しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

「天空の城」に登る 七尾城

2020年11月11日 | 「天空の城」に登る
七尾城

石川県七尾市古城町



霜は軍営に満ちて秋気清し
   数行の過雁、月三更
   越山併せ得たり、能州の景





謙信の歌で有名な七尾城。




本丸は何段もの石垣に囲まれ、山は大きく、そして険しい。

謙信が敵の落城を喜ぶさまが伝わってくる城跡だ。









能登島方面遠望










桜馬場石垣








登城日・2015.8.1


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天空の城」に登る 春日山城

2020年11月10日 | 「天空の城」に登る
春日山城

新潟県上越市中屋敷

春日山城本丸から妙高山を見る








上杉謙信の居城として有名な春日山城。

典型的な中世山城で、何重にも本丸を曲輪で囲み、名城の趣がある。







春日山駅から、車の場合はお城スタンプ館から、歴史と自然のいいハイキング道を楽しめる。
















但し、山城はどの城もそうだが

観光地と思って来ると失望する。




お城は春日山駅の正面に見えている。

駅前の道をまっすぐ行けば登城できる。



登城日・2015.3.8

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天空の城」に登る 勝山館

2020年11月10日 | 「天空の城」に登る
勝山館
北海道檜山郡上ノ国町



勝山城館は、とにかく眺めがいい。




追分ソーランラインに大きな駐車場と看板があるので、あとは登っていくだけ。

しかし結構きつい坂道。



勝山城館は、松前藩の始祖の武田氏が15世紀に築城したもので、

当時は城内にアイヌ人も同居していた。

後半に築いた山城で、16世紀末頃まで、武田・蠣崎氏の政治・軍事・交易の一大拠点となっていた。












長く北海道の中心地だったが、
その後はニシン魚でも栄えた。



国の重要文化財指定の旧笹浪家住宅が登城口にある。



重要文化財指定の旧笹浪家住宅。



登城日・2017年7月29日


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

力道山の街頭テレビを見る岡山県人はいなかった

2020年11月08日 | 昭和26年~30年
力道山の街頭テレビを見る岡山県人はいなかった


以前義兄に、福山市では力道山の街頭テレビは、駅前や通町であったのか聞いてみたら
「福山で力道山のテレビを見る人を、見たことはない。東京や大阪のことだろう」と話した。

力道山とシャープ兄弟の試合が熱狂したのは、昭和29年ごろ。
岡山県にも広島県にもテレビ放送は始まっていなかった。




・・・・・・・・・・・・・・・・・


「岡山市百年史下巻」編集・岡山市 ぎょうせい 平成三年発行


民間放送の誕生


昭和26年に4社が設立された。
岡山では27年ごろから山陽新聞社を中心に放送会社設立の動きが高まった。
昭和28年4月山陽放送設立、山陽新聞社会長が社長となった。10月1日開局。
放送には未経験者が多く、
演奏所、送信所の機械、設備の据え付け、アナウンサー養成など開局準備に追われた。
ラジオ東京などの協力を得てやっと開局にこぎつけた。
アナウンサーはラジオ東京で6人を養成した。
一期生は、
「五十音の発音、発声から手ほどきを受け、連日、朝の9時から夕方の5時まで標準語とアナウンス技術を徹底的に叩きこまれた。
一ヶ月もすると言葉にすっかり自信を失ってしまい、みんな口数が少なくしょぼくれた」。
録音テープの再生機の調子が悪く、放送がめちゃめちゃになったこともあった。



テレビ時代

昭和28年にNHK東京テレビ局が放送を開始した。
昭和32年12月23日にテレビジョン放送(現・総合テレビ開始。
山陽放送が昭和33年6月テレビ放送を始めた。
昭和33年12月NHKと日本テレビにカラーテレビの予備免許がおりた。
NHK岡山は昭和39年、山陽放送は41年からカラー化した。

山陽放送・西日本放送のVHF2局が広域放送圏で相互乗り入れを行っていた。
その後、UHF3社
岡山放送・瀬戸内海放送が昭和44年開局。
テレビせとうちが昭和60年開局した。
他に衛星テレビ(WOWOW)が見れる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家神道の解体

2020年11月07日 | 昭和21年~25年
国家神道の解体

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「岡山市百年史下巻」編集・岡山市 ぎょうせい 平成三年発行 より転記


国家と神道の分離

連合国司令部は、昭和20年12月15日いわゆる「神道指令」と呼ばれる覚書を発した。
前文の中には、
「日本国民を欺き侵略戦争へ誘導する意図のもとに、
神道の教理並びに信仰を歪曲して軍国主義的並びに過激なる国家主義宣伝に利用するが如きことの
再び起ることをことを防止する為に」とある。
主な内容は国家と神社神道の完全な分離、国家神道(神社神道)の教義・儀式の宣伝の禁止、
内務省神祇院の廃止などであった。
そして神社神道は国の保護から離れ、軍国主義、過激な国家主義的要素を除けば民間の一宗教として存続できることを明らかにした。
翌21年1月1日、
天皇みずからの神格否定の人間宣言、神祇院廃止、2月2日宗教法人改正公布によって解体した。


連合国総司令部は軍国・国家主義を除けば宗教とみなした。
それによって神社神道が廃絶をまぬがれた。
「アメリカ人は信仰の自由を大切にする。
神道はつぶしたくても、信仰の自由を犯してはたいへんだと、自らジレンマにおちいった」
改革を迫られた神社神道は、昭和21年2月宗教法人神社本庁を設立した。
翌3月岡山県神職会が中心となって、神社本庁県支部として宗教法人県神社庁を設立した。
連合国総司令部がもっとも注目していたのは、靖国・護国神社グループの動きであった。
靖国・護国神社グループは軍国主義的色彩を消すのに懸命であった。



(岡山護国神社 2016.4.5)



護国神社から操山神社へ

岡山県護国神社は昭和21年11月、宗教法人操山神社と改称した。
(講和条約発効の昭和27年、旧名に戻す)

明治初年南朝などの忠君を祭神とする神社が各地につくられた。
操山神社につくられた三勲神社もその一つで、和気清麻呂・楠正行・児島高徳を祭る県社であった。
終戦後浮浪者の宿になり、屋根の銅板は盗まれ、社殿の板・柱は薪にされた。
昭和22年、有志が御霊屋を玉井宮に移した。
氏子もなく地域との結びつきのなかった神社の象徴的なできごとであった。



(玉井東照宮 2016.4.5)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦没者慰霊施設②忠霊塔・招魂社

2020年11月07日 | 昭和16年~19年
「続・しらべる戦争遺跡の事典」 柏書房 2003年発行

・・・・・・・・・・・・・・・・・

戦没者慰霊施設②忠霊塔・招魂社


忠霊塔


(忠霊塔・笠岡市北木島町諏訪神社。
建立は「皇紀2600年」、揮毫は、「陸軍大将 男爵 本庄繁」
角柱状でなく円形)

忠霊塔は、1939年(昭和14)に設立された大日本忠霊顕彰会が、一市町村一基の忠霊塔を全国に建設する運動を展開するなかで広まった。
同会は「一日戦死」をスローガンに掲げ、国民の寄付金を募り、忠霊塔の建設費に当てた。
忠霊塔の形式は、規模の大小にかかわらず箱型の基壇上に角柱状の塔身を載せ、塔身に「忠霊塔」の文字を表したものである。
また、基壇の内部には納骨施設を持ち、遺骨や戦没者名簿などを安置する。
忠魂碑と墓碑の性格を併せ持った施設の必要性を説く陸軍の意向があった。
慰霊祭は地元の慣習に任せるとし、仏教的な儀礼を排除しなかったため、神社界の強い反発を招いた。
遺骨と霊魂を併せ祀る忠霊塔は、霊魂を遺骨から切り離して祀る護国神社や靖国神社とは異質の霊魂観に支えられており、
神社界の反発には根強いものがあった。



招魂社


(笠岡の招魂社)

招魂社は1869年(明治2)に東京招魂社が創建された。神社である。
1874年に内務省が官費で維持する方針を出したことによって制度的に確立した。
1934年(昭和9)内務省は招魂社を一府県一社とする方針を各府県に示し、それを1939年に制度化した。
1939年さらに、招魂社を護国神社と改称することを命じ、護国神社制度が発足をみた。
大日本忠霊顕彰会が設置され、忠霊塔の建設が本格化するのもこの年のことであり、
日中戦争の膠着状態のなかで国民を戦争協力に掻き立てるべく戦没者慰霊施設の整備が画策されたものと考えられる。
靖国神社は1879年に東京招魂社が改称されたもので、各地の招魂社・護国神社の頂点に立つ存在となった。



忠魂堂
神道的な慰霊施設に対し、仏教の立場から戦没者を供養した施設として忠魂堂の存在が知られる。
忠魂堂は遺骨や遺品を納める施設を持つもので、日清戦争のころ誕生した。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦没者慰霊施設①忠魂碑

2020年11月06日 | 昭和16年~19年
「続・しらべる戦争遺跡の事典」 柏書房 2003年発行

・・・・・・・・・・・・・・


戦没者慰霊施設①忠魂碑

戦没者慰霊施設には、忠魂碑などの戦没者慰霊碑、
納骨が可能な忠霊塔、
戦没者の霊を祀る神社である招魂社・護国神社・靖国神社、
仏教的な方法で霊を供養する忠魂堂などがある。



戦没者慰霊碑

出現したのは個人碑であった。
戦没者個人碑で、日露戦争では未曽有の戦没者が出たため内務省は個人碑建設を規制するよう各道府県へ通達した。
膨大な数の戦没者個人碑が建設され、異様な光景が出現し、厭戦気分が広まることを危惧したものであった。

1906年、神社境内に「招魂碑、忠魂碑、弔魂碑、忠死者碑と称するものの如き墓碑に紛らわしもの」の建設を許可してはならないとし、
碑はなるべく一ヶ所にまとめて建設するよう指示した。
その結果個人碑の造立は下火となり、「一市町村一碑」の戦没者慰霊塔の建設が推進され、多数の戦没者を合祀した忠魂碑が一般化した。






忠魂碑
 


(笠岡市神島 2020115撮影)

忠魂碑は、台石や基壇の上に大きな板状の石碑を据え、表面に「忠魂碑」「表忠碑」「彰忠碑」「誠忠碑」などと大書きし、その脇に題号揮毫者名を刻み、
裏面に多数の戦没者の姓名・官位・死亡年月日、造立者名、造立意趣などを刻むものが多い。

揮毫者は乃木希典をはじめとする元帥や大将など軍の最高幹部、造立者は尚武会や在郷軍人会が多く、
軍部とそれを支える在地組織が造立に深くかかわったことが知られる。
高さは2メートルを越えるものが主体で、5メートルに達するような巨大なものも稀ではない。
下から仰ぎ見るような位置にあることが特色である。
威圧感をもつ石碑が希求されていた。

しかも造立場所は、社寺の境内のほか、役場や学校など公共施設の付近が多く、戦没者個人碑にはなかった公共性が付与されている。
1930年代になると、学校教育のなかで忠魂碑への参拝などが行われ、忠魂碑が軍国主義教育の教材に供されうようになる。

1945年にGHQの指令により軍国主義的性格をもつものとして撤去されることになる。
大部分は地中に埋められた。
1951年のサンフランシスコ平和条約後に再度掘り出され、再建されたものが多い。
戦後新たに建設された忠魂碑の存在も少なからず知らており、忠魂碑の持つ複雑な性格をうかがうことができる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天空の城」に登る 感状山城

2020年11月04日 | 「天空の城」に登る
感状山城
兵庫県相生市矢野町瓜生


羅漢の里から登城は始まる。
標高は305m。







城は南北朝時代、赤松氏がここで新田義貞と奮戦し、足利尊氏から”感状”をもらったことで名付けられた。






山頂付近には何か所も石垣遺構が残っている。









国の指定遺跡で、
史跡とハイキングが楽しめる登城。山頂からは相生市街地方面の展望がいい。






登城日・2013.3.15



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天空の城」に登る 富田松山城

2020年11月03日 | 「天空の城」に登る
富田松山城

岡山県備前市片上


片上湾に形のよ山がそびえる(写真左の山)。
あれが富田松山城。







標高は209m、
備前の戦国大名・浦上氏の支城。本拠地は三石城。

天正時代に家臣だった宇喜多直家により浦上氏は滅ぼされ、城は廃城となった。









山頂の本丸や、東側の出丸には
曲輪の遺構、土塁や堀切が数多く残っている。

元は水城と呼べる、本丸から海の眺めもいい。







登城日・2010.8.13

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「天空の城」に登る 新高山城

2020年11月03日 | 「天空の城」に登る
新高山城

広島県三原市本郷

沼田川の右岸に、空に突き刺すような急峻な山がある。それが「新高山城」。







山陽本線、国道2号線、山陽道、新幹線、そのすべての車窓から新高山(にいたかやま)を眺めることができる。







小早川隆景が築き、その後三原城に移り廃城となった。
城があったのは45年間。

登城の道は整備されているが、元は山城だけにハイキング気分は出ることなく、
もっぱら戦国時代を身近に感じ、城の攻防を予想させる。

名城であるに違いない(続日本100名城)。






登城日・2010.2.13


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする