ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

サルトル作 海老坂武・澤田直訳 自由への道 5、6 岩波文庫

2020-08-13 22:23:47 | エッセイ
 第4分冊は、去年2019年7月に、このブログにアップしているから、ほぼ1年かかったことになる。少しづつ読み進めたわけではなく、しばらく間を置いてから第5、第6と手に取ったということである。第1~4分冊と、一冊ごとに感想を記してきたが、第5分冊を読み終えた時点で、最後の第6分冊まで読んでから書くことにした。
 読み終えて、さて、新たに何を書くべきかと思い悩み、第4分冊のところで、「自由の刑に処せられている」という有名なセリフを紹介したので、それ以降のことはもう書かなくてもいいのかもしれないなどとも思ったところである。しかし、まあ数か所、書き抜いてみることにした。書き抜いてみたら、結果、書くべきことはあったということになる。以下の通りである。
 第5分冊は、第三部「魂の中の死」の第一部。一九四〇年六月十五日土曜日から、六月十八日火曜日までの四日間、それぞれ一日づつを一章として描かれる。扉を開いて冒頭は「ニューヨーク 一九四〇年六月十五日 土曜日 午前九時」である。

「蛸か?彼は小刀を手に取った、目を開いた、夢だった。いや違う。蛸はそこにいる、吸盤で彼を吸っている。こいつは暑さだ。彼は汗をかいていた。一時頃に眠り込んだ。二時に暑さで目が覚めて、汗びっしょりのまま水風呂に飛び込んだ。それから身体を拭かずにまた横になった。そのあとすぐ、かまどは皮膚の下で再び唸り出し、彼はまた汗をかきはじめた。明け方に、眠り込んで、火事の夢を見た。いま太陽はすでに高く昇っているに違いない、そしてゴメスは相変わらず汗をかいている。…これは暑さなんてもんじゃない。これは大気の病だ。空気に熱があり、空気が汗をかいていて、人が汗の中で汗をかいているのだ。」(13ページ)

 蛸。
 この蛸は、暑さの象徴であり、比喩であることに間違いはないが、フランス人にとって蛸とはどういうものだろうか?
 得体のしれない不気味な悪魔の魚なのだろうか、食するとうまい身近な食材なのだろうか。
 日本においては、もちろん、美味しい食材であるが、同時に生きたままの蛸がベッドのなかでまとわりついたとしたら、快適とはいいかねる対象であることは言うまでもない。フランスにおいても、ここの彼、ゴメスはスペイン人であり、スペインにおいても食べ物とはするらしいが、同様のことである。著しく不快な、うだるような暑さを蛸と、比喩的に表現したものである。蛸といっしょに茹で上げられてしまいそうなのに、蛸はますます元気にぬめぬめと動き回る。
 もちろん、蛸がまとわりつくと言えば、北斎の春画も思い浮かぶところだが、そちらのエロチックな方面にはあまり深入りするところではなさそうだ。
しかし、ここに肉体がある、というところは押さえておくべきところだろう。
汗をかき、排せつをし、喉が渇き、腹を空かせる肉体がある。体臭が臭う不快な肉体がある。
 私自身の好みから言えば、そういう不快な肉体のことは読みたくないし、書きたくもない。しかし、この小説は、そういう肉体と付き合わずに読み通すことはできない。すべてのシーンが、そういう肉体に付き纏われている、というべきである。そして、その肉体は往々にして死ぬ。希望なく、死んでしまう。
そうだな。この小説は、暗くて汚くて希望のない小説である。戦争の時代の小説だから、それは当然のことかもしれない。あの明るく誇らしく、喜びの源泉たるべき「自由」ですら、「自由の刑に処されている」と表現される小説である。そういうことなのかもしれない。
 冒頭に登場するゴメスは、スペイン共和国軍の将軍であるが、ファシストのフランコとの内戦に敗れ、ニューヨークに逃れている。(ところで、この時代、あのニューヨークにおいてすら、建物の冷房は普及していない。もっとも、私が東京に出た1970年代後半でも、エアコン(というよりもクーラーと呼んだ)がふつうの民家においてようやく普及し始めたところで、オフィス(などという言葉は使っていないな、職場、か)にも、空調のないところが結構あり、まして学生のアパートの部屋にはそんなものはなかった。いま思うと信じられないところはある。東北地方の気仙沼市は、さらにまた別の話。半世紀の違いがある。余談ついでだが、私はこの夏ようやくエアコンのある自宅に住むことができた。気仙沼あたりでは、冷房が必要なのは一年の本当に短い期間でしかないのだが、快適である。旧盆前のまさしくこの時期、安心して過ごすことができる。電気のおかげである。閑話休題。)
 一方、ゴメスの妻サラと、幼い息子のパブロは、フランスに取り残されている。ニューヨークの地名を含む同じ章において、フランスの片田舎の、炎天下の埃っぽい道路でガソリン切れした自動車から放り出された母子の様子が描かれる。ゴメスが起きだして出かけて一顛末あった後、大西洋を挟んで同じ時、ニューヨークの午前十時、「フランスの(午後)三時。」(29ページ)である。
 ドイツの戦闘機が頭上に飛んでくる。

「人びとが叫びはじめたとき、サラはほとんど驚かなかった。彼らが散り散りになって、土手の上に跳び上がったり、溝の中に這いつくばったりしている間に、彼女は立ち止った。スーツケースを下におろして、背筋をぴんと伸ばし、ひとりきり、誇らかに道路のまんなかにじっとしていた。空の唸り声が聞こえ、すでに長く伸びたその影が足許に見えた。彼女はパブロを胸に抱きしめた。耳は轟音でいっぱいになった。一瞬、死人となった。しかし、音は弱まり、空の水の中におたまじゃくしが逃げていくのが見えた、人びとは溝から出てきた。再び生きることを始めなければならない、また歩きはじめなければならない。」(50ページ)

 炎天下、母国スペインを目指して、到着する確かな当てなどなく、重いスーツケースと幼児を抱え歩く。希望は、確かにあるのだろうが、たどり着くことなどほとんど不可能であるような彼方に、ほとんどないと言ってしまうべき程度にしかない。
 第5分冊の最後、「六月十八日 火曜日」は、次のように終わる。主人公のマチウが、フランス敗戦の際(きわ)に、ほとんど戦争は終わっているにも関わらず、ある教会の尖塔のうえに立てこもって、ドイツ兵に向かって銃を乱射する。時間にして、たった15分の間である。

「彼は手すりに近づき、立ったまま撃ちはじめた。それは壮大な復讐だった。一発一発がかつての小心さにたいする復讐だった。《おれが金を盗めなかったロ-ラに一発、俺が捨てることができなかったマルセルに一発、キスしたかったのにしなかったオデットに一発、この一発は書く勇気がなかった本への一発…》…彼は〈人間〉に、〈美徳〉に、〈世界〉に向かって打ち続けた。〈自由〉、それは〈テロ〉だ。…彼は美丈夫の将校に向かって、〈地上の美〉全体に向かって、通りに向かって、花に向かって、庭に向かって、彼が愛したすべてのものに向かって撃った。〈美〉は猥らな仕草で飛び込むように消え失せた、マチウはなお撃ち続けた。彼は撃った。彼は純粋だった、全能だった、自由だった。
 15分のあいだ。」(456ページ)

 マチウは人を殺した。戦争の戦闘場面ではある。人は簡単に殺すことができる。肉体の命は、簡単に奪われる。
 大江健三郎に『壊れ者としての人間』というエッセイ集があった。村上春樹は「壁と卵」の比喩を語った。人間は簡単に死ぬ。
 この場面に、一種のドライブ感があるのは確かなことであろう。快感がある、と言ってもいいのかもしれない。しかし、ひとつも爽快ではない。端的に自暴自棄である。ここでの「自由」は、まさに「刑に処された」ような自由でしかない。
 第6分冊は、第三部「魂の中の死」第二部と、第四部「奇妙な友情」の断片からなる。フランス敗戦後のことである。この小説は、第四部の途中で未完のまま放り出された。
 (ところで、第5分冊は第三部のなかの前半の第一部ということで、第6分冊の前半は、第三部のなかの第二部ということである。原著では、この「部」にあたる言葉はどうなっているんだろう。同じ言葉を使っているのだろうか。こういうのは、ふつうには避ける用語であるはずだ。)
 第三部のほうで、ブリュネという共産党員と、シュネデールという共産党員ではないがブリュネに協力している人物の間で交わされる、共産党についての対話がある。どちらもフランスの兵隊で、ドイツ軍の捕虜収容所に収容されている。

「ブリュネは苛々して壁に拳を押し付ける。…彼は言う、「この件をおまえと議論する気はない。おれは活動家だからな、高度の政治的憶測をあれこれやって時間を無駄にしたことはいままでにないんだよ。自分の仕事があって、それをやってきたわけだ。残りのことについては、おれは中央委員会とソ連とを信頼してきた、今日になって変わるわけにはいかんよ」。「まさにおれはそのことを言ったんだ」とシュネデールは悲しげに言う、「おまえは希望に生きている」。この暗く沈んだ語調にブリュネは腹を立てる。…「…スターリンに対するおれの信頼についてどうしておれに話しにくるんだ?おれはあいつを信頼しているさ。…いいか、おれにはわかってる、歴史法則というものが存在し、そうした法則によって、労働者の国とヨーロッパのプロレタリアとが同じ利害を分け持っているということが。」(160ページ」

 共産党とは何か、という問題である。私は、若いころも今も、この会話におけるブリュネの立場には立たない。立てない。悲しげに語るシュネデールの側にしかいない。それは自明のことである。共産党とソ連とスターリンに、全幅の信頼を置くわけにはいかない。しかし、活動家のブリュネは、いちいちそんなところで悩まない。全幅の信頼を置いている。キリスト教の信仰告白のようなものだ。
 この当時、サルトルが、ブリュネの側ではなく、シュネデールの側にいてこの文章を書いているのは確かだが、のちに、共産党にシンパシーを持ち、近づいていく時点がある。その際に、どんな理路であったのか?
 私は、シュネデールと全く同じ、ということではないのかもしれないが、共産党だとか、ソ連だとかの側ではなく、自分の国の身の回りの生活空間の側に立つ、といえばいいか。それをないがしろにするような立場は決して取らない、といえばいいか。回りくどい言い方だな。端的に日本の側に、日本の同胞の側に立つと言い切ってしまっていい。(ただし、あえて言うまでもないことだが、それは、その都度その都度の日本国政府の選択を良しとするというのとはまた別の次元の問題だ。そういえば、ブリュネの立場も、シュネデールの立場も、当時のナチス傀儡政権のフランス政府は良しとはしていないはずだ。また、現在の日本の共産党についてどうこうは保留しておく。)
 第6分冊の後半は、第四部「奇妙な友情」の断片であるが、最後は以下のように終わる。上記のシュネデールは、実は、ヴィオカリスという名であったことが判明し、偽名を名乗った理由も明かされる。ナチス・ドイツとスターリンのソ連との間で結ばれた独ソ不可侵条約に反対して、共産党を除名された人間であった。(ここでネタバレを恐れる理由はないだろう。)
 下記の彼とは、ブリュネである。二人で収容所からの脱走を図り、失敗に終わる。

「だが、彼はヴィオカリスがもうじき死ぬことを知っている。絶望と憎悪がすこしづつこの無駄になった人生の流れを遡り、その誕生のときまで台無しにしようとしている。人間のどんな勝利といえども、この苦痛の絶対を消し去ることはできないだろう。こいつは党のせいでくたばる、たとえソ連が勝ったとしても、人間は孤独だ。ブリュネは身をかがめ、ヴィオカリスの汚れた髪に手を入れ、叫ぶ、あたかもまだ彼を恐怖から救うことができるかのように、あたかも二人の敗北した人間が、最後の瞬間、孤独に打ち勝つことができるかのように。
 「党なんて、どうでもいい。おまえはおれのたったひとりの友だちだ。」
…ドイツ人たちが木をつかんで坂を駆け下りてくる。彼は立ち上がり、彼らの方へ歩いていく。彼の死はまだ始まったばかりだ。」(387ページ)

 ブリュネも、また、ここで死ぬ。当時のフランス共産党から転向して死ぬ。共産党から見れば転向であろうが、ひとりの人間としては転向でも何でもない。かれ自身をまっとうしただけである。党員と除名された党員との「奇妙な友情」が成り立ったわけである。手続き的にすでに除名されたということではないが、これから除名されるはずの人間と、すでに除名された人間との間の友情である。その観点では、「奇妙」でもなんでもないということになる。
 この前段で、ブリュネは、シャレ—というその時点での典型的な党員そのものである登場人物と、決別していくように描かれている。党員であることよりも、ひとりの人間であることを選んだ、というべきなのかもしれない。
 「実存は本質に先立つ」。サルトルの実存主義を表す重要な言葉である。
ここでは、党の理念とか、そこから派出される方針が「本質」である。一方「国家」も一種の本質である。
 本質とは、抽象的な理念のことである。
 本質は、ほっておくとどんどん抽象化する。抽象化がどんどん進み、具体的な人間の実存からどんどん離れていく。
 そういう本質を追い求めるのでなく、現に生きている人間、身の回りに生きている友人、同胞たち、その実存に常に立ち戻ることが必要である。ひとりひとりの人間に立ち戻ること、現実の生活に立脚すること、人間と人間の、生身の触れ合いをこそ大切にすること。
 抽象的理念を信じすぎないこと。いや理念は、いつも大切なのだが、具体的な人間の生存と生活に根差して鍛え上げられた理念でなくてはならないということ。
 「実存は本質に先立つ」のである。
 しかし、まあ、あれだな。この「自由への道」という未完の小説は、「肉体の不自由さ」をこそ描いた小説だったのかもしれないな。
 「肉体の不自由さ」こそが実存である。
 さて、このサルトルの高名な未完の小説を読み終えて、この感想を書き始める時には、いったい私は何を書けるのだろうと途方にくれていたが、もういちどページを手繰りつつ何か所か引用すべく書き抜いてみたら、書くべきことが、どこかから湧き上がってきた、というふうでもある。手探りで進むうちにいつのまにか、「実存は本質に先立つ」という有名なテーゼにたどり着いたということにもなる。なるほどね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿