ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

霧笛134号 〈編集後記〉 付 東京の吉田妙子さんのお頼り(抜粋)

2020-08-08 08:54:29 | 霧笛編集後記
◆これまでも折に触れて霧笛への感想をいただいている東京の吉田妙子さんから、久しぶりのお便り。抜粋を掲載させていただく。こういう小さな同人誌も、読んで、かつ、何ごとか書き送ってもらえる方がいるとは有難いことである。詩として読むべき内容があるのだとすれば、世の片隅で継続することの意義もあるかと思う。
◆栗駒の佐々木洋一さんの依頼で『詩人会議』の七月号震災特集に気仙沼の写真が必要とのことで、在住の写真家かとうまさゆきさんをご紹介した。震災前の港町岸壁に漁船がたち並ぶ景観を俯瞰したものが掲載。編集者から喜んでいただいたようである。
◆仙台の秋亜綺羅さんが、季刊詩誌「ココア共和国」を月刊誌として創刊なさった。編集人は佐々木貴子さん。いがらしみきお賞、秋吉久美子賞、十代向けのYS賞を擁してネットで投稿を募り、紙媒体と電子版とで四月号からすでに七月号まで刊行済。何か大きな力が感じられる。若い世代を中心に新たな詩の鉱脈を探り当てた、といっていいのかもしれない。ちなみに秋吉久美子はあの秋吉久美子である。(私は、前号分から投稿して、今号も続けて電子版のみ掲載の佳作であった)
◆コロナウィルスによる社会活動への影響がなかなか収束しない。第二波の恐れとか、備えとか言われてもいるが、そもそも第一波が終息したのかどうか、政府の緊急事態宣言の解除なるものもいわゆる経済への影響を恐れるあまり恣意的に行われたものとしか見えない。宣言は解除されても、感染の恐れ、蔓延の恐れは大きく残されているわけで、自粛ムードもずるずると引き延ばされていく。ポストコロナ社会などと期待する向きもあるようだが、効率最優先のグローバルな分業社会、過剰な競争社会はそうやすやすと解消されはしないだろう。リモートワークの進展による通勤問題や居住環境の改善すら、生産性向上の手段として評価する向きもあるが、そういうのは本当にどうにかならないものだろうか?社会全体の経済的な成長などというのは、現代社会の壮大な誤解でしかないというふうにならないものかと日々考えている。もちろん、分業社会で直接に生活必需品の生産に携わることなく、間接分野でのみ仕事してここまで暮らしてきた私自身の生活が、お金なしには成り立たないということも考慮に入れて、物事は考えなくてはならないわけである。
新しい経済学。
新しい経済学が世の中を変革することを期待してはいけないだろうか。結果としては、根底的な変革ではなくて、過剰な行き過ぎの修正ということなのかもしれないけれども。国民国家の役割は失われることはないはずだ。
◆延期になっていた宮城県詩人会のポエトリーカフェ、千田担当の「気ままな哲学カフェ」9・13(日)に実施の予定。不要ではないが不急ではある文化事業だが、緊急事態がない限りは実施する。
◆熊谷門と息子と孫のライブも中止となったが、いつか実現したいものだ。
◆小田亜希子さんの今回の表紙は、マスキングテープによるココ・シャネルの肖像。

〈東京の吉田妙子さんのお便り〉
 (久しぶりにお便りをいただいた。私の『迷宮』については省き、霧笛についてのコメントを掲載させていただく。 千田)

 詩集『迷宮』、かつて読んだ詩たちのはずですが、ひとつひとつ重量が変わっているようで、大変読みごたえがありました。
 ……
 さて「霧笛」。今も一貫して好きなのは小野寺せつえさんの詩。飾らず生活に根ざした思いをつづられ、いつもクスッと笑わせられ、ときどきガンと、いえ、ギクッとさせられる。123号「赤い着物」私も赤い着物が好きで成人式のときに着ました。振りそでだけれど知らぬ顔してまた着て歩きたい、とひそかに思っています。
 及川良子さんの詩も楽しみです。ギリギリまで言葉を研ぎすまし、過不足のない詩のよう。いつも背筋が伸びます。…こちらが言葉を失うほど。133号「ふいにあなたに贈りたくなったもの」今の状況下、私も含め息がつまりそうになっている人も多いと思いますが、そういう人に贈りたいですね。
 小野寺正典さんの五行歌も好きです。東京に事務局があるとか。興味あります。「会いたくて/会いたくて/つい/いってしまう/さようなら」ああ…!!切ない切なすぎる…
 千田さんの133号「出発」に同感!美しく無害に、したいことを!!132号「誰も知らない黄昏どき」舞台や設定は違うけれど、見覚えのあるすこし痛みをともなう光景です。「詩の一行は」神は人間に肉体を与えてこの地に遣わした。眼耳鼻舌身意の奇跡を存分に神とともに神の代わりにか、味わう。そして詩が生まれる。130号「旅人」、「時間旅行」にも通じる無常の永劫の楕円軌道を廻り続ける私たち。移りゆく美しい光景を前に。128号「喪失」カルロ・ロヴェッリ「時間は存在しない」を思い出す。この世で味わったものや時間も幻想かもしれない。日々仏法にふれているうち、何かすべて般若心経みたいにみえてきます。127号「私は日本人だろうか?」改めて気仙沼人いいなあ…と思います。東京生まれの東京育ちの私、「東京人」って何なんだ?極めて心もとない。つくづく気仙沼の豊かさをうらやましく思う。
 そうそう、127号と128号の正典さんのエッセイ「詩人とマンドリン」興味深く読みました。永井叔さんの作品や新井満さんの「ヴェクサシオン」を読んでみたいと思いました。

(前後ご挨拶にかかる部分は省略させていただいた)


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