しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

戦中・戦後の学校変遷(笠岡商業・笠岡女学校)

2020年12月24日 | 城見小・他校
戦中・戦後の学校変遷(笠岡商業・笠岡女学校)


明治以来、何度かの学生改革はあったが、戦後のGHQによる体系の変更は大きい。「複線型教育」から「単線型教育」の「6.3.3.4制」になった。
生活貧困・物資不足と混乱の時代に学校の制度は変わった。


笠岡商業学校と笠岡高等女学校の戦中・戦後をみる。



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下記より転記。

笠岡商業 「笠岡商業創立90周年記念誌」  平成3年発行
笠岡高等女学校 「笠岡高校70年史」 笠岡高等学校・編集部  凸版印刷  昭和47年発行
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笠岡商業学校

昭和19年4月1日 工業学校に転換、校名を「笠岡工業」とする。
昭和20年3月28日 戦時特別措置として4年制度になる。
(終戦後)
昭和21年4月1日 商業学校と工業学校を併置。
昭和22年4月1日 学生改革により1年生の募集停止。
昭和23年4月1日 岡山県立笠岡第一高等学校と改称。商業・工業・普通の3科。定時制商業化も併設。
昭和24年9月1日 笠岡第二高等学校と合併して笠岡高校と改称。吸江校舎、千鳥校舎の二校舎とする。
昭和25年4月1日 商業・機械の2課程を置き、定時制商業化を併置する。男女共学になる。
昭和28年4月1日 吸江舎・千鳥校舎を分離独立して、岡山県立笠岡商工高等学校と改称。
昭和36年4月1日 工業課程を分離して岡山県立笠岡商業高等学校と改称する。




笠岡高等女学校

(終戦後)
昭和23年4月1日 学生改革により、笠岡第二高等学校として発足。
昭和24年3月16日 旧制高等女学校の最後の卒業式を行う。
    9月1日 笠岡第一高等学校と統合、笠岡高校千鳥校舎。組合立笠岡高等学校を併設(←定時制)
昭和28年4月1日 独立校となる、「岡山県立笠岡高等学校」。
昭和35年3月31日 併設の笠岡市立笠岡高等学校廃止。



笠岡女学校・和20年卒手記  (O子)

昭和19年6月、私たち4年生にも動員令が下った。
昭和20年の新年を迎えたころから、敵機の襲来の数が増した。
がんばっている私たちに、予想もしなかったショック的な知らせが報じられた。
それは4年生で学校の終了課程を終えるということだった。
仕事をしながらも、書物をひもとき、友だち同志で研究はしあっていたけれでも、
もう一度、千鳥ケ丘の教室で勉強したいと思った。
もう少し、女学生生活を明るく楽しいものにしたかったと願ったが、それは時世的にもゆるされなかった。
万寿工場の川べりの柳の芽がふくらみかけた昭和20年3月31日、
動員生徒の合同卒業式が、三菱重工業水島製作所の講堂で行われた。


(昭和20年3月31日 笠岡高等女学校の4年生と5年生が同時に卒業した)




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なお、本記事とは関係ないが

笠岡市は「成人式を」令和3年は新型コロナウイルスのため来年に延期して、
令和4年1月に2年ぶんの成人式を開催する。合同でなく、日にちは少しずらすそうだ。



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