新番組のうち、『ながされて藍蘭島』と『らき☆すた』を観ることにした。
ともに原作は何度か読んだことがある程度。原作ものの場合、読み続けていると、どうしてもキャラクターの「声」のイメージも固まってしまう。なので、なかなかアニメ化されたからといって、<では観てみよう…>とはゆかない。
と、それはともかく、『らき☆すた』。原作が4コマと言うことで、別に山や谷があるわけではなさそう。事実、そのとおりである。
しかし、主人公こなたというのがあなた、一般人とは言いがたい存在であるからして…。
個人的には、入りが『怪物くん』というのが嬉しい。これだけでも観た価値はあった(笑)。
本題は『ながされて藍蘭島』。主人公の行人が遭難し、流されたのが女性しかいない島だった…と、設定自体は珍しくも何ともない。
基本的にスタチャ作品やほっちゃんが主題歌を唄っていれば何でも観る。これは昔からそうだから、別にどうということはない。
さて、声優さんである。この作品に限ったことではないのかも知れない。
「声優」というのは、言わば“声の俳優”である。“顔出し”と呼ばれる俳優と違い、その人の姿は基本的に表に出ず、声だけの演技者である。顔出し俳優のゲスト出演も「声優」と呼ばれるが、わたしは“声の出演者”と表記したい。つまり、本業声優とは違う存在と見たい。
さて、第1話。何人かのキャラが出てきた。原作は最初の数話(?)読んだだけなので、何というキャラなのかは分からない。
それはどうでも良くて、問題は声優さんである。
もちろん、人間であるから、個性は重要である。しかし、あくまでも「キャラクターを演じている」はずである。
他の作品と、単に語尾やキャラクターの絵が違うという程度で良いのか? 別にその人が嫌いというわけではないのだが、「忍者でござる」とそうでない喋りの違い、あるいは当てるキャラクターの違い…だけというのは不可解である。
まあ、わたしが聞き分けられないだけ、とも言えるが、“忍者でない楓”、“熊を操るともはね”にしか見えないのはなぜか。
別に「声色」を使い分けろというわけではないが、喋り方の違いだけ、あるいはまったく喋り方が変わらない人、というのも困りものであろう。
それでもわたしは観続けるわけだが、人気者と言うのも…ねえ?
ともに原作は何度か読んだことがある程度。原作ものの場合、読み続けていると、どうしてもキャラクターの「声」のイメージも固まってしまう。なので、なかなかアニメ化されたからといって、<では観てみよう…>とはゆかない。
と、それはともかく、『らき☆すた』。原作が4コマと言うことで、別に山や谷があるわけではなさそう。事実、そのとおりである。
しかし、主人公こなたというのがあなた、一般人とは言いがたい存在であるからして…。
個人的には、入りが『怪物くん』というのが嬉しい。これだけでも観た価値はあった(笑)。
本題は『ながされて藍蘭島』。主人公の行人が遭難し、流されたのが女性しかいない島だった…と、設定自体は珍しくも何ともない。
基本的にスタチャ作品やほっちゃんが主題歌を唄っていれば何でも観る。これは昔からそうだから、別にどうということはない。
さて、声優さんである。この作品に限ったことではないのかも知れない。
「声優」というのは、言わば“声の俳優”である。“顔出し”と呼ばれる俳優と違い、その人の姿は基本的に表に出ず、声だけの演技者である。顔出し俳優のゲスト出演も「声優」と呼ばれるが、わたしは“声の出演者”と表記したい。つまり、本業声優とは違う存在と見たい。
さて、第1話。何人かのキャラが出てきた。原作は最初の数話(?)読んだだけなので、何というキャラなのかは分からない。
それはどうでも良くて、問題は声優さんである。
もちろん、人間であるから、個性は重要である。しかし、あくまでも「キャラクターを演じている」はずである。
他の作品と、単に語尾やキャラクターの絵が違うという程度で良いのか? 別にその人が嫌いというわけではないのだが、「忍者でござる」とそうでない喋りの違い、あるいは当てるキャラクターの違い…だけというのは不可解である。
まあ、わたしが聞き分けられないだけ、とも言えるが、“忍者でない楓”、“熊を操るともはね”にしか見えないのはなぜか。
別に「声色」を使い分けろというわけではないが、喋り方の違いだけ、あるいはまったく喋り方が変わらない人、というのも困りものであろう。
それでもわたしは観続けるわけだが、人気者と言うのも…ねえ?
