「笠岡市史 3巻」 笠岡市史編さん室 ぎょうせい 平成8年発行
連帯意識と隣組制度
昭和12年(1937)7月7日、日中戦争の勃発に伴い、政府は国民を急速に戦時体制に動員するため、
挙国一致、尽忠報国、堅忍持久を三目標とする国民精神総動員運動を始めた。
第10師団
日中戦争勃発と同時に第10師団は北支に派遣される。
大規模な動員令により、予備役・後備駅に同時召集令が出された。
村は興奮・緊迫状態になる。
応召兵全部を兵舎に収容しきれず、衛戍地の各所にあふれた。
そして逐次北支へ向けられる。
国の隅々、各家、各人、戦争を直接肌に感じ、ただならぬ雰囲気が漂った。
昭和14年「興亜奉公日」を設定し、「毎月1日を国民挙って戦場の労苦をしのび、自粛自制の気持ちを実際の生活に具現する」一日とした。
岡山県もこれを受け、各市町村、小・中等・青年学校、警察署長宛てに通牒を発し、
一億一心奉公の誠を尽くし、強力日本建設の源泉となる一日になるよう指示した。
市町村は管内の官公庁、神社、寺院、銀行、会社、工場、各種団体に対して、興亜奉公日の趣旨徹底のため、印刷物の配布掲示を要請し、
毎月1日は、各戸国旗を掲げ、神社参拝をして皇軍有志の武運長久を祈り、
前線に慰問袋を送るよう奨励するとともに、
華美なる化粧、服装を廃止し、簡素なる食事などさまざまな規制をした。
岡山の歩兵10聯隊は、津浦線を南下し、徐州戦を始めとして多くの激戦を経て犠牲者を出した。
笠岡市戦没者
満州・上海事変(昭和6.7年)、13人。
日中戦争、197人。徐州会戦・太原・杭州・漢口攻略戦ほか。
太平洋戦争、2.127人。
連帯意識と隣組制度
昭和12年(1937)7月7日、日中戦争の勃発に伴い、政府は国民を急速に戦時体制に動員するため、
挙国一致、尽忠報国、堅忍持久を三目標とする国民精神総動員運動を始めた。
第10師団
日中戦争勃発と同時に第10師団は北支に派遣される。
大規模な動員令により、予備役・後備駅に同時召集令が出された。
村は興奮・緊迫状態になる。
応召兵全部を兵舎に収容しきれず、衛戍地の各所にあふれた。
そして逐次北支へ向けられる。
国の隅々、各家、各人、戦争を直接肌に感じ、ただならぬ雰囲気が漂った。
昭和14年「興亜奉公日」を設定し、「毎月1日を国民挙って戦場の労苦をしのび、自粛自制の気持ちを実際の生活に具現する」一日とした。
岡山県もこれを受け、各市町村、小・中等・青年学校、警察署長宛てに通牒を発し、
一億一心奉公の誠を尽くし、強力日本建設の源泉となる一日になるよう指示した。
市町村は管内の官公庁、神社、寺院、銀行、会社、工場、各種団体に対して、興亜奉公日の趣旨徹底のため、印刷物の配布掲示を要請し、
毎月1日は、各戸国旗を掲げ、神社参拝をして皇軍有志の武運長久を祈り、
前線に慰問袋を送るよう奨励するとともに、
華美なる化粧、服装を廃止し、簡素なる食事などさまざまな規制をした。
岡山の歩兵10聯隊は、津浦線を南下し、徐州戦を始めとして多くの激戦を経て犠牲者を出した。
笠岡市戦没者
満州・上海事変(昭和6.7年)、13人。
日中戦争、197人。徐州会戦・太原・杭州・漢口攻略戦ほか。
太平洋戦争、2.127人。