋を経て沖縄へ、
「白菊」練習機に250kg爆弾を二個付て26機が出撃し、52名が戦死した。
5号掩体は、「5号掩体公園」。
唯一公園で自由に見学できる。


大きな4号、
幅44m、奥行き23m、高さ8.5m。

南国市は平和学習教材として史跡に指定して保存管理を行っている。
この看板↓は前浜公民館に建っていて、公民館に駐車場もある。

7号掩体壕。南国の田植え準備は早い。

前浜掩体壕群
戦後飛行場は民間の空港として残され、兵舎は高知大学農学部となった。
滑走路南側の用地と誘導路は元の農家に返還された。
しかし50cmもの厚さのカマボコ型の巨大な掩体は引き取り手がなく、前浜村に返還された。
9基のうち2基は壊され、現在は7基が残っている。