このページはオランダ使節の謁見でなく、大名の参勤お目見え登城であるが、
儀式としてほぼ同じものだったことが、うかがえる。
「参勤交代」 山本博文著 講談社現代新書 1998年発行
参勤お目見え登城
大名が江戸に着くと、老中まで江戸到着のことを披露する。
すると、幕府からその大名の家格にあわせて上使が派遣されてくる。
たとえば国持大名であれば、老中が使者になって藩邸を訪問する。
この参勤の披露がないうちは、たとえ江戸にいてもまだ到着していないものとして扱われる。
将軍への披露がなければ、公然と友人に会いにいくこともできないのである。
参勤登城
その後、幕府年寄から登城を命ずる奉書が到来し、その翌日朝に登城して、
参勤後初めてのお目見えをする。
藩主はそれが済むと、各年寄りの屋敷を訪問して、挨拶する。
承応元年(1652)佐竹義隆の事例で見ていこう。
前日
前日、藩邸では、翌日持参する進上の広綿などを用意して準備に忙しい。
翌朝、品物を持たせ登城した。
献上は、
御太刀一腰
御馬(黒毛6歳)一匹
広綿200把
銀子百枚である、
この他、将軍生母や大奥老女たちへの進物も届けている。
義隆は、お目見えが終わると、大老の屋敷へ挨拶に行き、そこから藩邸に帰った。
翌日には、留守居役が老中への進物を届けている。
献上物や進物は、かなりの額にのぼる。
ただし、これが藩財政を圧迫していたというのではない。
将軍からは倍額に近い拝領品が下賜される。
一方額は小さいがとはいえ、老中や幕閣への進物に返礼はない。
江戸到着の儀礼
リハーサルを二度
当日の朝、礼装で上屋敷を出る。
江戸城大手門で、大半の供を残し、駕籠から降り徒歩で表玄関から入る、
出迎えた表坊主の案内で、梛之間に入り、着座する。
参勤御暇の登城は「諸席打込」であり、城主禄高順でお目見えする。
全員揃うと、表坊主に連絡し、式場である黒書院に行き習礼をして柳之間に戻る。
「習礼」とはリハーサルである。
このお目見えが緊張感をもった重要な儀式であることが知れる。
二度習礼をする。
幕府側でも落ち度のないようにはかっているのである。
まだ儀式までには時間がある。
あっけない本番
さて、いよいよ本番である。
黒書院を襖の方を後ろにして、定められた順に着座し、目付が書いた「名前書」を見せて確認を取る。
順番にお目見えする。
将軍から「夫エ(それえ)」と声がかかる。
すかさず御用番老中が「〇〇守は有り難く申しおります」とお取り合いし、儀礼は終わる。
あっけないものである。
帰宅は午前1時前である。
儀礼国家の心性
このような参府の儀式は定型化されており、儀礼的なものであった。
しかし、諸大名にとっては、このような儀礼こそが政治的行為であった。
極端に言えば、大名が国家老の案に許可を与えることと、
留守居役のお膳立てした場に出てゆくだけでよかった。
参勤交代制の下で、江戸と国許を隔年往復するうちに、日常的に大名が行う政務の実質がなくなっていたのである。
儀式としてほぼ同じものだったことが、うかがえる。
「参勤交代」 山本博文著 講談社現代新書 1998年発行
参勤お目見え登城
大名が江戸に着くと、老中まで江戸到着のことを披露する。
すると、幕府からその大名の家格にあわせて上使が派遣されてくる。
たとえば国持大名であれば、老中が使者になって藩邸を訪問する。
この参勤の披露がないうちは、たとえ江戸にいてもまだ到着していないものとして扱われる。
将軍への披露がなければ、公然と友人に会いにいくこともできないのである。
参勤登城
その後、幕府年寄から登城を命ずる奉書が到来し、その翌日朝に登城して、
参勤後初めてのお目見えをする。
藩主はそれが済むと、各年寄りの屋敷を訪問して、挨拶する。
承応元年(1652)佐竹義隆の事例で見ていこう。
前日
前日、藩邸では、翌日持参する進上の広綿などを用意して準備に忙しい。
翌朝、品物を持たせ登城した。
献上は、
御太刀一腰
御馬(黒毛6歳)一匹
広綿200把
銀子百枚である、
この他、将軍生母や大奥老女たちへの進物も届けている。
義隆は、お目見えが終わると、大老の屋敷へ挨拶に行き、そこから藩邸に帰った。
翌日には、留守居役が老中への進物を届けている。
献上物や進物は、かなりの額にのぼる。
ただし、これが藩財政を圧迫していたというのではない。
将軍からは倍額に近い拝領品が下賜される。
一方額は小さいがとはいえ、老中や幕閣への進物に返礼はない。
江戸到着の儀礼
リハーサルを二度
当日の朝、礼装で上屋敷を出る。
江戸城大手門で、大半の供を残し、駕籠から降り徒歩で表玄関から入る、
出迎えた表坊主の案内で、梛之間に入り、着座する。
参勤御暇の登城は「諸席打込」であり、城主禄高順でお目見えする。
全員揃うと、表坊主に連絡し、式場である黒書院に行き習礼をして柳之間に戻る。
「習礼」とはリハーサルである。
このお目見えが緊張感をもった重要な儀式であることが知れる。
二度習礼をする。
幕府側でも落ち度のないようにはかっているのである。
まだ儀式までには時間がある。
あっけない本番
さて、いよいよ本番である。
黒書院を襖の方を後ろにして、定められた順に着座し、目付が書いた「名前書」を見せて確認を取る。
順番にお目見えする。
将軍から「夫エ(それえ)」と声がかかる。
すかさず御用番老中が「〇〇守は有り難く申しおります」とお取り合いし、儀礼は終わる。
あっけないものである。
帰宅は午前1時前である。
儀礼国家の心性
このような参府の儀式は定型化されており、儀礼的なものであった。
しかし、諸大名にとっては、このような儀礼こそが政治的行為であった。
極端に言えば、大名が国家老の案に許可を与えることと、
留守居役のお膳立てした場に出てゆくだけでよかった。
参勤交代制の下で、江戸と国許を隔年往復するうちに、日常的に大名が行う政務の実質がなくなっていたのである。
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