日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

日大田中理事長の退陣は来春の受験者数で決まる?

2018年08月25日 16時52分41秒 | 日々雑感
 田中英壽日本大学の理事長は、アメリカンフットボールにおける危険タックル問題や、チアリーディグ部におけるパワハラ問題で、学生に対する日大の執行部の教育姿勢が問われているのに、公の記者会見を一切せず、だんまりを決め込んでいる。

 日本大学は来年に創立130周年を迎える歴史と伝統のある国内最大規模の総合大学で、卒業生は約114万人を数え、現在も多くの卒業生が国内外の多種多様な分野で活躍していることを大いに誇りとしている、と理事長が語っているように、2016年5月時点での生徒数70,677人であり、日本の大学全体で第1位の超マンモス校である。

 これだけのマンモス組織を作り上げたのには、田中理事長の手腕によるところが大きいと思われる。しかし、学生時代に相撲部で輝かしい成績を収めているのに対し、その後の活躍は相撲と同様な力によるところが大きく、余り威張れたものでは無い。

 田中氏は、1969年日本大学経済学部経済学科を卒業し、日本大学農獣医学部体育助手兼相撲部コーチに就任した。

 1968年と言えば、日大が東京国税局から脱税を摘発され、約20億円もの巨額な使途不明金が発覚した年である。1968~1970年は大学紛争の時期でもあり、これに怒った学生は大学に抗議し日大全共闘が結成され、やがて各学部の校舎をバリケード封鎖することになった。

 日大全共闘は大学側に全理事の退陣、経理の全面公開、不当処分白紙撤回、集会の自由、などを求めて徹底抗戦した。しかし大学側は警視庁機動隊を導入して学生を厳しく取り締まり、多くの逮捕者を出した。また、機動隊ばかりでなく、右翼団体や体育会まで動員し、死傷者まで出すことになった。

 この体育会には相撲部員だった田中英寿・現日大理事長がいたそうだ。田中氏は相撲部では大活躍をしていたとのことで、学生を威圧するのには充分な体躯と体力であったであろう。

 大学紛争で学校は荒れたが、その後の立て直しの功績が認められたのであろう、1999年に学校法人日本大学理事となり、2008年より理事長となった。

 理事長メッセージによれば、教育目的は、日本精神にもとづき道統をたっとび、自主創造の気風をやしなう、としている。 日本精神にもとづき道統をたっとぶとは、何のことか分からないが、語感からは右翼的な考えが基にあることは確かである。

 自主創造とは自分で考え・学び、主体的に判断して課題を克服していくことだそうだが、先の運動部の問題においても、当事者の2名は主体的に判断したとは到底思えない。ここで言う主体的判断とは、上の命令を自らの判断で忠実に実行することであり、結果を上の責任としないことかも知れない。

 日大の教職員組合も、執行部の即時退陣を要求しているが、一向に怯む様子がない。日大の体育会の運動部の中で、7月末2人の部長がクビになったそうだ。田中理事長の辞任を求める日大教職員組合の要望書に賛同し、署名したことに対する報復人事と勘繰られているそうだ。

 田中氏の10年間に及ぶ理事長としての辣腕は隅々まで行き届いていることだろう。例え田中氏が理事長を辞任してもその影響力は簡単には無くせないだろう。解雇されたアメフト部の内田前監督やチア部の女性前監督も、ほとぼりの覚めるのを待って、復帰させるとの噂もあるようだ。

 田中氏は、大学紛争の時と同様に今回の不祥事を収束させるつもりのようであり、ますます闘志を燃やしているのかも知れない。

 しかし大学紛争時とは異なり、今は少子化時代である。来年春の受験シーズンに日大にどのくらいの受験生が押し寄せるかが、日大改革の鍵を握っている。激減となれば、改革は避けられない。それまで待つしかない。2018.08.25(犬賀 大好-471)