ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

リシャール・コラス作 松本百合子訳  波   

2014-06-10 01:37:42 | エッセイ

 副題 蒼佑、17歳のあの日からの物語 集英社刊

  「波」の原題は「LA VAGUE」、フランス語。原題、とは言っても、フランスで発表された時は、L’ocean dans la riziere(田んぼの中の海)というものだったらしく、改題したものらしい。これはこれで良きタイトルだが、「波」というほうがより適合するということにはなりそうだ。

 美しい波、しかし…

 リシャール・コラス(Richard Collasse)は、1953年フランスで生まれ、パリ大学東洋語学部卒、75年から在日フランス大使館勤務、85年シャネル株式会社勤務、95年から同社日本法人代表取締役社長。多忙なビジネスマンであるその一方で、作家としても活躍しているらしい。

 シャネルからも、他の多くの世界の企業と同様に、被災地に、もちろん、気仙沼にも多くの支援をいただいている。コラス氏が、こういう小説を書いた、ということは、実利的な支援、ということを超えた大きな支援、ということでもあるに違いない。

 日本を遠く離れた欧州のフランスで、この本が読まれるということは、読まれ続けるということは、被災地の記憶を忘れずに伝えていくということにほかならない。そして、日本語に翻訳されて、日本においても読まれ続けることは、他の日本人による作品たちと同様に記憶を繋げていくことにほかならない。

 ただ、恐らく、この本は、日本の東北地方の沿岸部においては、ほとんど読まれることはないと思う。当面は。

 この小説は、3月18日金曜日の日づけから書き起こされる。しばらくは、問題なく読み進められる。ひいおばあさんが語る昭和8年の大きな津波の話も、読み進められるだろう。日付けが3月10日に戻って、3月11日の13時~15時の章も、まだ大丈夫かもしれない。しかし、64ページの同じ日の15時~15時15分の章からは、この土地の人間はもうほとんど読み進めることができない、と思う。私も、何度も、もう止めようと思った。

 文章を目で読みながら、何度か、喉から声が飛びだし、目から涙が出てくることがあった。感情が動くという感覚の前に、肉体が反応していた。悲しい、だとか、苦しいだとかいう感情に気づく前に、嗚咽が出て、涙があふれる。こんな経験は初めてのことだ。こういう事態を、なんと呼ぶのだろうか?

 多くの気仙沼の人間にとって、こういう文章に直面することは、まだ、できないと思う。

 私が読み続けたのは、私なりの使命感から、と言っても、あながち、間違っていないだろう。

 世界の人びと、そして、日本でも、少し離れた土地の人びとには、読んでもらいたい本、ということになると思う。そして、気仙沼の人びとにも、少しく時が経ってから。

 プロローグにコラス氏は「小説としての読みやすさを考慮し、多くの方の身に起きたことをふたりの登場人物に集約させ、複数の町に実在する地名、施設などを一か所に集め、『気仙沼』としてひとつの舞台にしていることを、ここにお断りしておきたい。」と書かれている。

 実際、あの「南三陸町の防災対策庁舎で亡くなられた遠藤美希さん」のことも、気仙沼在住の主人公の姉として描かれている。これは、気仙沼の人間としては、お隣の南三陸町の皆さんに対して、ほんとうに申し訳ないことではある。しかし、これは、フランスの方が、世界に向けて書かれていることの中での創作上の止むを得ない措置であって、お許しを頂くほかないことだ。

 このお姉さんが、最初に登場するのは次のようなところだ。

 「午後6時を告げるメロディが町の拡声器から流れ、その甲高いエコーが岸壁に反響していた、その音を聞いて、公共無線放送の責任者として市役所の防災センターで働いている姉さんのことを思い出した。」(15ページ)

 その前には、姉さんがいるという描写はなく、この後も、すぐ別の話題に移り、しばらくは姉さんということばすら登場することもない。この場面自体、姉さんの姿も出ていないし、声すら出ているわけでもない。

 しかし、これだけで、被災地にいる我々は、反応してしまう。あ、あの、南三陸町の役場の、と。さすがに、ここでは、まだ、私自身、感情の流れは意識できていて、「突然の肉体が先行した嗚咽」とまではいかないが。まだほんの15ページ目の、あの破局の前の日常を描くシーンでは。

 これは、個人的な思いということになるが、この小説が、原文はフランス語で書かれているわけで、この気仙沼を舞台にした小説が、美しいフランス語で書かれている、というだけで、なんとも不思議な奥深い悦びを感じざるを得ない。東日本大震災という巨大な被害、津波という恐ろしい現実、それがあったからこそ、この美しい小説(これは、確かに恐ろしくも美しい小説だ。)が書かれたという逆説。

 この小説を読みとおすということは、一種の背徳ですらある。背徳という言葉を持ち出すこと自体、後ろめたくもある。あの日のこと、以降のことに、相応の距離感がなくしては、この小説を読みとおすことすらできないわけで。背徳などと美的な、芸術的な言葉を持ち出して。

 私には、事態を美しく読み取るだけの距離感がありますよ、と告白していることになるのだから。

 この小説の地理的な部分は、相当に正確で、しかし、ときに不正確で、歩く経路が腑に落ちないところもある。しかし、それは、描写の都合で、ぜひとも、その場所の光景をそこで描きたいということであるはずだ。

 言葉は、気仙沼地方のなまりが、相応に正しいとは言える。方言指導の方がかなりしっかり見られていると思う。しかし、たとえば、「し」と「す」の音韻交換は、われわれの世代ではほとんど見られない。このへんは、かなり微妙なところだが、日常会話では、「し」は「し」、「す」は「す」なのだが、あえて方言で語る、という意識の時にわざと「し」を「す」と発音する場合がある、というようなこと。また、旧気仙沼町内とそれ以外でも、微妙に違っているとか。

 主人公の自宅は、恐らく魚町ということになるが、気仙沼の街場に設定されている。

 私自身、57歳で、もうすぐ還暦だし、そうだな、現在ご存命の方々は、ごく普通の会話では、わざとではなく、「し」と「す」が交換することはない。などと、微妙なところにこだわりたくなる。

 しかし、私が、方言を監修したとしても、ちょっと違うぞ、とか、言われることは間違いない。正しい方言、などということは、実は、相当に困難なことだ。

 ま、方言のことはさておき。

小説のほとんど最後、「森は海の恋人」にもふれながら、そして、「葵」という名の主人公の恋人(以前というべきだな。)の記憶にもふれながら、唐桑半島舞根湾の日の出を描く場面。(もちろん、恋人の、記億、なのだ。)

「空から降りてくる光が、眠っている女性にそっとキスでもするように、舞根の湾の表面をかすめた。冷気で凍りついていた海水が細かく揺れた。」

光る波、美しい海が描かれて、この小説は終わる。

(「森は海の恋人」とは何か、ということについては、ネットで簡単に調べられるし、ここでは触れない。しかし、私なりには、また、別に書くことがある。機会を改めて。フランス語では、La foret est l’amant de la mer. ということになるか。英語では、the forest longing for the sea と、重篤さんのところのHPには書いてあったと思う。)


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