しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

大津島回天特別攻撃基地跡

2021年02月02日 | 「戦争遺跡」を訪ねる
場所・ 山口県周南市大津島  回天基地跡
訪問日・2014年7月12日   


徳山沖の大津島。人間魚雷回天の発射試験場。







「日本の軍事遺跡」 飯田則夫著 河出書房新社  2004年発行
大津島回天基地跡
追尾する人間魚雷の訓練基地

”必死”の特別攻撃用兵器であるため、はじめ上層部はこの兵器を認めなかった。
しかし昭和19年に入ってついに許可された。

発案者の黒木大尉の希望から「天を回(めぐ)らし、戦局を逆転させる」という願いを込め回天と名付けられた。

頭部に1.55屯のTNT炸薬を搭載。
命中させれば大型艦でさえ轟沈できるほどの強力な破壊力を持っていた。


搭乗員の出身は、甲種予科練性を筆頭に、予備学生、海兵、予備学生ほか様々。

命をかけた出撃は昭和19年11月8日から始まり、大津島とほかの2基地から、計28回行われた。

当初は停泊艦船を目標にした泊地攻撃、
その後、よりむずかしい航行中の艦へ目標を切り替えた。

20歳前後の若者を中心にした搭乗員は全体で1375名、そのうち戦没者は106名を数えた。
未帰還の大型潜水艦は8隻、乗組員810名だった。














ここから魚雷を海に下した。
打ち寄せる小さな波は、あの当時を思わせる。








大津島はトンボロの島、
集落は写真左側にあり、基地は右側で島の奥側。人の目を避けた。








徳山港からフェリーが着くと、大きな「回天の島」看板が歓迎してくれる。
島民以外に、釣り客と回天の跡を辿る人が多いようだ。







「続しらべる戦争遺跡の事典」 柏書房 2003年発行


明治36年、徳山は海軍が無煙炭坑を買収して以来海軍の防備する港となった。
周辺の下松、光には海軍工廠等の重要施設が置かれた。
なお燃料廠は1945年5月10日のB29の空襲で壊滅した。

1944年9月、回天特別攻撃基地が徳山湾内大津島に開設された。

93式魚雷を基本に、中央部に一人乗りの操縦室を設けた
全長14.75m、直径1m、重量8.3屯、550馬力、水中速力・時速56km、航続距離23km、炸薬1.55屯。

1944年11月8日大津島基地より菊水隊12基の回天を搭載した伊号潜水艦3隻がウルシー・パラオ方面へ出撃した。
この時は、
11月20日未明、ウルシー泊地攻撃に成功。
その後、光、平生基地を含めると28回の出撃が繰り返された。

警戒が厳しくなったため泊地攻撃から、航行中の船団攻撃に切り替えられた。
回天発射前の潜水艦が撃沈されることが多くなり、攻撃の成功率はきわめて低い確率であった。
また、発射に成功しても潜水艦の生還も難しくなっていた。



コメント (1)
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