しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

戦後の混乱③満州からの引揚げー荷物一つ 命からがら

2021年08月16日 | 昭和21年~25年
荷物一つ 命からがら

「昭和時代」  著者・読売新聞  中央公論社  2015年発行


在留の日本人が最も多かったのは満州だった。
約155万人と見込まれた。

日本政府は1945年8月14日、
満州を始めとする在外機関に訓令を出し、
在留邦人は「出来る限り定着させる」との方針を示した。
ソ連軍の蛮行が続き、満州の危機的な状況が伝えられても、
「早期引き揚げ」へと方向転換できなかった。

満州を占領したソ連は、在満日本資産を持ち去るばかりで、邦人保護には一向に目を向けなかった。
関東軍も、満州国も、満鉄も、9月末までには消滅した。
関東軍の幕僚や満州国の首脳陣はシベリアへ連行された。

45年末から共産党軍が勢力を伸長させた。
46年3月、ソ連軍は撤退を開始。
その後に国民政府軍が現れた。

米国が国民政府に対して輸送用船舶を貸与するなど支援活動を行い、引き揚げが始まった。
邦人を乗せた第一陣の船が葫蘆島を出港したのは46年5月のことだった。



・・・・・・

満州で生まれた漫画家・赤塚不二夫の『これでいいのだ』によれば、
46年6月初め、奉天駅から無蓋貨車で葫蘆島に向かう。
奉天駅には、中国人が大勢集まっていて「その子供売れ!」
母は子に「しっかりつかまるんだよ。離しちゃダメだよ!」

満州の邦人は、46年中に約100万人が引揚を終えた。
約17万人が犠牲になったといわれている。

リュックサックやズタ袋一つに大事なものを収めて、命からがら本土にたどり着いた引揚者のなかには、帰国した後、
新たな苦労に直面した人も多かった。






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