精神科看護分野の専門誌『精神看護』、5月号の特集は、「教えて先輩! 看護って何? 現場のどうしよう、困ったを解消する看護理論【退院に至る道】編」ということで、これはこれで大変興味深い内容であったし、他の連載等も読みごたえあるものであったが、今回、購入したのは、斎藤環氏によるオープンダイアローグについての読書会が紹介されているからである。取り上げているのは、ヤーコ・セイックラとトム・アーンキルによる『開かれた対話と未来』、実は齋藤氏自身の監訳である。
読書会の副題は「専門職はオープンダイアローグにどうかかわったらよいか」、今号は3回連載の初回、まずは、齋藤氏による「精神科医療にとっての革命性とは」と題した解説から始まる。
『精神看護』は、2018年3月号「オープンダイアローグ対話実践のガイドライン」以来の購入で、その号はこのブログに紹介済である。ところで、19年1月号の特集は「オープンダイアローグと中動態の世界」だったのか(医学書院のHPでは品切れ中のようである)。これは、東大駒場を会場に開催されたシンポジウムの際の哲学者國分功一郎氏と齋藤環氏の講演の記録であるとのこと、実は私は、そのシンポジウムの現場に足を運んで実際に聴いており、その感想も、このブログに掲載している。
さて、今号の読書会の報告第1回、第1節目は「オープンダイアローグの特徴——技巧的ではない工夫の重なり」。
オープンダイアローグという方法については、斎藤氏は、全面的に評価し、もちろん、自ら実践し、推進する立場の先頭に立っている。この方法が臨床において驚くべき効果を生み出すのだという。
「これだけ効果的な手法を臨床でやらないというなら「なぜ自分はあえてオープンダイアローグをしないのか」という理由を考えていただく方がよいのでは、と思うくらいです。」(230ページ)
第1節では、「特徴その1:リフレクティング——クライアントの話をクライアントの前でする」から「特徴その8:専門知の発揮はリフレクティングで。余白のなかでクライアントは主体性を回復する」まで分かりやすく納得し得る解説が記されている。
ここを読んでいくと、この節の副題である〈技巧的ではない工夫の重なり〉というところに、オープンダイアローグのひとつの眼目があるようである。(レヴィ=ストロースのいうブリコラージュを連想させるところもある。)
少しピックアップして紹介すれば、「特徴その4:クライアントや家族を変えようとしない。治療を目指さず、とにかく続くように対話していく」では、
「変えようとしないからこそ変化が起きる。
…(中略)…
ただひたすら対話を続けていく。できれば対話を深めたり広げたりして、とにかく続いていくことを大事にする。そうすると一種の副産物、“オマケ”として、勝手に変化(≒改善、治癒)が起こってしまう。簡単に言えば、そういう逆説的な過程です。」(232ページ)
合目的的に治療方針を掲げて、そちらに向けて変化を起こそうとして技法を精緻に組み立てていく、というようなことではないのだという。対話の継続自体を目的とするかのように対話を続けていくと、オマケのように効果が表れてくるのだという。
これは確かに、狐に鼻をつままれたような、煙に巻かれたような話ではある。
特徴その6は「ミーティングとミーティングの間に変化がおきる」と題し、
「…オープンダイアローグでは、「ミーティングとミーティングの間に変化がおきる」…(中略)…継続している限りは、対話と対話のはざまでもオープンダイアローグの作用は続いていきます。
このように、オープンダイアローグの場合は、結論を出さなくてもいいんです。」(233ページ)
ケースの検討会議などをしていると、その回その回の結論は出さないといけないとか、あるいは極端に言えば、ケースに対して前向きの課題を課さないといけないとか思いがちであるけれども、そうではないのだと。なにか言いっ放しで終わってしまったとしか思えなくても、なんらかの効果は出ている、次の機会にまた集まったら事態は好転していたということがあるのだという。
特徴その7の「コントロールを手放す。楽観主義」では、
「誰かが正しいことを言い出したり、誰かが客観性とか言い出したりすると、対話はそれで終わってしまいかねません。対話が終わらないようにもっていくことが大事なんです。対話が終わりさえしなければ、だいたいのことは解決に傾いていくと考えるという意味で、対話というものに対する非常に厚い信頼があります。」(234ページ)
専門家は、えてして客観的な正しい言説でその場を取り仕切ろうとするが、それは逆効果であるらしい。
ま、ここでいくつかピックアップして紹介するというよりは、直接、8つの特徴を読んでいただいた方がいいわけではあるが、いずれ、専門的な技法(薬を含む)で、患者をコントロールして治療するという一般的な医学のイメージとは別のものがあるわけである。
もちろん、ふつうの医学というものも、医師が技術をもって病気を駆除するというよりは、患者の自己治癒力をうまく引き出して治癒に持っていく技法であるのだとすれば、大枠としては同じようなことにはなるのだろう。(一方では、名外科医の超絶技巧などというのも否定してはいけないのだろうが。)
第2節は「個人の尊厳を守る実践例」、第3節は「医療的な誤解を正す」、第4節「事例紹介——これらをどう捉えるか」では4つの事例を挙げている。うつのケース、統合失調症慢性期のケース、妄想、攻撃性のあったケース、引きこもりのケースである。
どれも興味深く拝読させていただいた。改めてオープンダイアローグという方法のすばらしさ、画期性について確認できたところである。
次回は、「会場からの質問+リフレクティングを経験して」、3回目は「会場で即興オープンダイアローグ」ということで、続けて読んでみたいと思う。
しかし、さて、とここで嘆息してしまう。
オープンダイアローグについて、ここまで相応に読書を進めてきたわけだが、はたして、私はオープンダイアローグのために何ができるのだろうか?
私もいろいろある、のではあるが、ここでは書かない。
「気ままな哲学カフェ」の再開は進めるべきところで、その場の進行においては、それらの読書は役に立つはずである。集まったメンバーにとって良き場、良き時となることに大いに貢献するはずである。
それと、もうひとつは、こうして読書して紹介するという営みの継続か。
しかし、もっと踏み込んで、日本社会における、あるいは、気仙沼という地域におけるオープンダイアローグの展開に、役割を果たすことができたなら、という思いはくすぶり続けているわけではある。
参考:「ブログ 湾」における関係図書等の紹介
精神看護 2018.3 オープンダイアローグ対話実践のガイドライン 医学書院
「シンポジウム:オープンダイアローグと中動態の世界」について
ヤーコ・セイックラ+トム・アーンキル著 齊藤環監訳 開かれた対話と未来 医学書院
斎藤環 著+訳 オープンダイアローグとは何か 医学書院
斎藤環 オープンダイアローグがひらく精神医療 日本評論社
飢餓陣営セレクション4 「オープンダイアローグ」は本当に使えるのか 言視社
野口裕二 ナラティブと共同性 青土社
ヤーコ・セイックラ/トム・エーリク・アーンキル(著)高木俊介/岡田愛(訳) オープンダイアローグ Dialoge Meetings in Social Networks
ヤーコ・セイックラほか オープンダイアローグを実践する 日本評論社
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