しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

服部大池の”お糸”

2021年03月12日 | 銅像の人
場所・広島県福山市駅家町  服部大池


駅家(えきや)の服部大池には”お糸さん”伝説がある。地元で知らぬ人はいない。







”お糸さん”は、忠魂碑と並んで建つ。
この場所が服部地区の中心を意味する。




像には『人柱お糸之像」と刻まれている。


 


服部大池

(Wikipedia)
服部大池は1643年(寛永20年)に福山藩初代藩主であった水野勝成が隠居後に神辺平野の干魃対策のひとつとして神谷治部を総奉行として服部川を堰き止めて造らせた。
福山藩で最大のため池で春日池、瀬戸池と並び領内三大池のひとつに数えられる。
1645年(正保2年)に完成し20ヶ村に恩恵を与え周囲の治水を大きく安定させた。以後、度々の改修を受けつつ農業用ため池として現在も用いられており、近年では1997年に改修工事が行われた。池の周辺は公園として整備され桜の名所として市民に親しまれている。




人柱伝説

服部大池の築造は大変な難工事であったために堤に「人柱」が捧げられたとの言い伝えがある。
それによると人柱にされたのは病気の母親に代わり人夫として夫役に出ていた16歳のお糸であったとされ、彼女が選ばれた理由は『着物に横つぎが当たっていて、未婚の娘』(貧しい処女であるという意味)であったからだという。
また、伝説には後日談があり、お糸には恋人の若者がおり毎夜池の堤でお糸の名を呼び続け、ついには池に身を投げてしまった。
それを知った人々が二人の霊を慰めるために弁財天を祀ったうえで松と槙を植えた。
後に2人の魂がひとつになろうとしているかのように2本の根が絡み合い、やがて『比翼の松』と呼ばれるようになったという(現在では枯れてしまい、お糸大明神に祀られている)。





撮影日・2009年4月10日


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