祖父(1893~1992)は、
明治26年広島県深安郡下竹田村に生まれた。
4男だったので、茂平の農家に養子結婚した。
平成4年に亡くなったが、その時は、笠岡市の男性で2番目の長寿だった。
4人の子がいるが、
戦死者もなく、今も2人が健在。
(その長命の系統にあやかりたいと、ひそかに、いつも願っている)
子どもの頃、風呂で話す祖父の話はワンパターンだった。
「百姓はいけん。月給取りになれ」
その話を信じ(職種は選ばず)、”会社員”になったが、
悪くはないが、いいものでもなかった。
でも、祖父が言いたかったことは、時代や社会や世相をからみて、
至極妥当な意見であったと思っている。
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(昭和16年頃と思える家族写真・後列右側が祖父)
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江戸時代末期、
日本の識字率は60~70%といわれ、
それが明治の文明開化成功の大きな要因とも言われる。
逆に言えば、
30~40%の人は読み書きが出来なかった。
昭和17年、茂平に嫁いだ母は
最初の村人からの依頼事項は、隣家の老婆からの手紙の代筆だった。
そういう事例は管理人が小学生までつづいた。
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2023.7.3
姉との雑談に出た、祖父の話。
(姉の話)
お祖父さんは高等小学校を出ていた。
それで、
”ひろこ(=姉のこと)よ、ワシは高等小学校を出とる。
それじゃけえアルファベットも言えるし、書ける。
わからん時はワシに聞け、おしえてやる”
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大正生まれの、
父や母の時代の高等小学校は、
尋常6年、
高小2年、(義務教育6年)
明治の、
祖父の時代の高等小学校は、
尋常4年、
高小2年の時代。(義務教育4年)
ABCを習った祖父は大きな自慢だったのだろう。
でも、それを言える相手が孫娘しかいなかったのも、
養子のつらさだった・・のだろうなあ?
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