本の帯によれば、臨床心理士(公認心理師でもある)東畑開人氏の、はじめての新書らしい。
臨床心理士の著作であるが、タイトルの言葉は「聴く」ではなく「聞く」である。書き間違いではない。
ここが大切なところ。
私の関心領域のなかで、オープンダイアローグや哲学カフェなどと、大きな輪をかたちづくる重要な書物であった、と言っていい。
【聴くではなく聞く】
ブックカバーの裏に次のように記される。
「「聞く」は声が耳に入ってくることで、「聴く」は声に耳を傾けること―。「聴くのほうがむずかしそうに見えて、実は「聞く」のほうがむずかしい。「聞く」の不全が社会を覆ういまこそ「聞く」を再起動しなければならない。そのためには、それを支える「聞いてもらう」との循環が必要だ。小手先の技術から本質まで、読んだそばからコミュニケーションが変わる、革新的な一冊。」
なるほど、これは実に役に立つ「ハウツーもの」の実用書に違いない。
しかし、この書物はある「本質」を言い当てている、と私は思う。いわゆる実用書ではない。
さて、福祉的な相談だとか、臨床心理のカウンセリングだとかでは、「聴く」ことの重要性が語られる。「傾聴」である。私もそう学んで来たし、傾聴が大切なことはいうまでもない。
東畑氏も、傾聴の重要性を学び、現在でも尊重していることは間違いない。
「実を言えば、僕はずっと「聴く」のほうが難しいというか。レベルが高いと思っていたんです。
僕が専門にしている臨床心理学では「聴く」という言葉のほうがよく使われます。レジェンド臨床心理学者である河合隼雄も『こころの声を聴く』とか「読む力・聴く力」という本を出しています。
ですから、「聞く」は素人でもできる当たり前のことで、「聴く」こそが専門家の高度な仕事なのだと、僕は思っていました。カウンセラーは語られている言葉の奥底に隠れた思いを聴かねばならぬのだ、と。」(p.8)
その直前には、こうも書いている。
「ぼくなりに定義するならば、「聞く」は語られていることを言葉通りに受け止めること、「聴く」は語られていることの裏にある気持ちに触れること。」(p.8)
しかし、次のような顛末となる。
「浅はかでした。
どう考えたって、「聴く」よりも「聞く」のほうが難しい。」(p.9)
【聞くと聴く、あるいは専門家の役割】
ここでちょっと茶々を入れておけば、「聴く」ことが毎度毎度その裏とか深層とかを探ることなのだ、というのはちょっと違っていて、むしろまずは「語られていることを言葉通りに受け止めること」であるはずである。人は日常会話ではよく、自分に都合のいいところとか、気になるところだけかすめ聞いて、相手の話に割り込んで言葉を返すことをしている。あるいは、相手の言葉など聞かずに、自分の言いたいことだけ言っている。会話と言いながら、実はお互いに一方通行で言いたいことだけ言い合っているなどというケースも多い。「聞いていない」のである。
今、こんなことを言うと、ポリティカル・コレクトネス的にまずいのかもしれないけど、ものの本を読むと、世のおばさま方が、カフェでランチなど召し上がりながら、会話しているように見えつつ、実は各々が語りたいことだけ語って相手の言うことなど聞いておらず、他の人が語り終えたタイミングで間髪を入れずその応答ではなく、全く別の自分が語りたいエピソードを語り始める、などという情景描写もよく目にするところである。だれも、他の人の語る内容など聞いていないというわけである。
あえて聞く側に立つ専門家でもなければ、人の話を聞くなどという面倒なことはするわけがない、ということになるのだろうか。
だから、聞く側に立つ専門家が必要とされる。素直に「語られていることを言葉通りに受け止める」専門家が必要とされるのだ、と。
それが傾聴である。専門家の役割として、普通とは違う「聴」の字を使うわけである。
専門家とは、余計な幻惑に惑わされずに素直になれる人々のことを言う、のかもしれない。
そこで、じっくり聞く=聴くことの結果として、表面的な言葉の裏に潜む深層の心理に気づけることもある、という成り行きである。
あ、だから、つまり、現代社会においては、日常生活において「聞く」ことの不全に陥っている、というのが東畑氏の主張である。
「…相手は心の奥底にある気持ちを知ってほしいのではなく、ちゃんと言葉にしているのだから、とりあえずそれだけでも受け取ってほしいと願っています。
言っていることを真に受けてほしい」(p.10)
(ところで、私が茶々を入れたというのは、話の進め方をちょっと違う風にしてみたと言うだけのことで、氏の論旨にはむしろ添っているというべきであろう。あるいは、小余計な言い換えに過ぎないか。)
【聞くための秘訣】
氏が「聞く」ことの大切さに思い当たったのは、朝日新聞の連載を書いているときだったという。
「…2020年に朝日新聞で「社会季評」を連載するようになってからです。…社会を見てみると「聞く」の不全ばかりが目につきました。…
ですから、「対話が大事」と至るところで語られていたわけですが、僕の目から、見る限り、対話はうまくいっていませんでした。
言葉と言葉は岩石のようにぶつけ合うものになっていました。硬くて強い言葉が投げつけられ、お互いを傷つけあう。」(p.12)
「なぜ話を聞けなくなり、どうすれば話を聞けるようになるのか。…
これがこの本のテーマです。
…実はこれが案外、本には書かれていないんです。」(p.16~17)
なるほど、確かにそうかもしれない。ふつうの「聞く」についての本などなかったかもしれない。
氏によれば、この本は3種類の文章からできているという。ひとつめは「小手先編」と称する実用的なマニュアルであり、ふたつめは朝日新聞に掲載した「社会時評」の転載、3つめは、その「背景にあったアイディアをカウンセラー目線でわかりやすく解説した」書き下ろしの文章らしい。(p.20)
そこでまず、小手先の12箇条を列記してみると、
「1 時間と場所を決めてもらおう
2 眉毛にしゃべらせよう
3 正直でいよう
4 沈黙に強くなろう
5 返事は遅く
6 七色の相槌
7 奥義オウム返し
8 気持ちと事実をセットに
9 「わからない」を使う
10傷つけないことばを考えよう
11なにも思い浮かばないときは質問しよう
12また会おう」(p.25)
このあと、もちろん、12箇条の各々について詳しい説明があり、関係する「社会季評」が続き、その解説が縷々述べられるということになる。それが、何章か繰り返される。
そして、話を「聞く」ための秘訣であるが、それは、
「まずは聞いてもらう、から始めよう。」(p.46)
ということらしい。
これは、ネタばらしである。しかし、このネタはばらされたからといってすぐなるほどそうだったか、と膝を打って分かってしまうという類いのものではない。ますます謎が深まるという類いのネタであって、つまりは、直接この本を読んでみたいと思わされるようなネタばらしであるから許されるものと思う。
【聞くという当たり前の神秘】
氏は、あとがきにこう記す。
「うんと若い頃、心理士という仕事をどこかで魔法使いと重ねていました。…もちろん、それは神秘の仕事なんかではありませんでした。…それでも、今でもひとつだけ、神秘的に思えることがあります。「聞くことの力」です。…ふしぎじゃないか。どうして聞いてもらうだけで気が軽くなるのか。…魔法みたいではないか。…重要なことは、孤独じゃないときには誰もが知っている、この当たり前の神秘を覚えておくことのはずです。
そのために、この本は書かれました。」(p.241~244)
この本は、私の関心領域のなかで、オープンダイアローグ、リフレクティング、哲学カフェとつながる大きな環をなす、とても重要な書物である。
そして、次に紹介する「ふつうの相談」もまた、非常に重要な書物である。
私として、東畑開人氏は、いま、まさに読まれるべき著者である、と言いたい。
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