夏の終わりに訪れて以来
小樽と函館のことを書くつもりでいた
大きなテーマを真正面からはなかなか書けない
具体的な細部を切り取らなくてはならない
その水は濁っている
細い透明なビニールパイプから気泡が吹き込まれ水面に同心円が拡散していく
循環することが水を浄化するという
運河は
小樽のまちの昔の栄光の象徴だ
過去だから美しい
石造の倉庫たちは本来の役割を失ったから
オルゴール屋になったり硝子製品の店になったり博物館になったりレストランになったりレトロでお洒落な酒場になったりする
その店は店自体がアンティックで
古くさい藍の瀬戸物やインドの綿布に占領された店構えの右隅に押し込められた本業の机に座った主人は面倒そうにアンティックを販売する
建築たちは
函館のまちの昔の栄光の象徴だ
過去だから美しい
レンガ造の倉庫たちは本来の役割を失ったから
賑やかなビヤホールになったりショッピングプレイスになったりライブスペイスになったりする
一旦役割を終えた過去が異界との交易港として再生する
このまちには余白がない
岸壁が足りない
倉庫が足りない
土地が足りない
工場が足りない
人口が足りない
シャッターを下ろした商店と敷地の奥の閉じられた石倉は点在するが再生すべき過去が足りない
漁船がひしめきあって
船体の塗装が行われエンジンの修理が行われエンジンの修理が行われ集魚灯の整備が行われ食料や資材の仕込みが行われる出漁準備岸壁が
海の道― 並木の遊歩道・公園・観光施設だとは
前代未聞・唯一無二だが
現に生きているものが再生する黄泉帰るというパラドクスが卓越して美しい
市民だれもが再生を願う過去の遺物ではない利害得失のある経済の現場だ
ぼくは皮肉を言っているのではない
パラドクスを美しく貫徹する明確な意思が必要だと主張する
道標を建てる志が不可欠だ
その突端に名古屋からやって来てバルセロナとかセビリアに飛びたつという鳥が羽を休めるとも伝えられる道標を
案内図は一枚だけ描かれた
白無地のパネルが六枚残されている
現実の漁港を空想の漁港に重ねる例のない試みを成就するには様々な障害が横たわる
既に役割を終えた運河や連絡船埠頭を再生した小樽や函館とは質の違う困難が存在する
パラドクスがこのうえなく美しい
明治以降の日本近代史に位置を占める小樽や函館の蓄積を気仙沼からねたんでひとつ与太を飛ばしついでに気仙沼にもひとつ与太を飛ばす
ひとりの笑いのとれないことばの芸人として
詩集湾Ⅱ 第Ⅴ章 何処へ… より
2015年の注;これが第Ⅴ章の末尾であり、詩集湾Ⅱの最後の一編ということになる。ふるさと創生事業として行われた「海の道」の整備の前に書いたもの。私なりの一個のマニフェストであった。
小樽・函館・気仙沼・横浜・神戸・長崎というのが日本を代表する六大港町である。というのは私のでっち上げだが、でもあながち間違ってもいない、のではないだろうか。ま、そういう心意気で、と。
でも、あれだな、改めて、私の立ち位置みたいなものは、ずっと一貫しているというふうにも言えるな。
実は、第Ⅲ章の「伝説」を飛ばして紹介してきた。ちょっと間をおいてから掲載を始めたい。どちらかというとあまり気仙沼っぽくない部分、そして、第3詩集となる「寓話集」に繋がって来る部分と言えるだろう。
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