なにか、こなれないタイトルである。英文の直訳みたいな、ネイティブな日本語話者ならつけないようなタイトル。あえて名づけたタイトルなのではあろう。
しかし、一読して、この「者たち」とは誰のことであるかわからない。いったい、何を語ろうとするのか、何をテーマに語ろうとする本なのか分からない。
この奇妙なタイトルの謎、表紙カバーに描かれた夜空に浮かぶ羊の頭のみの塑像の謎めいた絵柄もあいまって、その謎に掴まれて、何かわくわくするような期待感を抱かせる。可笑しなことを言っているかもしれないが。
もっとも、この本は、新聞に書評が出てから買ったので、実際には、何について書いてあるかは知っていて読み始めてはいるわけだ。
読み始めてみると、なんだろう、読んでいることが楽しいたぐいの本だった。ひとつには、アメリカの出版事情についての知らない情報を、つぎつぎと知らされる楽しみというのはあると思う。
著者辛島デイヴィッドは、1979年、東京生まれの作家、翻訳家で、早稲田大学国際教養学部準教授とのこと。
裏表紙のカバーに、こうある。
「翻訳家アルフレッド・バーンバウム、ジェイ・ルービン、編集者エルマー・ルーク、リンダ・アッシャー、ゲイリー・フィスケットジョン、クリストファー・マクレホーズ、装丁家チップ・キッド…
『ねじまき鳥クロニクル』での世界へのブレイクスルーまでの道のりを後押しした、個性あふれる30余名の人々との対話、そして村上本人へのインタビューをもとに、世界的作家Haruki Murakamiが生まれるまでのストーリーを追う。」
日本語話者が直接に村上作品を読んでいる限りは出会うことがないが、翻訳という形で他の言語の使用者が村上春樹を読む、というとき、直接には、村上の書いたものを読んでいるのではなく、翻訳された言語の文章を読んでいる。その言語を書いた翻訳家の文章を読んでいるわけである。
翻訳家だけでなく、翻訳書を生み出す際に役割を果たした編集者ら出版業界の人びととを併せ、われわれが、それとは明確に意識しないまま読んでしまっている人びと。(この本を読むと、実は、編集者も翻訳の言葉自体に手を加えているケースが多いようである。)
これが、タイトルの意味である。
この際の言語は英語で、厳密にいえば、米語というべきかもしれないが、まずは、アメリカ、ニューヨークに打って出て、そこから、イギリスを含む他の国々に拡がっていく、そのアメリカへの受容を描く、というか、そのプロセスを実際に能動的に進めた人びとの物語である。
村上春樹は決して自動的に世界に受け入れられたわけではなく、そこには、村上本人以外の、能動的に行動する人々が複数いた、それらのひとびとなしには、世界への拡がりはなかった、そういうドラマ。具体的なプロセスがあって、その中でひとつでも歯車が違っていれば、今の事態はなかった、というような。
それらの人びとは、翻訳家であるとか、編集者であるとか、役割をきちんと果たす有能な人びとでありつつ、しかし、それぞれのバックグラウンドがあり、ライフ・ヒストリーがあり、なんというか、村上春樹の小説に出会うべくして出会った特別の事情を抱え込んだ人びとでもあった。そういう特別の人びととの出会いなしに、村上春樹ならぬHaruki Murakamiは生まれなかったに違いない。
つまり、わくわくするドラマを読ませてもらった、というわけである。
たとえば、最初の翻訳者であるアルフレッド・バーンバウムは、親の仕事の都合で5歳から日本に住んだというが、こんなことを語っている。
「幼少期に日本語に触れていなければ、違う人間になっていたわけだから、村上春樹を訳すこともおそらくなかっただろう。大人になってから「勉強」した言語ではなく、ある程度自然に見に付いた言葉であることも翻訳をする上でプラスになったと思う。日本語に変なコンプレックスがなかったから、必要に応じて原文とうまく距離を取り、訳文に集中することができたからね。」(11ページ)
幼少期から日本に住んだというところから始まって、その後の経過も含め、相当に独特の経歴というべきだろう。
本文の一番最後は、村上春樹の語った次の言葉である。
「…面白いのは、僕がアメリカにいた頃、まだ僕の小説が[英語圏などで]売れない頃は、音楽なんかは翻訳がいらないから、坂本龍一とかが受け入れられてうらやましく思っていた。でも、文章は時間がかかるけど、しっかり残る。それは翻訳の力が大きいんですね。そしてそうなるにはある程度のカサが必要なんです。だから一冊二冊売れておしまい、というのではどうしようもない。積み上げていって、それがその全体として、ある種の世界として残るというのは、すごく大事なことなんです。…」(351ページ)
村上春樹の作品が、世界に受け入れられ、しっかりと残っていくであろう、現時点でそう言って構わないと思うが、一冊二冊にとどまらず積み上げたそのプロセスを、丹念に取材し、インタビューを行い、まとめあげた報告である。そこで役割を果たした人びとを、いきいきと描いた人間のドラマであると言っていいのだと思う。
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