しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

下関要塞・古城山砲台

2021年02月01日 | 「戦争遺跡」を訪ねる
場所・福岡県北九州市門司区 和布刈公園・古城山 公園
訪問日・2015.2.20


古城山砲台は城跡にある。
門司城の跡に砲台が築かれた。








敵艦発見が目的のため、遠方まで見渡せ、
瀬戸内海・関門海峡・日本海。
それに眼下に関門大橋が見え、すばらしい景観の場所。




「続しらべる戦争遺跡の事典」 柏書房 2003年発行

下関要塞
下関海峡は明治6年、海上防御法の審議にて
1・東京湾海門
2・大阪湾紀淡海峡
3・下関海峡
4・対馬と決定した。

下関海峡は敵艦の通過阻止、港湾防御、敵兵の上陸阻止の目的で明治20年、
砲台の建設を始めた。

下関側5か所
門司側6か所(古城山含む)
彦島3か所、の砲台が建設された。

明治23年塞砲兵第4連隊が創設された。
1895年下関要塞司令部が創設された。

1904年日露開戦で戦時下令され戦闘配備につき、
下関要塞砲兵聯隊は各地を転戦した。












弾薬庫か。










「続しらべる戦争遺跡の事典」 柏書房 2003年発行

昭和に入ると要塞の性格も変わり、敵艦艇、特にソ連海軍の潜水艦対策が講じられた。
1937年になると北九州地区に高射砲陣地が構築され、1944年にはさらに高射砲が増強された。


観測所




しかし
B29には全く無力で、北九州地区に対する空爆、下関海峡に対する機雷封鎖作戦阻止には全く役に立たなかった。
1945年9月に下関要塞は解散し、兵員は復員した。








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