井原や芳井の人からも忘れ去られた偉人。
場所・岡山県井原市芳井町
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「芳井町史」 井原市史編纂室 平成20年発行
緒方郁蔵へ位階追贈
後月郡簗瀬村出身で、緒方洪庵と義兄弟の盟約を結んだ医師緒方郁蔵は、
明治4年7月9日病死した(享年58才)。
大正7年になり郁蔵の遺族が2年後の7月に没後50年祭を計画するが、これを知った大阪府知事は、
内務・文部両大臣宛てに大正7年9月23日付で「位階追贈」の内申を行った。
この結果、翌8年11月15日「従五位」の追贈が決定した。
両大臣宛ての「内申」には、郁蔵について次のような評価が記述されている。
洋学を修め、医術を究めもって新式の治療を施し、あるいは諸生を教導し、各種の著述をなす等、学界に貢献せし」
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「岡山人じゃが2011」 岡山ペンクラブ 吉備人出版 2011年発行
井原生まれ、幕末の蘭方医
緒方研堂(緒方竹虎の祖父)をもっと理解しよう
赤井克己
大坂・適塾創始者緒方洪庵(1810~1863)は著名な蘭学者。
一方、同時期の蘭方医、井原生まれの緒方研堂(1814~1871)は、
洪庵と義兄弟の契りを結ぶほど肝胆相照らす仲。
適塾運営に協力するとともに医学振興に尽くしたが、PR不測のせいか事跡が語られることは少ない。
著名な政治家緒方竹虎の祖父であることも知る人はほとんどいない。
今年は研堂没後140年、知られざる備中出身蘭方医緒方研堂の生涯について。
研堂は文化11年備中国後月郡簗瀬村に生まれた。姓名は大戸郁蔵である。
江戸末期、この簗瀬地区は研堂、その師山鳴大年、養子の弘斎らの蘭学者を輩出した。
天保9年(1838)洪庵が適塾を開くと入門。
刑場での解剖、種痘、ロシア船の通訳も務めた。
このため洪庵の信頼は大きく、義兄弟として緒方姓を名乗ることを許され、研堂と号した。
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撮影日・2021年3月27日
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