〈編集後記〉
◆昨年十月に、川戸富之さんが逝去されたとのこと。私もだが、西城さんはじめ他の同人のみなさんも一度もお会いしたことはないはずである。岩手県北の葛巻町の方。平成元年九月の第二〇号から入会、二五号でいったん脱会、三八号から復帰。八十号のあと、第二期として再出発の際、脱会されたが、詩を書き続ける意欲旺盛で、西城さんにお便りを寄せられ、平成一八年の第二期第五号から再入会された。第二期四〇号を経て、号数を通算に数え直した一二一号から一二八号まで、平成元年に三一歳だったとのことで私より一歳下だろうか、ほぼ平成の時代を霧笛とともに歩まれたことになる。霧笛に寄せられた作品を見るに、川戸さんは独特の詩の世界を生きた、ということになるのだろう。
◆熊本吉雄さん、前回お休みだったが、復活。寛野泰子さんはまだ復帰ならず。遠藤誠司くんは、次号に復帰ない場合は、脱会扱いとしたいと思う。
◆及川良子さんの「南風よ吹けこの島に」は前号のものに手を入れて再掲。この推敲ぶりは詩に向き合う真摯な姿勢の表れであろう。
◆一月二八日月曜日、気仙沼文化協会の新春懇談会にて、会員から三団体、活動紹介。今年は「霧笛の会」も順番にあたり、西城代表が霧笛創刊以来三〇年以上にわたり市内唯一の詩の同人誌として継続してきたことなどを報告。併せて、最新の一二八号から、及川良子さん、畠山幸さんと自身の詩を朗読された。
他の二団体は、気仙沼天文研究会と気仙沼演劇塾うを座で、実はうを座のスタッフとして、私も出席、発足以来の経過、震災後の状況など紹介した。
蔵王町にて、加川広重氏の巨大絵画の前で、私の詩集「湾Ⅲ2011~14」から、第一八共徳丸など震災関係の詩篇七編を、妻・真紀とふたりで朗読してきた話題は前号後記に触れたが、懇談会の打合せの際に、可能であれば、とお話ししたところ、文化協会の役員さん方から快く許可をいただき、番外編のように霧笛とうを座を兼ねた形で朗読した。二月二日の地元紙三陸新報のコラム「萬有流転」で懇談会の模様を紹介された中で、私たちの朗読に「会場は静まり返り、それぞれの震災を重ねるように聞き入った」と書いていただいた。私としても会場の反応に大きな手応えは感じていたところであるが有難いことであった。
◆三月九日には、南町ボルセッタ・イシカワの石川尚美さんの企画によるイベントで、同じく「湾Ⅲ」から四編の詩を朗読する機会もいただいた。前回の前半の「水」「半分はもとのまま」「水と月」に、「波」を加えた四編である。ある方から、同日の面瀬公民館でのコンサートで、同じく「波」を朗読したいという申し出もいただいた。たいへんに有難いことであり、驚きでもある。間もなく今年も三月一一日を迎えるが、真紀と私と二人で震災の詩を朗読する形が市内外問わず継続できればこの上ないことである。なおさらに、私たち以外の方々に朗読いただける、語り継いでいただけるなどということは望外のことである。
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