現代詩手帖5月号、特集「大震災のあと、私たちは何を表現するのか」で、原田勇男さん(宮城県詩人会会長)の「鳥の目を持つ」と、秋亜綺羅さんの詩「ちょうちょごっこ」を読むために読み始めた。で、吉増剛造と和合亮一氏の巻頭対談「四辻の棒杭、つぶやきの洞穴」も読んでしまった。
和合亮一氏は、例の福島の詩人だが、吉増剛造は、現在の日本で随一の「神様」。もちろん、現代詩の世界において「神様」なのだが、見渡して今の日本で、吉増剛造以上の神様はいないと思う。カナクギ流の文字で詩を書く。石にひっかいて書きつける、というように。ぼくはあまり読んだことがないが。
それと、もうひとつの特集「吉本隆明ー没後一年」。石関善治郎「『コムデギャルソン論争』の背景」。石関は、マガジンハウスから出ていた詩誌「鳩よ!」の編集長だったと。「鳩よ!」は買っていた。ひょっとすると創刊から終刊まで持っているかもしれない。(本棚を見れば分かること)
吉本隆明が、三十年前、コムデギャルソンを着てアンアンのカラーグラビアを飾ったことは、現在の日本において、巨大な意義を持つものである。
「鳩よ!」と言えば、「モノンクル」という、伊丹十三編集の雑誌もあったな。短い期間だったけど、これは、全巻持っているか。ものぐさ精神分析、唯幻論の、あれ、なんだっけ、岸田秀か、伊丹と岸田の対談をもとにして創刊されたのだったと思う。
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