しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

米騒動⑧米騒動100年

2020年06月29日 | 大正
「米騒動100年」北日本新聞社編集局 2018年発行 



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おかかの叫び

鍋割月(なべわりづき)
かつて富山県東部の漁師町の人々は、夏をそう呼んだ。
魚もほとんど揚がらない。
からっぽの鍋を火にかけると割れてしまう。
田畑を持たないその日暮らしの漁師にとって、一番苦しい時期だった。
「夏は命が涸れる。餓死は当時、身近にあるものだった」。

・・・

以前から、この時期に米価が高騰すると、県東部では漁師一家をはじめとして下層社会の女性たちを中心に、米の安売りや、積み出し停止要求が幾度となく起きていた。
いずれも哀願運動のようなもので、暴動や略奪ではなかった。
ところが「高岡新報」が報じて以降、全国に米騒動情報をリードした。

・・・

明治後期になると、都市人口の増加や、農村にまで米穀消費が拡大したことにより、日本米の供給が需要に追い付かなくなってきた。
その結果、米価は頻繁に上昇するようになり、その都度安価な海外の米穀が、困窮する庶民の代用食として持ち込まれてきた。
まず、ジャポニカ米に属する朝鮮米が持ち込まれ、限界に達したときは外米が輸入されていたのである。


・・・

江戸時代、在米が減り米価が高くなると加賀藩が「津留(つどめ)」(移出禁止)を命じたこともあり、女性たちは「正当」だと信じていた。

当時の男たちは「騒動は女たちが勝手にやっているもの」と捉え傍観していたようにも見える。

・・・

背景の一つに、制限選挙制度がある。
当時は、有権者は全人口の1~2%。
このため、四民平等となっても、政治を「お上のもの」の考えが根強く残った。
1920年代には男子普通選挙制度が成立し、米騒動がいかに日本の大きな転換点であったかがわかる。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 米騒動⑦岩波新書 | トップ | 岡山空襲75年・父の話 »

コメントを投稿

大正」カテゴリの最新記事