しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

昭和12年7月7日・盧溝橋事件  岡山県笠岡市

2021年07月14日 | 盧溝橋事件と歩兵10連隊(台児荘~漢口)
「笠岡市史 3巻」  笠岡市史編さん室 ぎょうせい 平成8年発行


連帯意識と隣組制度
昭和12年(1937)7月7日、日中戦争の勃発に伴い、政府は国民を急速に戦時体制に動員するため、
挙国一致、尽忠報国、堅忍持久を三目標とする国民精神総動員運動を始めた。

第10師団
日中戦争勃発と同時に第10師団は北支に派遣される。
大規模な動員令により、予備役・後備駅に同時召集令が出された。
村は興奮・緊迫状態になる。
応召兵全部を兵舎に収容しきれず、衛戍地の各所にあふれた。
そして逐次北支へ向けられる。
国の隅々、各家、各人、戦争を直接肌に感じ、ただならぬ雰囲気が漂った。


昭和14年「興亜奉公日」を設定し、「毎月1日を国民挙って戦場の労苦をしのび、自粛自制の気持ちを実際の生活に具現する」一日とした。
岡山県もこれを受け、各市町村、小・中等・青年学校、警察署長宛てに通牒を発し、
一億一心奉公の誠を尽くし、強力日本建設の源泉となる一日になるよう指示した。

市町村は管内の官公庁、神社、寺院、銀行、会社、工場、各種団体に対して、興亜奉公日の趣旨徹底のため、印刷物の配布掲示を要請し、
毎月1日は、各戸国旗を掲げ、神社参拝をして皇軍有志の武運長久を祈り、
前線に慰問袋を送るよう奨励するとともに、
華美なる化粧、服装を廃止し、簡素なる食事などさまざまな規制をした。

岡山の歩兵10聯隊は、津浦線を南下し、徐州戦を始めとして多くの激戦を経て犠牲者を出した。


笠岡市戦没者
満州・上海事変(昭和6.7年)、13人。
日中戦争、197人。徐州会戦・太原・杭州・漢口攻略戦ほか。
太平洋戦争、2.127人。

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昭和12年7月7日・盧溝橋事件  岡山県倉敷市

2021年07月14日 | 盧溝橋事件と歩兵10連隊(台児荘~漢口)
「真備町史」 真備町史編纂委員会 山陽印刷 昭和54年発行



日華事変

昭和12年7月7日、盧溝橋爆破事件により日華事変はじまる。
この戦争は、いつはてるともなく、
太平洋戦争に突入した昭和16年を経て、
とうとう20年終戦まで支那大陸で続いた。

この時、岡山歩兵第10聯隊は岡山駅頭で見送られ、塘沽に上陸。


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内山完造

2021年07月14日 | 銅像の人
場所・中国上海市

内山完造と内山書店が、久しぶりに全国に紹介された。





【NHK】

魯迅ゆかりの「内山書店」 中国 天津に復活 日中文化人が交流
2021年7月11日 4時36分

戦前の中国 上海に日本人が開業し、文豪の魯迅など日中の文化人の交流の場となっていた著名な書店が中国の天津に復活し、ゆかりの関係者が出席して式典が行われました。
岡山県出身の内山完造が上海に開業した内山書店は戦前、日中の文化人の交流の場となり、文豪の魯迅が頻繁に通ったことで知られています。

内山書店は、その後、東京にも開店しましたが、上海の店は終戦とともに閉店していました。
ところが、天津のテレビ局のディレクターだった趙奇さん(38)が内山書店に関する番組を制作したことがきっかけとなり、地元政府の協力を得た企業が東京の店から商標権を取得して、中国で戦後初めて天津に復活させました。

10日は開店を祝う式典が行われ、東京で内山書店を経営する内山深さんがビデオメッセージを寄せ「中国に再び開店させることは、数十年来の夢でした。皆さんの支援に感謝します」と述べました。
また、式典に参加した魯迅の孫の周令飛さんは、「上海の店はまだ復活していないが、みんなの努力で必ず戻ると信じている」と話していました。
店長となった趙奇さんは「もし私が内山完造が行ったことの1%でもできれば、両国関係に貢献できると思う。よい店長となるとともに、よき友人となりたい」と話していました。

 


(右側のモザイク女性も井原市出身です)


撮影日・2016年3月12日


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魯迅

2021年07月14日 | 銅像の人
場所・中国上海市




2021年7月10日、全国ニュースで「内山書店」の天津店が開店し、魯迅のお孫さんが挨拶する画像が流れた。



【時事通信】
魯迅ゆかりの書店復活 中国で1945年以来

【天津時事】中国の文豪、魯迅ゆかりの書店「内山書店」が10日、天津市で開業した。
中国での「内山書店」の営業は1945年以来。
開店式に出席した魯迅の孫、周令飛さんは「祖父が生きていればとても喜ぶと思う」と語った。
1917年に上海で開店した内山書店は当時の日中文化人が集う場となり、特に魯迅と創業者の内山完造の交流は有名。
35年に「中国を知る書店」として東京でも開業したが、45年に上海店は閉店した。
天津のテレビ局ディレクターだった趙奇さんが最近、内山書店の番組を制作したことがきっかけとなり、天津での「内山書店」復活につながった。
天津の内山書店は市内のショッピングモールにある。
東京の内山書店と経営や資本の関係はないが、多数の日本関連書籍を扱い、日中の文化交流の場となることを目指している。 





撮影日・2016年3月12日


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魯迅 (仙台)

2021年07月14日 | 銅像の人
場所・宮城県仙台市青葉区川内






【東北大学史料館】

魯迅

1904年(明治37)秋、1人の中国人留学生が、医学の道を志し、東北大学の前身である「仙台医学専門学校」に入学しました。
彼の名は周樹人(しゅう じゅじん/チャオ シューレン)。
のちに『狂人日記』や『阿Q正伝(あきゅうせいでん)』等の作品によって中国文学に新しい息吹を吹き込み、
近代中国を代表する思想家として活躍した作家「魯迅(ろじん/ルーシュン)」その人です。

留学生・周樹人の仙台での生活は、たった1年半にすぎません。
しかしこの仙台にて、彼は「文学」の道を進むことを決心しました。
彼がのちに作家「魯迅」として執筆した短編小説「藤野先生」には、
異郷の地仙台での学生生活、文学への転向を決意する彼の心の動きが、ひとりの教師との交流を素材として綴られています。
この展示では、東北大学に遺されている資料をもとに、若き日の魯迅=周樹人の仙台での留学生活をご紹介したいと思います。







撮影日・2018年8月6日

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