しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

三軒屋(広島県福山市千田町)の雨傘

2021年07月25日 | 昭和で無くなったり・変わったもの(生活・暮らし・産業)
小学生の時は、
”傘”といえば番傘、竹と油紙で作った傘。手に持つと重いことと、豪快な雨音がしていた。
洋傘は”コウモリ”と呼んでいた。

学校の備品として生徒全員に雨傘が備えてあったが、その傘は千田(せんだ)で作っていたとは知らなかった。


・・・・・・・

「千田学区地域誌」  千田学区町内会連合会  2008年発行

三軒家の雨傘

三軒屋の雨傘製造は、今を去る二百数十年くらい前からあり、
その後、次第に増え、大正から昭和にかけては住み込み職人を置いている店もあり、
下請けを入れると実に14~15軒にも及んでいました。
販路も広く、県外にも広げて年間の生産量は三万数千本にも達していました。

各地から見習いに来て、三軒屋で修業し地方に帰り、独立営業する人も数多く見られました。
裏山や田んぼの小溝などに傘を干し、遠くから見ると一面に花が咲いているようで実に壮観でした。




9月になると、青い渋柿を買って、唐臼でついて柿渋を作ります。
油は主にエゴマの油・桐油で、戦後油が不足すると松根油を少し混ぜていました。
糊はワラビ粉を炊き柿渋を混ぜて作ります。
紙は芦品郡阿字村等から買っていました。

一世を風靡した三軒屋の雨傘も時代の変遷と、戦後大量の安い洋傘が普及するにつれ、
昭和30年代後半にその姿を消してしまいました。

千田村で農業以外の生産で、主力産業であった三軒屋の姿を永く後世に伝えたいものです。




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