原子力爆弾の材料となるプルトニウムが主役の核燃料サイクルは、高速増殖炉 ”もんじゅ”の挫折で、事実上破綻した。核燃料サイクルは、原発の使用済み核燃料を再処理して、取り出したプルトニウムを再び発電に使うことが出来る為、資源の少ない日本にとって夢のシステムになる筈であった。
もんじゅは、1968年に予備設計が始まり、1994年に初臨界を経験し大成功と思われたが、翌年にナトリウム漏れ事故で停止した。その後核燃料の交換装置が原子炉容器内に落下する事故もあった。杜撰な事故であったため、文科省所管の日本原子力研究開発機構の管理能力が疑問視された。
初臨界以降20年余り、その間稼働は計250日で、2016年末に廃炉が決まった。余りにも問題が多く、にっちもさっちも行かなくなった結果だ。
廃炉の決定は、高速増殖炉計画自身の破綻ばかりでなく、核燃料サイクルの破綻を意味するため、影響は果てしなく大きい。これまで貯め込んできたプルトニウムの後処理問題、廃炉に伴って生ずる放射性廃棄物の処分地問題、等の他、燃料サイクルの破綻に伴う、青森県6か所村でほぼ出来上がった再処理工場の運営問題や2022年度上期竣工予定のMOX燃料工場の今後の計画問題、強いては青森県の地域振興問題等、果てしなく広がる。
これまでに費やしたもんじゅの研究・開発経費は、今年5月の会計検査院報告によれば、1971年~2016年で、1.1兆円だったそうだ。一方、性能試験開始以降の技術成果の達成度は当初の目標の16%にとどまっていたという。何ともいい加減な管理・運営であったのか。
しかし、もんじゅの問題はこれで幕が下りたと言う訳にはいかない。原発には必ず負の遺産が付きまとう。原子力規制委員会は今年3月の定例会で廃炉計画を認可した。工程は2047年度までで、費用は約3750億円と見積もられる。
核燃料の取り出しは今年7月より始まる筈であったが、燃料を取り出す設備に不具合が見つかり、年内に100体の燃料を取り出す計画の見直しを迫られているとの報道が7月末あった。8月中現在どのような状況にあるか不明である。
確か、以前原子力規制委員会はもんじゅ運営を日本原子力研究開発機構に任せられないと進言していたはずであるが、この機構が相変わらず音頭をとっているようである。人材不足で代わる人材が見つからないのであろう。このままでは、工程が延び、廃炉費用3750億円をはるかに超える可能性がある。
高速増殖炉計画は、多額の費用を投じた挙句、莫大な負の遺産を残してなぜ失敗したか、色々議論されている。
1955年~1973年日本の実質経済成長率は年平均10%を超え正に経済成長が著しい日本であったが、技術的には物まね・改良の時代であった。
高速増殖炉は1980年代まで、ウラン燃料の有効利用促進のため原発先進国では積極的な開発が進められてきた。当時日本は世界の先進国に追い付き追い越せの時代でもあり、日本も遅れまいと後追いをした背景もあるだろう。
1990年代には高速増殖炉の開発はその技術的困難さから停止状態となり、フランスを除く欧州各国は高速炉の開発を中止した。その後各国は技術の難しさから開発を中断したが、日本には昔から努力すれば必ず報われるとする特攻精神が根付いている。第2次世界大戦でも、周りの状況をよく分析せずに、いざというときには神風が吹くと、無謀な戦争に突入した。
政府は今もって核燃料サイクルの夢から覚めず、高速増殖炉計画を存続させたいようであるが、再び日の目を見ることは無いだろう。最大の理由は人材不足である。当初開発に携わっていた研究者はみんなリタイアしてしまい、電力会社やメーカーから出向してくるのは未経験者ばかりで、廃炉ですら覚束ない。世界的に見放された高速増殖炉に関しては若手研究者も尻込み状態であろう。笛吹けど誰も踊らない。2018.08.15(犬賀 大好-468)
もんじゅは、1968年に予備設計が始まり、1994年に初臨界を経験し大成功と思われたが、翌年にナトリウム漏れ事故で停止した。その後核燃料の交換装置が原子炉容器内に落下する事故もあった。杜撰な事故であったため、文科省所管の日本原子力研究開発機構の管理能力が疑問視された。
初臨界以降20年余り、その間稼働は計250日で、2016年末に廃炉が決まった。余りにも問題が多く、にっちもさっちも行かなくなった結果だ。
廃炉の決定は、高速増殖炉計画自身の破綻ばかりでなく、核燃料サイクルの破綻を意味するため、影響は果てしなく大きい。これまで貯め込んできたプルトニウムの後処理問題、廃炉に伴って生ずる放射性廃棄物の処分地問題、等の他、燃料サイクルの破綻に伴う、青森県6か所村でほぼ出来上がった再処理工場の運営問題や2022年度上期竣工予定のMOX燃料工場の今後の計画問題、強いては青森県の地域振興問題等、果てしなく広がる。
これまでに費やしたもんじゅの研究・開発経費は、今年5月の会計検査院報告によれば、1971年~2016年で、1.1兆円だったそうだ。一方、性能試験開始以降の技術成果の達成度は当初の目標の16%にとどまっていたという。何ともいい加減な管理・運営であったのか。
しかし、もんじゅの問題はこれで幕が下りたと言う訳にはいかない。原発には必ず負の遺産が付きまとう。原子力規制委員会は今年3月の定例会で廃炉計画を認可した。工程は2047年度までで、費用は約3750億円と見積もられる。
核燃料の取り出しは今年7月より始まる筈であったが、燃料を取り出す設備に不具合が見つかり、年内に100体の燃料を取り出す計画の見直しを迫られているとの報道が7月末あった。8月中現在どのような状況にあるか不明である。
確か、以前原子力規制委員会はもんじゅ運営を日本原子力研究開発機構に任せられないと進言していたはずであるが、この機構が相変わらず音頭をとっているようである。人材不足で代わる人材が見つからないのであろう。このままでは、工程が延び、廃炉費用3750億円をはるかに超える可能性がある。
高速増殖炉計画は、多額の費用を投じた挙句、莫大な負の遺産を残してなぜ失敗したか、色々議論されている。
1955年~1973年日本の実質経済成長率は年平均10%を超え正に経済成長が著しい日本であったが、技術的には物まね・改良の時代であった。
高速増殖炉は1980年代まで、ウラン燃料の有効利用促進のため原発先進国では積極的な開発が進められてきた。当時日本は世界の先進国に追い付き追い越せの時代でもあり、日本も遅れまいと後追いをした背景もあるだろう。
1990年代には高速増殖炉の開発はその技術的困難さから停止状態となり、フランスを除く欧州各国は高速炉の開発を中止した。その後各国は技術の難しさから開発を中断したが、日本には昔から努力すれば必ず報われるとする特攻精神が根付いている。第2次世界大戦でも、周りの状況をよく分析せずに、いざというときには神風が吹くと、無謀な戦争に突入した。
政府は今もって核燃料サイクルの夢から覚めず、高速増殖炉計画を存続させたいようであるが、再び日の目を見ることは無いだろう。最大の理由は人材不足である。当初開発に携わっていた研究者はみんなリタイアしてしまい、電力会社やメーカーから出向してくるのは未経験者ばかりで、廃炉ですら覚束ない。世界的に見放された高速増殖炉に関しては若手研究者も尻込み状態であろう。笛吹けど誰も踊らない。2018.08.15(犬賀 大好-468)