しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

笠岡の「しめ縄」

2023年03月04日 | 令和元年~

 

一年ほど前、幼なじみのHくんから、
お宮の”しめ縄”の伝承で苦慮している話を聞いた。
それで笠岡市内の神社のしめ縄を見て歩いた。

各地区で共通しているのが、
村祭りの2週間ほど前に、しめ縄を作ること。
共通してないのが、
しめ縄の形状。

ほかに、
地域人口の減少等で、しめ縄が無い神社化繊のしめ縄の神社もあった。

 

 

 

 

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三月三日 雛祭り 

2023年03月03日 | 城見小・他校

子どもの頃、
女の子の家で「ひな祭り」を祝うことはあったかもしれないが、
雛人形がある家は、城見にはどの家にもなかった。

管理人の家では行事も何もなかった。念のため、姉に確認した。
「家では何もしていない。よその家の雛飾りも一度も見たことはない」

しかし、楽しかった思い出はある。
城見保育所では、先生(保母さん)が千代紙でお雛様を折って壁に飾っていた。
そして小学校と合同の学芸会で”今日は楽しいひな祭り・・”を歌っていた。

それだけで、じゅうぶん楽しい「ひな祭り」だった。

・・・

 

・・・

雛祭り

「岡山県史」

春の節供は雛祭り・女の節供・桃の節供などと呼び、

旧暦三月三日の行事である。

古くは上巳の節供といって、三月の初めの己の日に、厄難を人形に負わせて、

川や海に流し送る水辺の行事であった。

後にはもとの意味が忘れられて、人形を飾って、それを再びしまっておく習わしに変わった。

しかし、古くなった人形は今も川に流したり、堂や宮などの一定の神聖な場所に送る習わしが残っている。

 

笠岡市北木島町の大浦や高島の高須では古い形の流し雛の行事がある。

三月一日に餅を搗いて雛餅をつくる。

二日の夕方までに紙雛を作り雛段に祀る。

三日の日の満潮の時に、朝、浜辺で拾ってきた貝を殻のまま炊いたものと三つと、

火のついた線香と、桃の枝などをそえて紙雛を舟に乗せて

「加太の浜に無事にお帰り下さい」と唱えて海に流す。

遅くても昼前までには流す。

高島では四日に流す。

 

・・・

 


「鴨方町史・民俗編」 鴨方町 昭和60年発行

ひな祭り

三月二日を宵節供といい、
三月三日はひな祭りである。
桃の節供・女の節供あるいは三月の節供ともいって、
女の子たちが優しく健やかに育つことを願う行事である。
床の間にひな壇を飾り、ヨモギ餅を菱形に切ったものや、
アラレや白酒を供える。
ひな祭りの御馳走としては赤飯・ちらし寿司・アサリ貝のすまし汁・ワケギのぬたなどであった。
古くから、資力のある家では雛段を飾った。
ひな祭りが終わったら、すぐに箱に納める。
そのままにしておくと、嫁入りが遅れるといわれた。

・・・

 

「福山市引野町誌」  引野町誌編纂委員会 ぎょうせい 昭和61年発行


上巳の節句

女の子がひな様を祭りぼんぼりなどを供えることから、ひな祭りという。
朝早く起き、桃と柳の枝をくくり合わせて表座敷通りの屋根にさす例がある。
これは桃はきれいに美しく
柳はやさしくとの願望からきたもといわれている。
よもぎもちを作り、
これを菱形に切り神仏及びひな様に供える。

・・・

「神島史誌」  神島協議会 昭和60年発行

三月三日の桃の節句はひな祭り。
ひな壇に、ヨモギを入れた菱餅に、香りのいいユブの葉を入れてひいたキナコをつけ、
買って来た丸い綿菓子のついた柳をそえる。
女児を祝う節句で、昔は女性が仕事を休んだ。
氏神さまと荒神さまへまいった。

 

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撮影日・2019.3.31 (笠岡市北木島町  笠岡市指定文化財「流し雛」)

 

 

 

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「奥の細道」を行く

2023年03月02日 | 令和元年~

笠岡市名誉市民の小野竹喬画伯の代表作の一つに、“奥の細道句抄絵”があり、
何年か前に「竹喬美術館」で特別展があった。
その時、作品に大きな感動を受け、自分も一度、画伯のように芭蕉の場所に行ってみたいと思った。

芭蕉の道を、何回かにわけてまわった。
今回その写真を整理してみた。

 

 

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白石踊り

2023年03月01日 | 民謡

「白石踊り」は笠岡市を代表する文化財であり、最大の観光資源でもあったが、
残念ながら行政が長期間、全くの無力だった。
過疎化や少子化で、踊りが絶えることを危惧してやっと行政も(守ることに)腰をあげた。
高校生や有志の市民が積極的に参加している。

そもそも「白石踊り」は、阿波の徳島の「阿波踊り」に負けない魅せる力があると、いつも思っている。
昨年はユネスコの文化遺産委に登録された。

 

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リーフレット「おいでよ白石島」

 

白石踊

源平水島合戦で戦死した人々の霊を慰めるために始まったと伝えられる白石踊。
8月14日から16日にかけて月明かりの下、深夜まで踊ります。
一つの音頭と大太鼓の音に合わせて、
男踊・女踊・娘踊・奴踊など十数種類の異なる踊りを同時に踊ります。
一つの輪の中で混然一体となって雄壮活発・豪華絢爛に踊られる姿は、
優雅で美しくまさに幻想の世界です。

国指定重要無形民俗文化財

・・・

 

 

 


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「岡山の歌謡」 英玲二  岡山文庫  昭和45年発行

白石踊り


旧暦の7月13日から16日までは普通の盆踊り、
17日が観音踊り、
21日が大師踊り、
24日が地蔵踊り、
30日が八朔踊りといって、一夜踊りが明かされるのである。
踊りの種類は
男踊り、
女踊り、
二つ拍子、
笠踊り、
奴踊り、
扇踊り、
坊さん踊り、
など多種多様で、これが10組からに分かれ、
100人、200人の男女からなる踊り子によって宵の口から夜の白むまで、
あるいは昼過ぎまでも引き続いて踊り狂ったものであるという。

くどきには
賽の川原、
石童丸(上下)、
七回忌、
坊主落とし、
和唐内、
奈須の与市、
山田の露、
梅づくし(梶原の箙の梅)、
お半長兵衛、
戎屋の爪六、
揚巻助六、
お梅伝次、
丹波与作、
お夏清十郎、
おさん茂兵衛がある。

この踊りは特色ある郷土芸術として岡山県指定の無形文化財になっている。
岡山県民の大きな誇りであるが、歌詞の中に少しも郷土的においがないのは残念だと思う。

 

・・・・

 

白石踊 
那須与一

 

その名触れたる下野国
那須与一が誉れの次第
形(なり)は小兵に御座候へど
積もるその歳十九歳なり
矢をば一手に名を万天に
のぼせ給いしところは何処
四国讃岐の屋島の磯で
源氏平家の御戦いに
平家方より沖なる船に
的に扇を立てたる時に
九郎判官この由御覧
那須与一を御前に召され
与一御前にに相詰めければ
時に判官宣(のたま)うようは
沖に立てたるあの扇をば
矢頃遠くと射落として
敵や味方に見物させよ

 

・・・

(白石港 2023.2.25  笠岡市白石島)

 

 

 

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糸引き唄

2023年03月01日 | 民謡

綿花を近年よく見る。
趣味で家庭菜園で栽培し、白い綿を観賞したり、それを手芸に使ったり、
そして糸車で糸を紡いだりしている。

明治頃までの農家は、
畑で綿花を栽培する。収穫する。
糸を紡ぐ。
機織りで布にする。
着物に編む。
紺屋に出す以外は、そのすべてを自作していた。

 

・・・・

「岡山県史 民俗1」 岡山県 昭和58年発行

糸引き車で(糸車)で撚りをかけながら糸に引いた。
右手で車を回し、左手でシノから糸を引きだし撚りをかけて糸にした。
夜なべでアンドンの下で毎夜糸引きをしたものという。
手引きは普通は太くて不揃いだった。
織るとゴツゴツした厚地の手織り木綿になった。
糸引きは根気のいる仕事で夜なべは眠いから娘たちは糸車とシノを持ち
娘宿に集まって糸紡ぎ唄を歌って糸引きをした。

 

 

・・・・

「岡山県史民俗Ⅱ」 岡山県 昭和58年発行

 

製糸唄

機織りは昭和初期までは、どの家でもやっていた。

糸車を使って綿の繊維から糸を引きだして、よりを掛けて糸を作った。

若い娘たちは一カ所に集まっていっしょに糸取りをした。

その方が楽しいし、能率があがり、技能も上達した。

 

勝央町

七つ八から糸取り習うて

今じゃ糸屋の嫁となる

くるりくるりと回れや座繰り

早くたまれよ枠の糸

 

・・・

「高梁川44」 高梁川流域連盟 昭和61年発行

久米郡南部・御津郡北部の俚謡 石田農夫男

 

俚謡(りよう)は素朴な村人の間に、自然発生した生活の歌であり、

労働の歌でり、愛情の歌として、幕末から大正時代にかけて唄いつがれてきた。

 

糸紡ぎ歌

(春秋の農繁期を除いて、毎夜婦人は糸車をブンブンと廻しつづけて糸を紡ぎ、布を織っていた)

好きな殿御が 門に来て立てりゃ

糸も車も 手につかぬ

わしが鳥なりゃ あの家の屋根に

焦れ鳴き声 聞かせたや

・・・・

「広島県の民謡」 中国放送  第一法規出版 昭和46年発行


糸引き歌

綿から木綿糸をつむぐ時の歌である。

昔は山村・農村・漁村では、布は自分の家で織ったものであるから、
その布の材料である糸も、やはり自宅で綿からつむいだものである。
細長く伸ばした綿を左手に持ち、
右で糸車を廻して、
綿を糸に撚りつつツムに巻きとる。
この糸引きの仕事は、すべて女性が受け持った。
姑も嫁も小姑も、糸車をびゅーんびゅーんと廻しながら糸を作った。

豊田郡・賀茂郡・山県郡・安芸郡

これのお背戸にゃ いつ来てみても
車三挺の 音がする

車三挺の 音がせでなろか
嫁に 姑に 小姑よ

 

・・・

 

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