JR瀬戸大橋線の車窓から小与島を見ると、
切り残した花崗岩が海の中に突き出ている。
遺跡の島の様相だ。
瀬戸大橋の工事期間中、与島・小与島はレジャー・観光産業で新聞テレビの注目を浴び続けた。
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瀬戸内の風土と歴史 谷口・後藤・石田共著 山川出版社 昭和53年発行
島にはいくつかの類型がある。
第一のタイプ
比較的水田耕作の盛んな島である。
淡路島、周防大島の西部。
第二のタイプ
畑地とともにいくらかの水田をもつ島。あるいは畑のみの島。
忽那島や生口島。
第三のタイプ
農耕の島に純漁村の付加している島。
周防大島の安下庄や因島の箱崎。
第四のタイプ
帆船の船着場として賑わい、造船技術や水夫(かこ)が多い。
安芸鹿老渡・御手洗・伊予安居島・岩城島・弓削島・備後田島・備前日比・牛窓・大多府等。
第五のタイプ
採石の島。
防波堤・石垣の築造が各地でおこってくると、花崗岩の需要が著しく増加する。
周防大津島・黒髪島・浮島、安芸大黒神島・倉橋島、備中北木島・白石島、讃岐小与島・小豆島、播磨男鹿島などが採石の島として著名である。
第六のタイプ
島を牧場ないし流刑地として利用したもの。
全島が放牧場として利用された島が意外と多い。
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(与島から見る小与島 2007.10.28 香川県坂出市)
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「瀬戸内海を歩く」 中国新聞社 1998年発行
小与島
「橋が架かれば、観光の島よ」
与島と小与島をロープウェーで結び、一大レジャーランドにする。
そんな開発プランもあった。
殺風景な島の風景は、そのまま西部劇のロケ地としても使える、という触れ込みだった。
「橋が架かりゃあ、若者も帰ってくる。
過疎も止まり、観光の島で発展する」。
架橋前に島の誰もが描いた島の未来図は、大いに目算が狂っていた。
1950年代後半、15の採石場があり、
最盛期には190人近くいた人口も、今は30人ほどに減った。
丁場が橋脚となる与島は仕事を失い、
小与島は長大橋の眺望を売り物にした「観光の島」の構想が、石屋の心を揺さぶった。
88年、岡山市のリゾート会社が500億円を投資し、ホテル、海洋レジャー、スポーツ施設を島全体に造る構想をたて、島民に坂出市内への集団移転を持ち掛けた。
その後、バブル崩壊で計画は大幅縮小されホテルがオープンしただけにとどまった。
「夢のような話はやっぱり夢じゃった。
橋が架かかると若者もUターンして来るというたが、逆に島はさびれた」と言う。
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