ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

熊谷達也 鮪立の海 文藝春秋

2017-05-28 00:13:59 | エッセイ

 仙河海シリーズの第8作目、第1期の最終作ということのようである。

 震災以降、宮城県最北端の架空の港町「仙河海市」を舞台にして書きついできたこのシリーズに、とりあえずの終止符を打つ作品。

 前作「浜の甚兵衛」が、明治から大正、昭和初期までを扱っていたのに対し、今回は、昭和初年から戦争をはさんで、三十年代までの、鰹鮪漁業の進展にあわせたストーリーの展開である。

 第4作目の『潮の音、空の青、海の詩』の一部が、近未来小説であった以外、他の作品は、ほぼ震災以前から以後のほぼ現在を扱っている。前作と今回の作品で、仙河海という港町の成り立ちを描いたことになる。

 主人公菊田守一は、大正14年生まれ(私自身の父親は、大正15年生まれでほぼ同年である。)、カツオ漁船の名船頭としてならした父、祖父。父の後を継ぎ船頭となった兄は、戦争の犠牲となる。

 守一は、カツオ船のカシキ(炊事係)から始まって、戦争期の徴用船、遠洋マグロ船の黎明期を経て、ついには船頭となる。漁港の街、気仙沼の歴史を体現する人生と言っていい。

 第1章「一番船」は、小学校に入学したばかりのころ、カツオ船の船頭の父と、船に乗りはじめたばかりの兄の帰港のシーンから始まる。

 第2章「新米漁師」は、父が船頭を務めるカツオ船での初航海。

 第3章「徴用船」は、その名の通り、戦争時代の海軍への徴用と、カツオの裏作としてのマグロ漁出漁の経緯。

 ちなみに現在は、カツオ漁船と、マグロ漁船は、それぞれの漁法に特化した全く違う船体である。カツオ船は、一本釣りで、カツオとビンナガマグロしか獲らない。マグロ船ははえ縄で、マグロや、混獲されるサメ類などしか獲らない。

 しかし、かつては、気仙沼に宮城県北部鰹鮪漁業協同組合という組織が存在し、カツオとマグロは、ひとつのジャンルの漁業として認知されていたことは知っていた。ある時期から、気仙沼船籍のカツオ船はほとんどなくなっていて、ほぼほぼマグロ船の船主のみで構成されている組合だったのだが。

 この本を読むと、もともとは同じ船で時期を変えて両方獲っていたわけで、そのあたりの当初の事情が納得されてくる。しかし、その後のテクノロジーの進展、経済社会の進展のなかで、マグロはえ縄漁業に最適の船体が開発され、カツオ一本釣り漁業に特化した船体が開発されて、全く別の漁業として発展するということなったわけだ。漁港に停泊する船をみると、われわれにもその違いはすぐに分かる。

 気仙沼は、長く日本一のマグロ漁業の基地となり、カツオ漁業は、高知、宮崎、三重等が基地となった。しかし、その3県を中心としたカツオ船の水揚げは、気仙沼に集中し、一方、気仙沼の遠洋マグロ船は、神奈川県三崎港や静岡県清水港や焼津港に水揚げするという、一般の人には分かりづらい構造ができあがったのも、日本の経済社会の進展の歴史の中での出来事である。

 おっと、脱線してしまった。これは、この小説で描かれる時代のもっと後のエピソードとなる。

 第4章「黒潮部隊」も、引き続き戦争時の徴用船の時代。

 このあたりの戦争期の漁船の有り様の描写、気仙沼という地域への、気仙沼の人びとへの戦争の重大な影響に、ほとんどはじめて気づかされた思いだ。

 第5章「艦砲射撃」は、主人公守一が撃沈された船から助けられ、陸に上がったあとの定置網漁にかかわる様子。

 第6章「担ぎ屋」は、終戦後。

 第7章「特攻崩れ」も、引き続き戦後。

 第8章「新造船」は、高度成長時代がそろそろ始まろうかという時代。

 第9章「惜別」では、守一が、再びマグロ船に乗り組み、船員のチーフである、甲板長(ボースン)として、父と同じ船頭になるべく修行する。

 ここがなぜ、惜別なのかは、読んでのお楽しみとしておく。

 第10章は「出船送り」。ここでの出船送りのシーンは泣ける。

 

「出港予定時刻は午前10時だ。」(381ページ)

 

 いろいろと出来事があって、餌の積み込みも遅れてドタバタした揚句、ようやくぎりぎり予定の時刻に間に合う。

 

「そんな守一の内心での焦燥とは無関係に、出船の風景はいつもと変わらない。岸壁には、マストに大漁旗を掲げた第5洋徳丸を見送る人びとが集まっていた。乗組員の家族や船の関係者のみならず、たまたま近くを通りかかった者も、急ぎの用事がなければ、立ち止まって出港風景を見守っている。この街の住民にとって、出船送り風景は、日常のものではあるのだが、やはりハレの時間でもあるのだろう。

 若い甲板員に声を飛ばし、岸壁とのあいだに渡してあったタラップを回収させた。

 これでもう諦めるしかない。船が岸壁を離れれば、二か月近く洋上の暮らしになる。陸でのあれこれは、すべていったん棚上げにせざるを得ない。」(382ページ)

 

 この見送りの風景は、気仙沼港の日常の光景である。そして、「これでもう諦めるしかない」、この諦めは、気仙沼のすべての漁船員、その家族に共通の思いである。ここだけでも、気仙沼の人間にとっては泣けるシーンである。

 もちろん、物語は、この見送り風景の前と後ろに続いている。守一の人生にとって大きな事件が起きている。それは、読んでのお楽しみ、ということにしておきたい。熊谷達也氏は、いつものように期待を裏切らない。

 さて、最終章、第11章「延縄漁」では、守一は、いよいよ船頭として出漁する。昭和32年11月といえば、ちょうど私自身が生まれた翌年である。その直前に、今の場所に魚市場が移転新築され、開業したばかりのころ、昭和の合併によって気仙沼市が誕生してまだ間もないころである。気仙沼のまちもここからしばらくは順調に発展していくころである。

 最後に2点記しておく。

 ひとつは、言葉のこと。登場人物の語る言葉である。これは、熊谷達也氏自身のものとなっている言葉である。架空の都市、仙河海市の言葉である。必ずしも現実の気仙沼の言葉ではない。私の感じから言えば、宮城県の内陸の言葉、むしろ、仙台弁に近いと感じられる。ただ、私が確証をもってそう言い切ることができるというわけではない。気仙沼弁と言っても、人によって、時代によって変わってくるということでもある。このあたり言語学者の研究に待ちたいところではある。

 でも、いずれにしろ、それはそれでいいのだ。この物語のなかで必然の言葉になっている。登場人物の深いところから出てくるオリジナルな言葉である。そして、なんといっても間違いなく宮城の言葉である。むしろ、厳密な気仙沼弁(もちろん、厳密にいえばそんなものはどこにも存在していない想像上のものでしかないわけだが)などというありもしないものにこだわるのはそれほど意味のない努力というべきだろう。

 熊谷氏の深いところからにじみ出てくるような自由な言葉を闊達に使いこなした、ということが肝要である。宮城の言葉でつづられた小説である。

 もう一点、タイトルの「鮪立」とは何か?

 唐桑町の鮪立という地名は、小説に一度も出てこない。

 唐桑半島を置き換えた唐島半島の地名として出てくるのは鯖越集落のみであり、これは現実の小鯖であろうし、別の只越地区の名前と組み合わせたものでもあろうが、鮪立という言葉は一度も出てこない。

 実は、気仙沼のカツオ漁のルーツである古館・鈴木家は鮪立湾を見下ろす高台にある。そもそも黒潮に乗って、紀州の熊野から渡ってきた家であり、江戸時代になって、当時のカツオ漁の先端技術を紀州から導入した家でもある。

 鮪立は「しびたち」と読むが、鮪は、いうまでもなくマグロである。「しび」というのは、マグロの古名。

 そうなってくると、カツオ漁船、マグロ漁船の歴史に寄り添ったこの小説のタイトルとしてはごく自然なものとして受け止めることもできるわけであるが、いっさい、その点についての記述はない。

 守一の菊田家は、祖父が大島の生まれとされている。

 気仙沼の人間は、ごく自然にさらりと読み終えてしまうかもしれない。気仙沼のことを全く知らない人びとも、鮪はマグロであるから、自然に受け止めてしまうかもしれない。

 しかし、ここには、謎がある、と言わざるを得ない。

 謎かけ、なのだろうか?熊谷達也氏は、川島秀一東北大学教授の著作など読んで、気仙沼の、唐桑の、鮪立・古館家の歴史を学べ、というふうに謎かけしているのだろうか?

 巻末の参考資料には、『気仙沼市史』や川島氏の『漁労伝承』(法政大学出版局)、『安さんのカツオ漁』など、何冊も列記されている。

 ところで、中に出てくる居酒屋が、気仙沼の居酒屋ふたつをモデルにされていると言ってよいと思われるが、一方は、すでに以前に閉店しており、もう一方が、ちょうどこの小説のそのくだりを読んでいる日あたりに閉店となった。震災のあと、街の西側の無人駅の近くに移転していたのだが、急に閉店となったようである。わたしもずいぶんとお世話になった店であるが、詳しい事情はまだ分からない。

 というところで、仙河海サーガ、第一期の終結である。しばらくの間を置いて、復活、ということになるはずであるが、私たちとしては心待ちに待ち続けることとなる。


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