ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

新川和江詩集 現代詩文庫 思潮社

2021-07-24 16:30:24 | エッセイ
 この詩集については、読み始めて間もなく、「新川和江と大豆田とわ子」というエッセイを書いて、このブログに載せているので、もはや詩集の紹介としては書かなくてもいいのかもしれないが、そちらで紹介した「私を束ねないで」などを除く作品をいくつか紹介しておきたい。
 たとえば、「比喩でなく」(43ページ)。
 1行目は、「水蜜桃が熟して落ちる 愛のように」で始まる。
 そして、

「おお
 比喩でなく
 わたしは 愛を
 愛そのものを探していたのだが」(第2連)

「愛は 水蜜桃からしたたり落ちる甘い雫
 …(中略)…

 私の口を唇でふさぎ
 あのひとはわたしを抱いた
 公園の闇 匂う木の葉 迸る噴水
 なにもかも愛のようだった なにもかも
 その上を時間が流れた 時間だけが
 たしかな鋭い刃を持っていて わたしの頬に血が流させた」(第5連~最終第6連)

 比喩でなく,と言いながら比喩に満ちている詩だが、そうだな、映画「ツィゴイネルワイゼン」で、大楠道代が慈しむように頬張った桃は、この水蜜桃だったに違いないと思わせるような甘く濃密でエロティックなシーンである。
また、たとえば、「歌」。(73ページ)

「はじめての子を持ったとき
 女のくちびるから
 ひとりでに漏れ出す歌は
 この世でいちばん優しい歌だ」(第一蓮)

 考えてみれば、子を持つということこそ、最も性的な出来事である。
13編の詩編からなる連作「土へのオード13」(75ページ)も、また、性的な詩である。死もまた、性的な出来事であることは言うまでもない。
冒頭の「1」は次のように始まる。

「――死は 熟したか

 ――いいえ、わたしの死は まだ青い
   まだ痩せている まだ貧しい

 ――しだらなく寝そべっているのか 時は
   死のほとりに

 ――いいえ 時は忠実(まめ)な農夫
   いっしんに耕している
   わたしの中の 未墾の土地を

 ――何を蒔くのか

 ――土が
   答えてくれる限りの質問を
   穀物 豆 蔬菜 果実 花卉 パピルス
   牧草 羊歯 蔓草 葦 蕎木灌木
   …
   また良質の水の湧く陽当たりのよい土地には
   敏感な感受性と美しい肉体を持つ人間の種子を」

 土は耕されるものとして、待機している。女が男に耕されることを待つように。
 最後に収められた解説「豊かな死の戯れ・および補足」において、詩人高橋睦郎は、新川和江は女流詩人であると語る。

「かつて新川和江は、そのころまだ少年だった私に言ったことがある。「死ぬってこと考えるとほんとうに豊かな気持ちになるわ。だって、眠って、眠って、眠り続けることができるんですもの。
 …
 おどろいて見なおした新川和江の,自然そのもののようにそこにあり、大地の表情そのもののように微笑しているありように、私は新川和江という具体をとおりぬけて,女性という抽象、さらにその女性さえもとおりぬけて、悠久の宇宙さえ見る思いがした。」(131ページ)

 高橋睦郎は、新川和江の姿にギリシャの大理石の彫刻の女神を、見ていたのだろうか?いや、もっと何かなまめかしいものだろう。

「私は原始古代以来の、女神と男神の渝(かわ)ることのないパタンを思い出さないわけにはいかなかった。つまり、女は大地母神であり、男はその大地から生え出た植物の精霊にすぎないという、あの不変のパタンを。
 女性は本来、宇宙そのものである。…」(132ページ)

 ここで、高橋は、自らを「大地母神から生え出た植物の精霊に過ぎない」と語っているのだろうか?その「不変のパタン」は、自らをも貫いているものなのだろうか?ま、これは余談になる。
 さて、1975年から2021年と、半世紀近く過ぎようとする今、下記のような箇所は、どのように読まれるのだろうか。

「自己自身が他者である幸福を、しかし、当今の女性はみずから望んで捨てようとしているように見える。かの女たちは、男性たちと同等であろうと主張する。幸福が好んで不幸と同等になろうと望むとは!」(132ページ)

「新川和江は、決して男性詩人と同等であろうなどとは思わない。…
 新川和江は、その最初の登場から女流詩人であることの恩寵につつまれていた」(132ページ)

 新川和江が、女流詩人としての恩寵につつまれていたことについては、完全に同意したい。この詩集の読書は、思いのほか、濃密に官能的な体験であった。
 「私を束ねないで」という詩は、無味乾燥な抽象的中性的人間としてではなく、女性である人間として誇りを持って書いた詩であった、と再確認しておくべきかもしれない。もっとも、だれも無味乾燥だなどとは言っていないはずではある。
 本文最後に置かれた「始発駅まで」、昭和4年の出生から書き起こす半生記であるが、女学生の頃の、師・西条八十との最初の出会いからして、豊かな感情的出来事と見える。



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