〈編集後記〉
◆前号の日野修さんに続き、畠山幸さんが今号から参加。仙台在住だが、唐桑の出身である。はじめてお会いしてから、二〇年近くなるが、こうして、霧笛の場でご一緒することになるとは想像できなかった。昨今は、短歌に取り組まれていたようだが、詩を書いてみたいと。霧笛も、こうして長く続けていると、地域における文学のプラットフォームのようなものとして機能し始めるのだろう。気仙沼在住というだけでなく、出身という方々も集まる場となってきたわけで、有難いことだ。
◆鹿折唐桑駅前に打ち上げられた第一八共徳丸については、ひとつの決着がついた、解体が確定したようだが、少し前に常山俊明がデッサンを描いて、二枚ほど続けてフェイスブックに上げていた。すぐれた作品だと思った。ぜひ、これを霧笛の表紙に、と思った。通常、表紙について、こちらからはなんらの注文をつけないのだが、今回は、ぜひこれをとお願いした。いまの霧笛にあるべき表紙だ。残念なことに、締め切りを過ぎて若干の作品の出稿を待つ間にいささかの時が経過してしまった。決着がつく前に、世に出したかった。実は打ち合わせたわけではないが、西城さんのエッセイは、共徳丸のことだった。私は、常山の絵に合わせて「置く」という詩を書いた。西城さんは「いつまでもこのような悲しい光景を見せていないで、解体撤去して欲しい。」と書く。私は、書いた通りのことを思っている。賛否両論はあった。現物は姿を消したとしても、ひとびとの記憶には残り続ける。常山俊明のこの表紙絵もまた残る。むしろ、常山のこの絵を媒介に後世に記憶が残されていく、という道筋もあるに違いない、と私は確信している。
◆震災のあとに、霧笛は、第二期の二一号、通算百一号を発行した。ここまですべてが明示的に震災に関わる詩だったわけではない。むしろ、震災の事実を逃れようとする詩もあった。しかし、そういう詩も含めて、霧笛が、気仙沼という現場で発行を続けてきたということ。書いてきたことは、それぞれの個人的なことがらであり、小さな同好のグループの活動であるにすぎない。しかし、この現場において個々の生きてきた、見てきた、経験してきたことを書いてきた。これは記録である。魂の記録、と言っていいのかもしれない。このことは、決して軽々しいことではない、のではないか。ものを書こうとする人間にとって、まさしく「この時」にものを書いてきた。別に誰から頼まれたとか指示されたとかではない、好き勝手ながら自らの使命を果たしてきた。使命を果たす、そういう言い方ができるのではないだろうか。「我書く、故に我在り」とまで言いうるほどに。もちろんそれは、一個の妄想に過ぎないとしても。
◆ということで、今回の表紙は、常山俊明による第一八共徳丸である。見るものに訴える力のあるすぐれた作品だと、私は思う。常山が、南町海岸エースポートにあって流された「港町ブルースの歌碑」の作者であることは言うまでもないことである。
(千田基嗣)
moto-c@k-macs.ne.jp
郵便振替霧笛の会02200-2-24434
表紙・常山俊明(AtoZ)
◆前号の日野修さんに続き、畠山幸さんが今号から参加。仙台在住だが、唐桑の出身である。はじめてお会いしてから、二〇年近くなるが、こうして、霧笛の場でご一緒することになるとは想像できなかった。昨今は、短歌に取り組まれていたようだが、詩を書いてみたいと。霧笛も、こうして長く続けていると、地域における文学のプラットフォームのようなものとして機能し始めるのだろう。気仙沼在住というだけでなく、出身という方々も集まる場となってきたわけで、有難いことだ。
◆鹿折唐桑駅前に打ち上げられた第一八共徳丸については、ひとつの決着がついた、解体が確定したようだが、少し前に常山俊明がデッサンを描いて、二枚ほど続けてフェイスブックに上げていた。すぐれた作品だと思った。ぜひ、これを霧笛の表紙に、と思った。通常、表紙について、こちらからはなんらの注文をつけないのだが、今回は、ぜひこれをとお願いした。いまの霧笛にあるべき表紙だ。残念なことに、締め切りを過ぎて若干の作品の出稿を待つ間にいささかの時が経過してしまった。決着がつく前に、世に出したかった。実は打ち合わせたわけではないが、西城さんのエッセイは、共徳丸のことだった。私は、常山の絵に合わせて「置く」という詩を書いた。西城さんは「いつまでもこのような悲しい光景を見せていないで、解体撤去して欲しい。」と書く。私は、書いた通りのことを思っている。賛否両論はあった。現物は姿を消したとしても、ひとびとの記憶には残り続ける。常山俊明のこの表紙絵もまた残る。むしろ、常山のこの絵を媒介に後世に記憶が残されていく、という道筋もあるに違いない、と私は確信している。
◆震災のあとに、霧笛は、第二期の二一号、通算百一号を発行した。ここまですべてが明示的に震災に関わる詩だったわけではない。むしろ、震災の事実を逃れようとする詩もあった。しかし、そういう詩も含めて、霧笛が、気仙沼という現場で発行を続けてきたということ。書いてきたことは、それぞれの個人的なことがらであり、小さな同好のグループの活動であるにすぎない。しかし、この現場において個々の生きてきた、見てきた、経験してきたことを書いてきた。これは記録である。魂の記録、と言っていいのかもしれない。このことは、決して軽々しいことではない、のではないか。ものを書こうとする人間にとって、まさしく「この時」にものを書いてきた。別に誰から頼まれたとか指示されたとかではない、好き勝手ながら自らの使命を果たしてきた。使命を果たす、そういう言い方ができるのではないだろうか。「我書く、故に我在り」とまで言いうるほどに。もちろんそれは、一個の妄想に過ぎないとしても。
◆ということで、今回の表紙は、常山俊明による第一八共徳丸である。見るものに訴える力のあるすぐれた作品だと、私は思う。常山が、南町海岸エースポートにあって流された「港町ブルースの歌碑」の作者であることは言うまでもないことである。
(千田基嗣)
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表紙・常山俊明(AtoZ)
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