しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

アレイからすこじま

2021年02月15日 | 「戦争遺跡」を訪ねる
場所・広島県呉市昭和通り 「アレイからすこじま」
訪問日・2012年2月9日  


ここは呉軍港にある公園、「アレイからすこじま」。



魚雷積載用クレーン






Wikipedia
アレイからすこじまは、広島県呉市にある公園。

概要
海上自衛隊第1潜水隊群司令部のすぐそばにあり、日本で唯一間近で潜水艦を見ることができる公園である。
戦前この地は呉海軍工廠本部と兵器製造所前の岸壁で、切石積護岸は1895年(明治28年)に作られたもの。
戦後は1956年(昭和31年)まで呉市に進駐したイギリス連邦占領軍が用いていた。
呉市が公園として整備したのは1985年(昭和60年)のことになる。
アレイの名の通り護岸沿いに整備された細長い公園で、煉瓦色のインターロッキングブロックが敷き詰められている。
潜水艦見学用に突き出したデッキもある。
また園内には、魚雷積載用クレーン、係船柱など旧海軍が用いていたものをモニュメントして置かれている。
旧呉鎮守府兵器部護岸および関連施設」として2009年土木学会選奨土木遺産選定。





「アレイからすこじま」は軍事遺産と都市公園を兼ねる公園。













海の反対側道路向かいが「昭和町れんが倉庫群」は、
旧呉海軍工廠電気部の建造物で、明治30年代(1897年~)に作られたものである。
イギリス産のレンガ、基礎には国会議事堂と同じ倉橋島産の御影石が使われた建物もある。
呉空襲によって半壊したが、戦後民間の手によって補修され、ダイクレ、呉貿倉庫運輸などの民間会社が工場や倉庫として使用している。
2018年9月には、倉庫の1つを利用して観光客相手の商店がオープンしている。






もっとも呉らしい場所ともいえる「アレイからすこじま」だ。



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歩兵第34連隊跡(駿府城)

2021年02月15日 | 「戦争遺跡」を訪ねる
場所・静岡県静岡市葵区  駿府城公園
訪問日・2014.10.8


静岡市の駿府城には、陸軍歩兵34聯隊が置かれていた。







明治30年、聯隊設置
明治37年、日露戦争に従軍
大正3年、青島の戦いに従軍
昭和12年、9月、上海での戦いに参加、12月、南京攻略戦に参加
昭和13年、徐州会戦などに参加
昭和14年、襄東会戦に参加
昭和16年、第一次長沙作戦などに参加
昭和18年、大別山作戦に参加
昭和19年、湘桂作戦に参加
昭和20年5月、湘桂反転作戦を開始
Wikipedia



最も有名なのは、日露戦争の遼陽会戦での「橘周太第1大隊長」が戦死。
後に、講談社の絵本で”軍神橘中佐”と有名になった。





城内にある軍の遺構は少ない。
これは「天守台跡」で、陸軍が邪魔なので天守台を壊した遺構。






これは「やすらぎの塔」、



将兵の塔でなく、学徒動員など、”銃後”の犠牲者を弔う塔。
じつは、これは台座のみで、この上に二人の銅像があった。10年前の地震で倒壊しままだそうだ。

再建には、市民のさまざまな意見があり今に至っているようだ。



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