4月3日(日) のち
夕方から小雨降る。しずかなきりさめのようだが、 土は確実に濡れている。ありがたい雨だ。
この何日も雨はなく、畑は乾き気味。よい雨だなあと思いながら、集落の総会に出ていた。
順番なのはわかっているのだが、今年から、役に就かざるを得なくなった。集落で、歳を重ねるとは。、こう云うことで、集落の役に就かざるを得なくなる。それはそれで、よしとしよう。私たちが、生き、暮らしている場で、福島は(あえて、福島と云い続けなくてはならない)、生存を拒むような数値を吐き出し続けている。
1986年。この年は、何だったのか。少なくとも、私は、若かった。それだけしか、確かなことはない。何をしていたんだろう。少なくとも、その後の数年間は、チェルノブイリの写真展など、 外に発信するぐらいなことは、やっていたとは思う。しかし、
それも、時が流れ、日常が、異常をおおいつくし、 静かに、忘れさせてくれた。いつしか、私は、ユキの乳のことなど忘れてしまい、けだるくいえのなかにかえると、 テレビのなすがままに、一日を過ごし、それだけが、楽しみのごとく、日々を送り続けていた。
頭の中は、真っ白だ。25年は、何だったのか。
だけど、しつこく、生きつずける。私は、そういう云う人間なのだ。