場所・岡山県井原市芳井町吉井
井原市を代表する偉人の一人、阪谷朗廬。
井原市の歴史に欠かせない人物。
今も多くの井原市民に敬愛されている。
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【井原の文化財】 井原市教育委員会 平成12年発行
阪谷 朗廬(さかたに ろうろ)
1822年12月29日~ 1881年1月15日。
阪谷朗廬は、現在の美星町に生まれた漢学者で、
江戸で学び、現在の芳井町で塾を開いていた。
その後、興譲館に招かれ、領内の子弟の教育を行った朗廬の名声は各地に広がり、
遠くは九州地方からの入門者もあった。
その後、広島藩、明治政府に招かれ要職を務めるとともに、
森有礼、福沢諭吉の主催する明六社に漢学者としては唯一参加した。
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【桜渓塾】の看板
桜渓塾
嘉永4年(1851)、阪谷朗廬が簗瀬の桜谷に漢学塾(桜渓塾)を開き、
青少年の人材育成のため大いに尽くしました。
桜渓塾の朗廬を訪ねて全国各地から漢学者や漢詩仲間がやって来て賑わいました。
嘉永6年(1853)、一橋領代官所江原役所は郷校を設立して朗廬に教授を依頼しました。
朗廬は、これに応じ郷校興譲館へ居を移しました。
その後、15年間興譲館で子弟育成に当たり多くの人材を世に出しました。
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桜渓塾は、現代の井原市を代表する有名人【千鳥・ノブ】の実家とは1~2kmの距離になる。
訪問日・2024年4月28日
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