仙台からACT(仙台演劇研究会通信Vol.394、2015年5月号)が届いて、目を通した。今回もなかなかに読みごたえがある。
「山形詩人」編集の詩人・高橋英司氏が「パンクな詩」と題して、小説家・詩人町田康の詩を紹介なさっている。なかなかに面白い。高橋氏は町田の小説は「たいてい読んだ」、「読んだ限りでは全部面白い」ということである。
町田康は、もともとパンク・ロッカーである。聴いたことはない(たぶん)。小説を書いたことは知っているが、読んだことはない。どこかの雑誌でエッセイは読んだことがある。
ロックを歌って、詩とか小説を書いて、というのは私自身のキャラとかぶるし、それで私より年下だとなれば、あまり学ぶべきところはなさそうだし、特段面白くもなかろうと思い込んでいる。他のひとが読んで面白いかどうかは別の話だが、まあ、私が読んでもそんなに刺激的だったりワクワクしたりはしないだろうというような感じ。
高橋氏は、詩の方は評価されないようだが、氏が引用されている詩をそのままここに引用させていただく。孫引きである。
古池や
きょうびの少女が、暴れ暴れてエメロンシャンプーを手に微笑んでいる
おっどろいたよ
一瞬、荒木経惟の写真かなあ、と思ったけれども違う。
現実の世界できょうびの少女が古池で暴れているのだものなあ。エメロンを手に。
驚いた。
というものである。タイトルは「古池や 刹那的だな 水の音、が」というものらしい。
私はこれは面白い詩だと思う。パンクである。とてもパンクロック的な詩だと思う。パンクミュージックの演奏にこの詩はとても似合っていると思う。
高橋氏は「意味もある。イメージもある。芭蕉をはじめ、おちょくっているのはわかる。しかし、読者の頭の中で整合しない。いわゆる古今東西の名詩のように、心に沁みてくるわけでもない。」とおっしゃる。
確かに心に沁みるというのとは違うだろうが、これは単純におちょくっているのではないと思う。芭蕉や荒木経惟を本歌取りして、また別のイメージをつくり上げている優れた作品だというふうに思う。
で、実は、高橋氏は、町田のパンクについて語る中で、カッコ書きで(サザンオールスターズのような優等生ロックとは違うはず)と書かれている。
このカッコ内を読んで、私は、仰天した。
いつのまに、サザンは、優等生になってしまったのだろうか?
パンクロックの反体制性、暴力性に比べて、それほどには反社会的なポーズは取らなかったという意味では、確かに比較的には優等生に近いとは言えないこともないかもしれない。しかし、デビュー当時、サザンはどう考えても優等生ではなかった。
当時最高の、いや、最低の、いや最低ということでもないか、まあ最もふまじめおちゃらけバンドだった。
初期の曲は全て、湘南の若大将・加山雄三とか、「想い出の渚」のワイルド・ワンズのパロディでしかない。
ロックのくせに、歌謡曲に魂売ってるとか言われかねないような位置にいた。
加山雄三とかワイルド・ワンズとかは、当時でもポップであり、グループサウンズであって、歌謡曲としてメインストリームと位置づけられていたわけではないが、それにしても、歌謡曲の世界の音楽であり、それ風ということは、ロックバンドとしてはあるまじきと批判されかねないようなことであった。
でありつつ、あ、これはいいな、すごいなと評価されたのは、それがあからさまにパロディであると見えていたからにほかならない。
桑田の歌も、いまでこそ、歌唱力ある実力派と言われてそのとおりなのだろうが、当時は、いかにも英語っぽい発音のロック・シンガーのモノマネということでしかなかった。もちろん、あえてのモノマネであり、そこに面白さがあった。ほら、ボブ・ディランの真似とか。
でも、後に、ロックと歌謡曲のどっちつかずのヌエみたいなと評価されることもあったと聞いて、いや、それはあからさまにワザとやってるパロディなのにヘンな話だなど思った記憶がある。
私としては、日比谷の野音で観た当初から、ポップでわざとらしくてとても面白いバンドが登場したと興奮して評価していた。上品の反対でふまじめなおちゃらけバンドであった。かといって下品だとも思わなかったが。
しかし、ミイラ取りはミイラになるものなのだ。特に音楽の世界では必ずそうだ。日本人に親しみやすい音楽は、どうしても歌謡曲になってしまう、みたいな。
でも、これは必ずしも否定的な評価、だというわけではない。
いつのまにか、現在の日本人のメンタリティの中心に位置する大音楽人になってしまった。加山雄三やワイルド・ワンズの系譜も踏まえて、日本人の感傷にもきちんと応える優れた音楽である。パロディとして作って歌っていたバラードが、いつのまにか本当のバラードになってしまった。モノマネの歌が、いつのまにか本物のオリジナルな歌唱になってしまった。
私の大好きな名曲もいくつもある。
だが、しかし、「サザンが優等生だ」というのは、私の年代(桑田の一歳下)から言えば、どう考えても仰天びっくりの発言でしかない。
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